ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

男女はフィジカルにおいて不平等

先日Twitter眺めてたら「スカートに精液かける痴漢」の話題をみかけた。
んでもってそれを「嘘だ」とTweetしてる人がいるらしくフェミニスト系女性達が憤っていた。

スカートに精液かけるとか、スカート切るとか20年前、私が女子高生のときからの超あるある。あるあるすぎてたぶん誰も警察に届けたりしなかった。
この年になると「被害届け出しなさい!」とか思うけど、痴漢は日常過ぎてやりすごすものだった。
「スカートを切られる」のもあるあるで私の友達も切られてたし、駅降りたら前を歩いてた子のスカートが切られてたのも見たことあるし、最近「ああ、昔切られたことある」という人が身近にいた。
それくらいあるあるなのです。
(スカート切ることに性的興奮を覚えるみたいなの、全く理解できないけど日本全国いろんなところにある一定数そういう人がいると思うと本当に恐ろしい)

で、それ関連でTweetを色々見ていたらこんなのんきなTweetを見た。

「スカートに精子かけられるって俺がズボンに母乳かけられるようなもんかな?」
(あえてリンクは張らないけど)

この、男性にたまにみかける「男女逆転で考えてみた」のロジック。

んなわけねーーーーーだろ!!!!!!

君のズボンに知らないおじさんが精子かけてくるほうを想像してください!
「オレは対象じゃないもんね」というその距離感が間違ってるんだってば!

で、男性が「え〜? 痴漢? よくわかんないけどそんなに嫌なの?」「男がみんな痴漢じゃないよ〜」みたいな寝ぼけた話をしてるときに必ず
「自分が『おっさん』に精子かけられた(触られる・性器を押し当てられる等全ての痴漢行為)をされたときの気持ちを想像して?」と言うようにしている。
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男女は逆転してもわからない。
あれは「自分よりも肉体的に強いものに、一方的に性的に搾取される恐怖」なんだから、男性も自分よりも屈強な男性に襲われるところを想像しないとわからない。

ちなみに「世界一周ホモのたびDX」というマンガに、トルコシリアの垢すりで
「マッチョなトルコシリア人おじさんに男性が垢すりしてもらっていると、うつぶせに寝ている自分の手の平の上におじさんがそっと睾丸陰嚢を乗せてくる」
という話がある。作者の高橋さんに取っては「お誘いキター!」なんだけど、それをやられた別の細身の日本人の男の子と後日話をする機会があって、恐怖体験として語られる。というエピソードがある。
この話、男性に「痴漢のリアリティ」を伝えるのに結構よいエピソードなのだ。

【修正しました】※ブログ書くにあたり読み直したハズなのにトルコ編の印象が強かったのでシリアに移動した下りを読み逃していた! すみません。というわけでふぐり乗せおじさんは「シリア」です。
あと確かに乗せてくるのは「ふぐり」なので「陰嚢」ですね。おふくろさん…。
ちなみにイスラム教の国は同姓愛は禁忌なのだけど、そもそも「ホモ」という概念が最初から存在していないらしい。女性に簡単に手出しできないので男同士で処理し合う。そして旅行者に手を出す。東洋人の若者は特に彼らに比べると華奢で手を出されやすい。ということがコラムに書かれています(作者のサムソン高橋さんは若かりし頃に来なかったことを後悔)。詳しくは「世界一周ホモのたびDX」で! 
【修正その2】陰嚢を乗せられて喜ぶ「ゲイ男性」と作者の高橋さんを指してストーリー展開の説明を書いたところ不快に思う「ゲイ男性」が何名かいらっしゃったようなので「作者の高橋さん」に限定しました。

世界一周ホモのたびDX

世界一周ホモのたびDX


なぜか「痴漢」の話になると男性は自分が狙われる対象を「異性=痴女」に変換して「たいしたことないじゃん」と軽く見積もってしまう人がいる。いやいや、女性だって女性に襲われるのと男性に襲われるのじゃ違います。なので、いつも痴漢を軽く見積もる男性を見るとこの「トルコシリアの垢すりでうつぶせになってると、トルコシリア人おじさんが、君の手の平にそっと睾丸陰嚢を乗せてくるような感じだよ」と言うことにしている。実際の痴漢被害だと自分の体を触られるほうが多いので、そのトルコシリアの垢すりのおじさんがノンケ男性の局部を揉みしだくくらいまで想像してもらってかまわない。

ちなみにこの話、男性にすると本当に嫌な顔されます。

もちろん、男性に性的搾取される男性も実際にいて、それは女性がされるよりも小さく取り扱われてしまうので、そこも問題だよなあと思っている。もっとみんな「フィジカルの、物理的な体格差」についてちゃんと意識したらいいのにと思う。
格闘技が大体重量制で別れてることを考えても「体格差」はそう簡単に越えられないのだ。
ちなみに私が聞いたことがあるリアルな男→男子痴漢のエピソードは…
学ランを着て電車通学をしていた高校時代。小柄で顔のカワイイ友達の後ろに、妙にくっつくおじさんがいた。なんだろう? と思ってそのおじさんをみると…その友達の学ランの肩の部分を、おじさんはベロベロと舐めていた…。
それに気が付いた周りの同級生達は「うわあっ!」と言って一目散に逃げた(舐められてた子を置いて)。みたいな話だったと思うけど、やはり男性に一方的に性的に搾取されるのは恐怖以外の何者でもないと思う。f:id:salucoro:20140613020358j:plain
ちなみに男性の10人に1人くらいの割合で同性と性交渉ができる…と聞いたことがある(戦国武将も男同士大好きな人がたくさんいたというし…)。しかし同意無く一方的に性的に搾取されるのは恐怖だと思うので男性同士OKの人の話は今回おいておきます。そして「世界一周ホモのたびDX」は大変面白いです。しかしエピソードの数々が色々すごいので「同性OKの男の人ってフィジカル的に同等の相手に性的に何されても大丈夫なのかな」って不思議な感じはします。一冊目の「世界一周ホモのたび」も面白いです。


空手をやっててすごく思うのは「女性の体に比べて男性の体は丈夫だ」ということ。
どんなにメンタルが豆腐みたいな男性だとしても、手首の骨の太さを比べれば女性よりも太い。
空手は基本的に「自分の体を武器にする」というロジックなので、骨と筋肉の差は「武器の大きさ」にダイレクトに直結する。
もちろん個体差はあるが、私は153センチしかないので男性と相対する(組み合う)と腕の骨の質量だけでも「プラスチックのモップの柄と、樫の木の棍棒」くらいの差があるなと思う。そして筋肉の差もかなりある。私の手のサイズ、骨のサイズで男性がぐっと力を入れたお腹の部分に突きを入れてもたいしたダメージを入れることはできない(ちなみに肋骨は踏ん張れないので女性→男性でも折ることはできます。肋骨って結構簡単に折れちゃうんですよ。それが男→女だったら思うと更に怖さハンパ無し)。
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男の人に「男と同じベッドで寝るとかマジ無理。女の子同士って平気で一緒に寝るよね」と言われますが、そりゃそうでしょう。これも「同性・異性」で見るから変なのです。男性の骨はゴツゴツしてるし、腕一本の重さが女性と全然違うし、ヒゲは生えてるし、毛はザラザラしてるし…ステディでラブラブな男性が相手じゃなきゃ絶対お断りです。かたや、女性の体はやわらかいし、骨も軽いし、お肌もすべすべ。あげくにイイ臭いまでしたら、そりゃ女性ならOK! です。
むしろ男性は男性と同じ布団で寝る体験を何度か経験して頂いて「女の人ってこんなのと寝てるの?」という実感を味わってほしいです。

つまり、男性の体がモビルスーツだとしたら、こちとらボールに乗ってるんじゃい。戦闘力が違うんじゃい。
ということを心に刻んで頂きたい(と、ガンダムで例えてるけどガンダムちゃんと見たこと無い…ごめんなさい)。


女子高生や若い女子がおじさんに待ち伏せされたり、ラブレターをもらう話とかが「こわい」として話されていると、「男性は純情なのかしれないのにさ〜、おじさんというだけで忌み嫌われてかわいそうじゃないの?」という男性がおりますが、これも同様に「自分が40代〜50代男性に待ち伏せされるところ」を想像してみて頂きたい。
仕事帰りにいつも門であなたよりも身長が15センチは高いおじさんがあなたをじっと潤んだ瞳で見つめながら「あなたの事が大好きです。いつも見つめています。お電話下さい」と電話番号が入っている…。「おじさんの純情」をおもんばかってあげる? え? 好みだったら電話しちゃう? まあ、女性だって好みだったら電話しますけど…、女性にされるのと男性にされるのではかなり違うんじゃないですかと聞きたい。

男性のフィジカルの強さについて、ほとんどの男性はすごく鈍感だと感じる。
どんなに「こんな気弱なボクなのに」と思っていても女性が男性になにかされるときに「こわい」と感じるのは、まず基本に「フィジカルの差」があるからだよ。ということをどこかで覚えておいてほしいなと思う。f:id:salucoro:20140613040543j:plain

2015年1月28日追記※男をレイプする男。の具体的な話があったので貼っておきます。

レイプ犯はゲイだから男を犯すのだと誤解する人が多いのですが、たいていゲイではないのです。これはセックスの問題ではなく、力と支配の問題なのです。

とありますが、これは男→女でも同じ要素を含むと思うし、泣き寝入りする被害者感情も似ていると思いました。

化粧とおしゃれは武装

「日本人女性は必ず化粧をしている」みたいな話を聞きます。
確かにアジア諸国にいくと女性はわりとすっぴんが多いです。

じゃあ、日本で大人の年齢の女性が化粧をしないでいるとどうなるか…?
男の人の中には女性に対して「化粧をしてない」とか、女性らしい記号が少ない女性に対して「上からモノ言っていい」みたいな感じの人っていませんか?

テレビ朝日の「アメトーーク」を見てると、いつも「女性の扱いが典型的なマッチョ男目線だなあ」と思います(男性の扱いもマッチョなヒエラルキーのルールの中にありますが)。
番組自体は嫌いじゃないのですが、あの番組の中での「女性芸人」と司会者の横にいる「ゲスト女性タレント」の扱いを見ていると「女性性の記号を完璧にまとった女性(モデル・女優・アイドル)」だけが褒め称える対象として扱われ、それが足りない女性芸人達が男性芸人に上から「査定」目線でマウンティングされていて、いつも「なんだかなあ…」とモヤモヤします。
芸人さんも女優さんも世界観の中で演じているだけなので番組としてはアリですが、リアル社会でやられると普通にセクハラ・パワハラですよね。


私は22歳まで化粧もせず、髪の毛もショートカットで、スカートもはかないタイプでした。


仕事自体は学生時代から見習い的に始めて20歳からフリーランスを始めました。なので年上の男性と接する機会も多かったのですが、22歳くらいまでの私の扱いは「面白い動物」みたいな感じでした。

私は思春期から22歳くらいまで「自分は性格的に女の子が向いてない」と思っていました。
双子の弟のことをよく「あの体は本当なら自分のものだったのに、何かの間違いで入れ変わってしまったのではないか」とさえ思っていました。弟のほうが優しいし、気が利くし、女子だったらよかったのに…(向こうがどう思っていたかは知らない)。

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女性性の記号がない女子がどういう扱いを受けるかというと、まず自分が恋愛の相手だとも思っていない相手から「なんでそんなに髪の毛短いの」とか「もっと女らしくしないと〜」とか言われます。
「そんなんじゃモテないよ」「だからボクがアドバイスしてあげてるんだ」というスタンスです。
いや私、別にあなたに好かれたくないですけど…?
むしろ女性的な扱いを受けたくないからこの格好なのに…。なんなの? と思っていました。


印象深かったエピソード…。とある男性がわたしと同い年くらいの極めて女性らしいファッションの女の子のことを褒め称えた後に私に「爪を見せて」と言いました。
素直に爪を見せるとドヤ顔で「甘皮の処理とか知らないでしょ? やっぱり女の子は爪のケアとかしないとね〜」と言いました。…知らないのはお前だろ…と思いました。甘皮の処理くらいしってるわ。マニキュア塗ってねーだけだわ。爪長いの嫌いだから伸ばしてねーだけで、爪のケアくらいしてるわボケ! と思いました。

ちなみに私は彼氏がいたこともあり「女性性を売りにしなくても、そういうのがむしろ好みの男性もいる」ということも知っていました。
なぜ好きでもない男性に勝手に「女としての査定」を受けなきゃいけないんだ…? と思っていました。f:id:salucoro:20140607041539j:plain



さてそんな私に、転機がおとずれます。
22歳になるかならないかくらいの時にある日、自分の姿を鏡で見たら「あれ? なんじゃこりゃ?!」と思いました。まったく服が似合ってないのです。

おそらく、顔が大人になってしまったのです。
それまでは子供っぽかった顔が、ある日気が付いたら「あどけなさ」みたいなものが抜けて無くなっていたのです。顔が子供っぽかったころはショートカットでも、ノーメイクでも、半ズボンはいててもアリだった気がしたのですが「女っぽい顔」になってしまい、なんだかちくはぐになっていました。
「やばい! このまま行ったら、わたしはボーイッシュとはかけはなれた、謎の年齢性別不詳のおばさんになってしまう!」と突然気が付いたのです。
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大人になってもボーイッシュなのが似合うタイプはスレンダーな人だと思うのですが、私は元々背も低いし、太めなので女性らしいフワフワっとした格好のほうが似合うタイプなのだろう…と考えました。

それより一年くらい前、年上の女友達に囲まれてウィッグをかぶせられて、化粧をさせられて、ワンピースを着せられる、という体験したことがありました。
その時に写真も撮られたのですが、かなり別人に仕上がっており、写真を見た男性陣にも「こっちのほうがいいよ〜〜」とか言われまくった経験がありました。
そのときはとにかく「化粧とかめんどくさい…」「そういうの好きじゃない」と拒否していていました。
しかし、一年経って自分で鏡を見て「これはヤバイ!」と思い、その時化粧してくれた友達にすぐさま相談しました。

友達のところに行き、化粧の基本を教えてもらい、帰りにドラッグストアで化粧品を買いました。そして、服も全然似合わない服ばかりになっていたのでどんどん買い換えて、ワンピースとかを着るようにしました。f:id:salucoro:20140606030500j:plain
髪の毛もそのときすでにショートボブくらいだったので伸ばして、数ヶ月でイメチェンを完了しました(余談ですが私は髪の毛が伸びるのがすごく早いです)。

これが、「○○さんに、女の子らしいと思われたい」とか「バカにしてきた男性達を見返したい」とか、そういう理由じゃなくて、自分の中のジャッジする人が「おまえはもうボーイッシュは似合わない。諦めて自分の体型と素質に似合う格好を選べ」という声に命じられてやっているような気分だったのでほぼ「コスプレ」でした。
でもコスプレはコスプレで楽しいものなので、イヤイヤやってるわけでもありません。かといって自分の中の「女性性」と、それに対する妙な距離感は残ったままでしたし、それは未だに残っています。
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そして、イメチェンを完了したころ友人主催の簡単なパーティのようなものに行く機会がありました。そこに行ったとたん、今まで私に上から目線でダメ出ししていた男性達が「どうしたの?!」「そっちのほうがいいじゃん!」と誉め始めたのです…。
そして、明らかに「女の子」として扱う人まで出てきたのです。中身は何も変わってないのに。

ええええええ?!
そんなに世の中、単純なの?! そんなわかりやすいの?!

とビックリしました。
しかし気が付けばそれ以降、本当に「女らしくしなよ〜」というような上から目線のダメ出しとか「こいつはバカにしてもいい」みたいな扱いがほぼ無くなりました。
もちろん、中身は変わらないので急にモテたりはしませんでしたがとにかく年上男性からのマウンティング行為は無くなりました。私は「ファッション変えただけでそんなに違うのか…」と今まで自分を上から目線で見ていた男性達に対して少なからず「バッカみたい」と思ってしまったのです。

それと同時に、本当に日本の社会では女の化粧やおしゃれは「武装」なんだなと実感しました。
やってないとナメられる。

まあ…その後、結構わかりやすく痴漢とか変質者っぽいおじさんのナンパ的な絡みも増えたし、飲み会に呼ばれて「ホステス役をあてがわれる」とか女性性をアテにされるようなことも増えたわけですが、この辺のモヤモヤはまた別の機会に。

もちろん、すっぴんでもバカにされたりナメられたりしない女性はいると思います。
すっぴんがものすごい美人だったり、妖艶だったり。またはあっけらかんとしててはつらつとしていたり、キャラが立ってたり…。化粧に代わる「何か」があればよいのかもしれません。
しかし自分が体験した経験では「勝手に女を査定していいと思っている男性」というのは決して少なくない数存在しており、化粧をしていることで避けられるストレスというのもあるのだなと感じています。
この「化粧は武装」問題も女子同士のマウンティング行為の中で語られることもあるとは思うのですが、私が経験したのは男性からのほうが多かったです。

若かったからナメられたのかな? とも思うのですが、30代になった今もあまり化粧っ気のない女性が男性にナメられた態度をとられたりしてるのを見ると「どうやら年齢ではないらしい」と思い、無自覚な「査定目線」にモヤモヤしてしまいます。

化粧はたしかに見栄えは良くなるし、けっして楽しくないわけじゃありません。
私は「自分の顔は化粧してるほうがいいな」とジャッジして始めたわけだし、別に「男にナメられないために」してるわけでもないです。
それでも「今日は気合い入れて行こう」という日は化粧やおしゃれに気合いが入ります。「武装している」という意識はどこかにあると思います。
とはいえ…女子力みたいな話とは縁遠い、化粧は10分以内みたいな適当さですが…(実は眉毛も未だにちゃんと描いたことないのにこんなブログ書いててすみません…)。

プリミティブな話にすると、マオリ族の入れ墨も、アフリカの先住民族の化粧も大体「自分を強く見せるため」とか「魔除け」とかの意味があるので、現代社会においても同じなんだろうな…とは思いますが…。

ちなみにわたしのパートナーは「化粧してるかしてないか、いまいちよくわからない」というようなタイプです。それはそれで張り合いはないですが、私にとっては好ましいです。
でも…本当は「化粧をしてない女性を下に見る」ような男性も、化粧をしているとか、スカートをはいているとか、そんなわかりやすい記号でしか他者(異性)を判別できてないってことなのかな…と思うと、同じくらい鈍いのかもしれないなあ…と思ったりもするのでした。

ちなみに「化粧もダイエットもネイルもしないほうが女の子はカワイイぞ、わかってないな〜」っていうのも、言い方によると「化粧しろよマウンティング」と何ら変わりなくただ好みが違うだけの「自分は女を査定していい」って考え方によるところなので気をつけたいところです。「別に世の中の女はあんたのためにやってない」と言いたくなります。自分の彼女だけに言っていいことだと思います。

私もメガネ地味系男子が好きなのですが「男はおしゃれとかしなくていい、ぼーっとしてるところがいい!」とか、そういう風には発言しないようにしています。男女関わらず主語は小さく「私はそっちのほうが好み」くらいにしておいたほうがよいと思っています。自分が男性を選別・査定できる立場にいるとも思っていませんし、この辺の発言はへたするとタダの性癖の暴露になりかねないので、自他共に気をつけたいです。
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生まれなの? 育ちなの?

わたしは気が強いです。
なんでも自分で決めます。

友達の恋愛相談を聞いたりしていると、「○○だったらどうしよう」「決められない」というような話が多いな〜と思っていて、いつも話を聞いてツッコんだり背中を押したり、という役にまわっています。

比較的「言えない」「決められない」人が多いので、じゃあどうして自分は「何でも言う」「自分で決められる」になったのかな? とよく考えています。

生まれつきなの?
それともお育ち?

お育ちでいうと、私は4人姉弟なのですが、ほかの姉弟に比べてもちょっとパラメーターが極端な面がある、よく言えばパワフルな末っ子三女です。悪く言えば暴走しがち?
元夫が結婚の挨拶をしにきたときに父親が彼に「うちは4人姉弟がいて、みんな同じように育てたのにこの子だけ…どうも違うように育ってねえ」と言いました。そして元夫も「ええ、わかります(にっこり)」と答えたという思い出があります(なんじゃそりゃ!)。
こういったことを言われがちだったので常々「こんなよい環境で育ててもらったのに、なんでこうなっちゃったんだろうなあ?」と思いあぐねたりします。
自分の性質に対して「親と仲が悪くて反発してハングリー精神が養われた」とか「田舎の環境が悪くてそこから出るために頑張って来た」とかわかりやすいストーリーが展開できないので「この環境で育ったなら、もっと穏やかで女性らしい人間になっていてもいいはずなんだけどなあ」などといらぬ疑問を抱いたりしてしまうのです。

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男友達に言うと半分くらいに「生まれつきの性格なんだから理由なんて無いんだよ」と言われます。
しかし親とうまくいってない女友達から「さるちゃんは親に愛されて育ってきたのがわかる」と言われたり逆に「人生に違和感があるなら、親との関係を見直してみて!」などと言われたりするので混乱します。

新潮45シリーズに載っていた「池田小児童殺傷事件」の犯人・宅間守の話で、宅間守を妊娠中だった母親が「あかんわ,これ,おろしたいねん私。あかんねん絶対」と言ったというエピソードがあるのですが、どうして母親がそう思ったのかは謎のままですが「やっぱり生まれつきから人格に何かあるのかしら…?」と思うような話です。
しかし、これを聞いたある友人は「絶対そんなことない! 育て方に問題があるのだ。母親の妊娠中の思い込みが犯罪者を作った可能性がある」と言いました。彼は「人格は環境で決まる」と信じて疑わない人でした。それでもなぜ犯罪を犯す人の兄弟は普通の人だったりするのかしら。
同じ親からでもなぜ全然違う人格の人ができるのでしょう。

最近双子の話をWebで読んでて(自分もミックスツインなので興味があって)こんな記事を読みました。

第3回 パーソナリティも遺伝で決まる? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

安藤さんの研究によれば、新奇性追求、損害回避、報酬依存に遺伝が寄与する割合は、それぞれ、34パーセント、41パーセント、44パーセントだ。残りの66パーセント、59パーセント、56パーセントは、環境影響によって決まる。

 新奇性追求、損害回避、報酬依存といったパーソナリティに、遺伝が寄与することは前に述べた。さらに、パーソナリティのモデルとして有名な「ビッグファイブ」(5因子モデル)について、安藤さんたちが調べたところ、これもやはり遺伝要因が大きく効いていることがわかった。5つの因子とは、外向性、神経症傾向、誠実性、調和性、開放性。それらが、順番に、46%、46%、52%、36%、52%が遺伝要因で、のこりは環境要因という結果が出た。
 人の性格を形作る要素が、かくも遺伝の影響を受けていると示されて、どのように感じるだろうか。
 ぼくとしては、その寄与割合の大きさはやはり驚きだ。「調和性」を除き、ほかの要素は「だいたい半分は遺伝で決まる」と言っているわけだから。さらに、この結果は、安藤さんたちの研究のみならず、カナダ、ドイツなどでも、同じ方法で調査され、きわめて似た結果になったという。我々人類の「心」の普遍性を示しているのかもしれない。

大体半分くらいは、遺伝!
つまり、生まれつきでもあるし、残りの半分は育ちによる。
でも確かに、姉達に子供が生まれて姪っ子甥っ子を見てると生まれた時から性格ってあるし、それぞれの個性ってあるんだなあというのが実感なので「人間はまっさらな状態で産まれてくる」わけではないんだな。と思います

「目がいい・悪い」とか「足が速い・遅い」とか、そういうのはと同じように「気が強い・弱い」も体質なのかな。と思えば納得もできます。
でも目が悪かったらメガネをすればいいけど、気が弱くて言いたいこと言えない人ってどうしたらいいのでしょうか。私は昔逆に気が強いのを押し隠そうとして失敗したりしたこともありましたが、今は経験をつんで多少は周囲を揉めないようになりました。
気が強いのは「言い過ぎない」とかセーブすればいいけど、それに比べると「言わなきゃいけないことを言えない」ほうは克服が難しいような気がします。

私が「気が弱い」「うまく言えない」人と付き合う分ときには「この人は早く走れない」とか「重い荷物が持てない」みたいな感じで相手の力に合わせるように気をつけています。
自分の視力が裸眼で1.2あるからって視力が裸眼で0.1しかない人に「なんで見えないの?」と言うのは横暴な人なので「目の悪い世界は私にはわからないけど、この人はきっとよく見えてないのだろう」ということを前提にして付き合っていけば、衝突も減ると思っています。

最近は、女友達の恋愛相談で男性に対して「どうして彼はこんなに鈍いの?」とか「どうしてこんなに簡単なことがわからないの?」みたいな愚痴を聞いたりすると、私は「それは自分が足の走れる速度が速いのに、おまえの足はなんでそんなに遅いんだ!」って言ってるみたいなものじゃない? とアドバイスするようにしています。
「相手の気持ちが読み取れるとか」「気が利く」とか、そういうのもある程度は訓練でなんとかなるとしても、結局ある程度は産まれながらの資質によるんじゃないかなあと思うと諦めもつくし「じゃあどうやって足並みをそろえようか」という気持ちになれるんじゃないかなと思っています。

しかし問題は相手の「察知能力」とか「理解力」とかは体力測定とか、視力検査みたいにはっきりしないので、深く付き合わないと相手の力がよく見極めできないことなんですが…。
たまに「気の強さ・弱さ」とか「察知能力」とかも数値化して測定できたらいいんじゃないかとも思うのですが、できたらできたできっと問題が出るのかもしれません。

ちなみに「言いたいことがうまく言えない」タイプの女友達の恋愛相談を受けてると「相手に言わなければならないことをどう伝えさせるか」というところで難しいなあ…と思ってしまいます。目が悪いからって、メガネを渡すみたいなことはなかなかできません。こういうのも、訓練とか練習とかでなんとかなるのかなと思いつつ。友人の人生は友人のものなので、ある程度のアドバイスはしつつもそっと見守るようにしています。

人格は産まれながらのものなの? それとも育ってきた環境によるの?
という私の疑問はとりあえず「それぞれ半分づつ」らしいという答えを得たのですが、どっちでもあるし、どっちとも言えない。ということでした。
ある程度の性格は「きっとそれはたぶん生まれつきだから」と諦めたりしつつ、後天的に訓練で変えたりすることもできるということかな? と思うので、今後も迷ったり悩んだりしながら調整するしかないんだろうなあと思うのでした。


ちなみにこのナショナルジオグラフィックのサイトの連載は5回全部面白かったのでオススメです。
【研究室】「研究室」に行ってみた。 行動遺伝学・教育心理学 安藤寿康 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

空手とブログと虚と実

ちょっと前、ブログ事情に詳しい方と色々お話をする機会がありました。
どうして私がこのブログを始めたのか、とかPVについてなどの話を聞いたのですが、最近空手の後輩に成果を出すための考え方を話をしたところで「どちらにも通じるところがあるなあ」と思ったので自分の備忘録的にまとめてみました。
というわけで、長文です。お暇な人だけどうぞ。

空手を始めたきっかけ(フィジカルとメンタル)

私は空手を始めて12年目。
私はスポーツやら体を動かすことが昔から嫌いで、習い事をするなんてみじんも思っていませんでした。
20代後半で突然空手を始めたきっかけは「たまたま友達に誘われて」で、その時「フィジカルの感覚がなさ過ぎる」生活をしていたのが原因だと思います。

一人暮らしでフリーランス。通勤もないので外に一切出ないで家の中でパソコンと向かい続ける毎日。クリエイティブもデジタル、納品する成果物もデジタル。報酬としての入金も口座の数字だけでした。
友達とはたまにしか会わずに、やりとりチャットかメール。仕事もほとんどメールです。一度も電話でさえ会話せずに仕事が終わるなんてこともザラです。
気が付いたら1日、コンビニの店員さんと交わした「お箸はいりますか」「いりません」だけがリアルな会話だったりしました。忙しいとそんな生活が1週間とか続いたりして、仕事もしてるし、社会とも繋がってるのに「体の感覚」がどんどん無くなっていきました。

ある日、気が付いたらパソコンを眺めている私の体は目と手だけしか動いて無くて、身体感覚がなくなり「ポインターの矢印が自分」なんじゃないか…という錯覚に襲われました。
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そんな生活をしていたらメンタルが健康になるハズもなく、たまに実際に人と会うと久しぶりに人と話してることに興奮してテンションが上がりすぎたり、それが原因で人とうまくいかなかったり…わたしはちょっとおかしくなっていたのです。

対人関係でメンタルに打撃を受けたある日「このまま家にいたら死んじゃいそう」と思った私は友達に「ゴハン食べに行かない?」と連絡しました。すると「空手の体験に行く」と言われました。
「空手…?!」それまで人生でなんら接点のないものでした。
空手なんて興味ないけど、今日は家にいたらいけないと思ってでかけることにしたのです。

初めて空手をやってみたら、あまりに分けがわからなくて、自分の体の知らないところを動かさなきゃいけなくて、あたふたしました。
そして終わってから「あれ? 今の時間だけは頭でごちゃごちゃ考えてなかったな」と気が付きました。そしてなんだかスッキリしていました。
行く前まではあんなに「今にも死にそう」みたいな気持ちだったのに、それほどでも無くなっていたのです。そして気が付いたら毎週通っていました。
そしてどんどんハマり、あっという間に黒帯を取り、4年で弐段に。多いときは週に3、4回練習に行っていました(今は週1くらいです)。

友達に「それ以上強くなってどうするの?」「何になりたいの?!」と言われたりしましたが、とにかく「メンタル」と「フィジカル」の関係性を考えるのが面白かったのです。
私はそれまで本当に「人と会話する」レベルでも「フィジカル」が足りてなかったので、自分の頭を使ってるのと同じくらい体を使わないとバランスが取れなかったのだと思います。
正直あの時に空手に出会ってなければ精神科のお世話になっていたかもしれません。
元々メンタルを病むようなタイプではないのですが「声を出す」レベルで体を使わない生活をしていたらバランスがおかしくなると思います。何か嫌なことがあっても、家に一人しかいなければ声も出せません。そんな状態で生きて行けるのはネットとパソコンがあるからで…そう考えると意識して体を動かさないとダメだと実感しました。

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ちなみに最近は悩み過ぎている人を見ると「空手でもしたら」と勧誘する空手妖怪に…。
いいですよ、空手。オススメです。

体と心と虚と実

その時からすごく意識するようになったのは「虚実」についてです。

わたしようなデスクワーカーには「実体の無いもの」が多いです。
体を動かすことは「実体のあるもの」で、メンタルは目に見えにくい「実体のないもの」。
とはいえ、頭の中にも「実」と「虚」は存在しています。
本音や本当に自分が願っていること、必要としていることが「実」だとすると、見栄や虚栄心、不必要な不安や怒りは「虚」だなと感じるようになりました。
体を使っているうちに、この「虚」の部分が小さくなっていくのを感じました。
体を使わずに家で悶々と悩んでいると、脳に使うパワーが有り余り過ぎて、実際にはまだ起こっていない出来事まで「こうなったらどうしよう」などと何手も先のことを考え始めがんじがらめになってしまいます。
トラブルが発生すれば「アレはきっとああいう意図に違いない!」などと被害妄想が膨らみ、必要以上に事を大きく考えてしまったり、とにかく頭の中の出来事のボリュームが大きくなってしまうのです。
これが、体を動かして帰宅するとスッキリと余計な考えが抜けて「事実関係」だけを冷静に考えることができるようになりました。

友人にこの話をすると「それ、脳に酸素が行ってなかったんだよ」と言われました。
「脳に酸素がたくさんいくと、人間は大体ハッピーになるんだ」と教えてもらい、体を動かしてなかった血の巡らない頭の私は、まるで新しい水が入ってこない淀んだ沼みたいだったな…と思いました。
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そこから私は「虚実を見極める」ということに興味を持つようになりました。
空手の面白いところはその「虚と実」が実際に目に見えるところだと気が付いたのです。

空手の動きには全て意味があり、一人で打つ「型」の動きも全て「相手」があり、技になっていて、これを理解せずに動きだけまねていても「型」になりません。

その動きにその人のイメージや理想が反映されてしまいます。「技」にストイックな人の型はとても正しく美しいです。「自分の体の力が、相手に伝わるか」とか「相手の攻撃をいかにうまくかわせるか」という動きは余分な力もなく、とても強く見えます。
ところが「かっこよくみられたい」「他の誰かよりも、よい型だと思われたい」などという邪念…「虚」が型に乗り始めるとそれは不必要な力みや勢いになり、その型は崩れ始めてしまいます。
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これに気が付いてから空手以外の場所で使われる
「肩に力が入ってる」
「お腹に力が入ってない」
「力みすぎる」
「脇が甘い」
「気合いが足りない」
などという言葉が本当に「その状態だと実力を発揮できない」ということを指し示している、ということが実感できました。

人は感情が体に出るのです。

つまり「フィジカルとメンタルは密接に繋がっている」ということがよくわかりました。
どんなに頭で理想を考えても、体を使って実現しなければ意味がありません。そして逆に体を正しく使うことがメンタルに影響を及ぼしたりもするのです。  

緊張しているとき、大きく息を吐いて肩から力を抜き、お腹に力を入れると実際に気持ちが落ち着きます。逆にこれからすることに自信があったり確信がある場合には人は肩に力が入ったりしません。
立っているだけでも、肩が上がって首がすぼんでいる人はすくんでいるように見えて弱そうに見えますし、肩が下がっていて胸を張っている人は自信満々で強そうに見えます。
そして、それを空手で体現するためには実際に何度も練習をし、自信をつけ確信をもたなければそのようには立てないのです。

組手と一対一のコミュニケーション

空手には一人で打つ「型」と、一対一でやりとりをする「組手」があります。
うちの流派はハーフコンタクト(一応当てるけどダメージを与えない、引き手のある突き)。
この組手を見ていると大体その人の恋愛傾向が見える…というのが私の持論です(これを空手の人に言うと結構嫌がられます…)。
フィジカルを動かすことはメンタルに影響を及ぼすのですが、ヨガやダンスと違って空手をはじめとした武道は「相手ありき」の考え方です。必ず他者が存在します。
組手も恋愛も一対一のやりとりなので、その人の理想や本質が空手の中に見える…と思っています。普段とても大人しい人が組手になるとがぜんヤル気になる…という場合は大体、恋愛でもそうです(笑)。
そしてやはり、恋愛に消極的なタイプが組手で積極的だったりすることもほぼありません。恋愛が不器用なタイプは、やはり組手でも不器用です。
技として精度が上がっていくと、必ずしも恋愛傾向と一緒になるとは限らないのですが組手の経験値が低ければ低いほどわかりやすくスタイルに出てしまいます。

なので、審査会での組手を私は大変悪い顔で眺めています…。
「ほほう……○○さんって意外と自分から行くタイプなのね…」
「おお…○○くんはやっぱり相手に攻めさせてから最後にかっこよくキメたいタイプなのね…」
「ふふふ…○○さんて、相手のこと全然見てないから彼氏がいるのに告白しちゃうタイプよね……」
「あ〜〜○○さんって、戦う前から勝手に思い込んで諦めるタイプかぁ…」
…などなど。

では、自分はどうなのか? と考えはじめました。
私は組手してるとき、何を考えているのかな…と。
相手が目の前にいるとついつい「負けたくないな」とか「かっこわるく負けたらどうしよう」などという考えが頭の中を一瞬よぎります。でもそれは「虚」であって本質ではありません。

組手の本質とは何か。それはいかに相手よりも先に自分が攻撃をするか、ということです。その場合「他人からどういう評価を受けるか」を予想したりそれに怯えたりするのは意味がありません。
相手の動きをよく見て、どれだけ「技」に純粋になれるか。ただそれだけを考えたいと思いました。

相手を目の前にしても、私のテーマはなるべく「虚」を無くし「実」を極める。
というものだなと思いました。

自分の恋愛観と同じか、と言えば確かに自分が相手を「好きかどうかだけに純粋になりたい」という理想はあるかもしれないと思います。条件とかスペックとか、人から羨ましがられる相手とか、そういうのではなくて「打算なく相手を想いたい」のが理想だと思っています。

もう一つ、自分の組手について考えて気が付いたのは「他人が怖くない」ということです。
私は普段から自分の言い分を言うことに全く抵抗がありません。
これに抵抗がないタイプは、他人を攻撃(突く)ことにも抵抗がないと思いました。
なぜなら、自分がそれをされても大丈夫だからです。他人から自分の弱点(隙)を攻撃(突かれる)されても組手のやりとりにおいては同じ土俵の上にいるのだからフェアです。
隙があったら突かれるのは当然のことで、それが嫌なら練習すればいいし、勝ち負けにこだわり過ぎなければまたそのやりとりも楽しいです。なので大体組手の時の私は…とても楽しそうだと言われます。
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そして…自分が隙を突かれても平気なので…相手の隙も容赦なく…突けます…。後輩や帯下相手には遠慮しないと…いけないのですが…隙が見えたら考えるよりも先に体が動いてしまい、何度かちょっとキレイに入り「やっちまった!」ということもありました。
でもこれも実際の人間関係でもすごくよくあることなのです…(反省)。
組手は人間関係(恋愛傾向)とよく似ている。という持論は自分の行動からも大体そうだろうな…と思います。


ブログの中の虚と実

長い…長すぎるけどやっとここでブログの話です。

私はPVなどにあまり興味がなく、PV集めのためのテクニックなどを教えて頂いてもピンと来ません。
その数を稼ぐことを目的にするのは私の中で「虚」だからです。
本当に誰かに伝えたいこと、自分が思っていて誰かに届いたらいいなと思っていることが「実」であり、それがないものは意味がないと思います。
なので「こうしたらアクセスが伸びる」とか「ブログでお金を稼ぐ」という話は全然興味がありません。

たまたま自分が伝えたいことがある一定数の人に響いたら嬉しいです。「自分の伝えたいこと」が空手で言うところの「突きの力」だとしたら、正しく伝われば「よく効く突きを打てた」ということだと思います。
ブログで書いたことを共感してくれる人が多ければ「おお、板が3枚は割れたかかな」というような気持ちになります。
なので、そこの反応がネガティブなものばかりなら「正しく伝わらなかった」「自分の体制が崩れていた」ということだと思います。
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ただたまに「どうやったらそういう解釈になるの?」という不思議な人もいるのですが、実際空手でも明らかに打たれても認めない人もいるし、全然突けてないのに突いてるつもりの人もいるから「そういう人はいる」とは思っています。

PVやアクセスのためにわざとネガティブな「釣り文」を書いてるような人を見ると、私には「効かない突き」を打ち、形ばかりの「型」を打つ人にと被って見えるのです。

私が好きなブログはみな「自分が本当に伝えたいこと」を書いてくれている人達で、器用でも不器用でも「実」のある強い「突き」を繰り出す人達に魅力を感じるし、面白いと思っています。

ちなみに私はネット上においては組み手はしません。
相手の目線も息づかいもわからないので、目をつぶって組手をするような状態で正しく組手ができるとは思いません。人類の好感・反感における(←修正しました)コミュニケーションで言語が占める割合はたった7%だという俗説を聞いたことがあるのですが、実際に目は口ほどにモノを言うし、声や呼吸、筋肉の強ばりから感じられるものはすごく大きいです。

目の前に人がない場合言語以外の情報が(←修正しました)一切「虚」の状態で、敵だと思っていたら自分の影だった…なんてことはよくあります。もし私を攻撃する人がいたとしても「虚」の状態で攻撃されている限り、私は返すつもりはありません。
目の前に人がいる。という「実」の力はとても強いです。「噂で聞いたことのある人」に実際に会ったら全然印象が違った。ということもよくあります。ネットでケンカするくらいなら、相手の家に直接行って話がしたいです。逆に直接殴り込めないような距離感の相手とは縁を深くする必要もないと思います。
ちなみにこの本を読むと、Hagex先生は「『虚』と戦う暗闇組手の師範」みたいなものだな…と思いました。
「ネットの釣りとデマのルールブック」Hagex先生の本。 - ハート♥剛毛系
ここまで来ると「虚」の中の「実」を追い求めることになるので、求道的だと思います。
ちなみにHagex先生は空手やったらすぐに上手くなり、絶対にえげつないスバラシイ空手家になると思うので、空手やらないかな…と密かに思っています…。

そんなわけで、何事も人生のテーマというのは一貫していているのだなあと思いました。
今後もそんなことを考えながら全てにおいて「虚」を減らし「実」を求めてやっていきたいです。


…と、こんな話を空手の先輩にしたら「おまえはどこの達人だ」と言われました…。
テーマがデカイらしい…。
占いでもよく「考え過ぎ」と言われているので、基本考え過ぎのようです…。

「私は奥さんじゃありません」

わかってます。こういうこといったら「めんどくさい女だなあ」って思われるの。
先日パートナーの仕事関係の相手に紹介される機会があったのですが「奥さんです」と紹介されたのでした。
家に帰ってから「あそこは『奥さん』ではなくて『パートナー』か『妻』と紹介して欲しい」とお願いしました。


私が今「法律婚」をなるべくしたくない理由に「どちらかが改姓するリスク」があります。
結婚して改姓すること - ハート♥剛毛系

しかしこれだと「選択制夫婦別姓」が制度として利用できるようになったら「法律婚」するのか、というと、そうではないです。私が「法律婚したくない、メリットを感じない理由」は「お財布を一緒にしない」からです。

現在のパートナーも私も給料でお金をもらっていないので、仕事とプライベートのお金の境界線が曖昧です。お互いが独立した経済活動をしているので、共有財産を持たない方向での関係を形成しています(この先、状況によっては変わるかもしれませんが)。
その場合法律婚によるメリットは殆どありません。
どちらかがどちらかの扶養に入ることもないですし、共有財産も今の所ないので相続する財産についても特に現状としては公正証書を作ってお互いに渡るようにする…というほどの状況でもありません。
(ただ、病気・介護・死後の事後処理などはお互いに任せることになっているので保険については受取人をお互いに変更する予定です。)

たまに「お財布を一緒にしないなんて夫婦じゃない」みたいなことを言う方がたまにいらっしゃるのですが、それが夫婦でないなら、そうでなくてもよい、と思います。
なので、できるだけ「法律婚をして姓を一緒にしないほうがよい」と考えています。

なぜ私がここに大きな抵抗感があるかといえば「日本は結婚したら稼ぎは男性、女性は働いていたとしてもサポート的な収入スタイル」という大きな固定概念がある、ということがあります。
たとえばこういうところで議論されていることとか。
本当に「子持ち女性の給料は男性より61%も低い!」? - Togetterまとめ

海外に比べてとか、数字や制度がどうこう…ではなくて、私が最初の結婚したときに、すごく肌で感じたこととして「結婚したんだから、もうお金の心配はないんだよね?」という誤解はものすごくあった、ということだけは事実です。

特に私は企業に勤めておらず、フリーランスなので主に在宅業務です。
初婚のときにかなり多くの人に「これからはダンナの稼ぎで悠々自適。好きな仕事だけやればいいからいいわね」と思われたようなのです…。
実際に、女友達の中には「結婚したら仕事をセーブしたい」という人もいます。家事や子育てにシフトしたい、というのは結婚のある理想のスタイルでしょう。
「何があっても仕事は辞めない」と決めていた私はこの辺のイメージに無自覚だったことにとても後悔しました。家庭的であることと、仕事をすることは私の中では両立できることだったからです(実際はそれがまた離婚の一因になったわけですが)。


結婚したてのときに、仕事の予算の相談をされた際に「もう結婚したから(安くても)いいじゃないですか」と言われ、ギャラの値引き交渉をされたことがあります。その時はかなりショックを受けました。
おそらく先方は「お金が無い」という条件が先で理由はなんでもよかったと思うのですが「結婚したんだから」と言われてしまうのは完全に女性差別…と思いました。男性だったら「結婚した」はむしろ理由にならないので、別の理由を言われるはずだと思いました。

元夫の父親(元義父)からは「イラストレーターなどで暮らして行けるわけがない」と思われていたようで…ことあるごとに「芸術家のタマゴだから…」とか「私の知り合いに絵画教室やってる人がいるけどいってみないか」とかいわれ、「どんな仕事でも(収入が少なくても)辞めないほうがいい」とか彼なりに悪意の無い励ましを沢山いわれました。

「いや、私あなたの息子に、養われていませんし、おそらく私のほうが収入があります」

と、何度か面と向かって言おうかと思ったのですが、角を立てたくなかったし、そんなことを言ってもしょうがない…と思って黙っていました。

それまではフリーランスで仕事することになんら不自由を感じることがなかったのに、結婚したとたんに「イラストレーター・グラフィックデザイナー」「在宅業務」へのイメージというのは「主婦に毛が生えた趣味程度」というような扱いに変わってしまった…と感じることが何度もあり、ものすごくショックでした。


仕事上の付き合いがあまりおろそかにならないように…と仕事関係の会合などにもなるべく参加するようにしたのですが、そういうことをネットで書いていると全く知らない人からブログに「ちょっと夜遊びしすぎじゃないですか?」などとコメントがついたり…と、突然「良き妻」としての枠にはめられてしまうのだ…と全く結婚前は知らなかった現実を目の当たりにしました。
(ちなみに私は元々お酒が飲めないので朝まで飲んだり、というようなことはありませんでした)

もちろん、わたしのネームバリューが中途半端だとか、結婚などがプラスに働くほど売れっ子でない、とかそういう自己責任の部分もあります。
私の友人の中には結婚して出産した後に会社を設立して積極的に活動している人もいます。そういう人にくらべて私はかなりのんびりしていて、意識が足りてなかったのです。しかし、そういう「結婚した=男性の庇護下にある」というイメージがこれほど大きかったのは結婚するまで予想も出来なかったのでした。

そういった中で私にチャンスがやってきました。「30日で世界を一周する旅番組に出ませんか」というオファーです。
予算がないのでタレントさんを拘束できないが、何かクリエイティブな職業の人を選び、その切り口で番組を作りたい。ということでした。
私は「結婚して家庭に入った」というイメージを払拭したかったので企画書を書き選考にエントリーしました。そして無事に選ばれてその仕事をお受けしました。

その仕事をしたおかげである程度は「仕事します!」というアピールになったところもあるのですが、同時に「結婚しているのに、女が30日も家を空けるなんて」という批判も浴びました。
離婚した、という報告をしたときも少なくない人に「やっぱりあんな仕事してたから?」と言われました(ちなみに元夫をよく知る人からは全く言われませんでした)。
既婚者の男性からは
「オレだったら奥さんがあんな仕事するの、許さないよ」とか
「あんな理解ある男性と別れてもったいない。あんなワガママな仕事を許してくれる男性なんて、そういない」などと言われました。

実際「おまえらうちの事情しらねーだろ! 何勝手なこと言ってやがる!」と思ったのですが、キレるほどの知り合いでもないので受け流しました。あ…すみません、嘘です。2つめのケースは「女が働くこと自体、ワガママだ」というふざけた男尊女卑論調だったので後から少々やり返しました…。
現代にこれだけ共働きの家庭が増えているという現状でも「女性が長期間仕事で家を空ける」ということがこのように扱われる、というのがわからなかったので、自分は世間知らずなんだな…と思いました。

もちろんこの話を聞いて「何言ってるの!? 女は男の所有物じゃないし!」とドン引きしてくれる男性も多々います(今のパートナーなども含む)。
でも「ああ…この世の中は私が思ってるよりもずっと『結婚』に対して保守的だったのか…自分が知らなかっただけなんだ」と思いました。

実際の私の離婚理由についてはこちらを読んでいただければわかると思います。
川の水を飲んでいた女と呼ばれ - ハート♥剛毛系
(ちなみにこのエントリー…Twitterでの言及が2500とかになっており、どれだけ皆さん苦労しているのか…と思いました)

元夫は私が仕事をすること、活躍することに関しては大変協力的で…というか、むしろそれだから自分はのんびりしていてもよい…とさえ思っていたところがあるようなタイプだったので、こういったギャップはとてもストレスでした。

「社会的に強者とは言いがたい」今の自分の現状で「法律婚」をしてしまうと「男に養われている」というイメージが先行してしまう、というのが私の実感です。どこかの企業の社員であったり、会社を経営していたり、医者・会計士・弁護士等の専門職であったり仕事のイメージが確立している女性はまた別だと思いますが、それはそれでおそらく別の苦労があるのだとは思います。

私は仕事を一生したい、と考えています。
どんなに仕事が減ったり(イラストのお仕事は他業界とも同じように斜陽と言われていますが)、どんなに苦境に立ったとしても仕事は辞めたくありません。

そして、何よりも実際に現在「経済的にパートナー男性の経済的庇護下にない」のです。



……というわけで、長く(ちょっと恨み節っぽく)なってしまいましたが…最初の話に戻ります。

「私は、奥さんじゃありません」です。

ただの言葉かもしれませんが「わたしはあなたの奥さんではありません」とパートナーに伝えました。「家内」「奥さん」は家の中にいる人のことが語源なのでイメージとしても事実としても間違っています(…実際家の中にはいますが経済活動をしているので)。
ただ、彼は私を「妻」として紹介できるのが嬉しかった、ということは理解していますし(実際嬉しそうだったし)、たまたま「奥さん」という言葉を選んでしまっただけ、というのもわかっています。それが原因で喧嘩などもしていませんが「今後は『妻』か『パートナー』として紹介して下さい」とお願いしました。
私ももっとこんなことで悩まなくていいように、仕事頑張りますので。
まあ…そのときに相手の人(一流企業の男性)に「とうとう○○さん(パートナー)も観念しましたか」と言われたのがすんごくカチンと来ちゃっただけなんですけどね。
たぶんその人の頭の中では「結婚=男が女に捕まる」なのかな…と思いました。
いや、養ってもらってないし、捕まえてないし、ていうかむしろ捕まったし!!!
とそこで思ったのがおそらくこの長文のモチベーションでしょう…。
「どうやって紹介されたら『観念した』とか言われなくて済むのかな」と考えて、せめて「パートナー」とか言われたら違ったのかな…と思ったのです。(それでも言う人は言うのでしょうが)


ちなみにこの辺の事情を私よりもたくさんお仕事している子持ちの既婚先輩女性作家の方(在宅業務)にお話したら「わかる…」と深く共感していただきました。子供がいたら自分のポジションは「お母さん」になって更にもっと「自分が家計を支える仕事をしている」「男に養われていない」ということが理解されなくなる。と言われました。

そしてその事情を説明すると「なんでそんな稼げない男なんかと結婚したの?」と言われてしまうという…。これは男性に対しても性差別だと思うのですがパートナーを持つ男女、どちらが「稼ぐ」役目を担っていてもその家庭でのバランスさえ取れていれば他人が口を挟むことでないはずです。
子供の行事に父親だけが出てきても父親が子供に食事を作ってもお弁当を作っても、母親が、妻が仕事に追われていても、今よりもずっと多くのひとが「あの人のおうちはそうなのね」で済むようになるといいな…と思っています。

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追・ちなみに「奥さん」よりも何よりも最強ワードは「社長」です。共働きで夫がどんなに小さい会社でも「社長」をやっている場合、女性の「いいわね、悠々自適で」と思われ感はハンパ無いようです。私の友人で「夫が社長」の人がいるのですが、小さい事務所の社長なんて、自転車操業、個人事業主に毛が生えた程度、事務所併設の自宅の家賃も折半だったのにも関わらず私以上に「仕事は片手間にできて羨ましい」という扱いを受ける、と言っていました。彼女のお仕事はファッション系だったので、より華やかさが悠々自適なイメージを抱かれたというのはあると思いますが。
女性でも「社長」をやっている限りは「家庭的奥さん」のイメージはつきにくいです。なので「社会的地位」を示す言葉の力は大きい、と思います。

期待の値が高いとキレやすい

私の現在のパートナーは出会った当初、キレやすい人だった。
知り合ったときは仕事上の付き合いだったのだが、普段はおだやかなのに何かの弾みでキレてしまう。もちろん最初はビックリした。
正直「このタイプは奥さん大変だろうな」と思った。
彼がバツイチになったのには、それなりの理由がある。と思う。

数年後、そう思った相手と付き合うことになったわけだが、やはり彼がキレる場面はあった。

私はキレられるとシャットアウトした。電話でキレられた場合は、相手がキレ始めて最初のセリフを言い終わる前に電話をブッチ切り。以後電源を切り「キレた人とは話をしない」という態度を貫いた。

キレるのは正直言って甘えだと思っている。そうやっても許してもらえる。という前提において彼はキレていた。仕事のときは、なるべくスムーズに物事が進むようになだめすかし、なんとかうまくやろうとこちらも努力した。しかし、個人的な付き合いになってからは、こちらが離婚後で疲弊していたのもあり(元夫も突然不機嫌になったりするタイプだったので)、正直男性の感情的な甘えを許せるだけの余裕がなかった。
彼がキレてからこちらの感情の氷点下への墜落、そして私が容赦なく電話を切るまでのジャッジは2秒くらいだった。人生で1、2を争う冷酷無比っぷりであった。

1、2時間後くらいに電源を入れると弱り切った彼からの留守電とメールがたっぷり残っていた。
最終的には「キレてごめんなさい。連絡を下さい」となっていたので返事をした。
これは何回か繰り返した。

そしてなぜ彼がキレるのか、ということを観察した結果。彼は自分のことを「人に意見を譲る、自己主張しないタイプ」だと思っているところが原因だと思うに至った。
彼は自分と違う意見が出たときに、まず相手に合わせてしまう。そしてやり過ごしてしまう。そのまま事態は進むので、彼はずっと我慢し続けることになる。
彼の中で、その事実は膨らみ続けるが、それを表明しないまま「ボクはイイ人だから我慢している」という認識のまま進む。当然、本音は表明されないのでこちらは気が付かない。
そして、最終的になにかちょっとしたことがきっかけで「こっちはこんなに我慢して譲り続けているのに、どうしてそんなにおまえは気を遣ってくれないんだ!」と爆発するのだ。

「アホか、こっちはエスパーじゃねーんだから言わなきゃわかんねえよ」
キレられた私の答えはこれである。

私は基本的に「我慢して、その後爆発するようにキレたり」しない。
最初の段階で自己主張する。
何かおかしいと思ったらその時点ではっきり言う。
問題はあまり先送りにせず、解決しながら進めると「私ばっかり我慢している!」と苛立ちを溜めることが無くなる。私は問題を保留にしている時点でそれを自分の過失だと考えている。
彼はそれを「ワガママ」「自己主張が強いタイプ」と認識していた。
「君がワガママだからボクは譲っているんだ」と思っていた。

とにかく私は、徹底して「キレる前に我慢するな」と訴え続けた。
少なくとも私と付き合っていくならまず「意見を譲ってあげる自分はイイ人」という自己認識から直してほしい。こちらは言われなければ絶対わからない。ちゃんと話し合わずに最終的にキレてしまってはそれまでした我慢も心遣いも全て台無しになるだけ。とにかく我慢するな。我慢している、という認識を持ったらその時点で口に出せ。と言い続けた。

彼は自分がキレるまでの思考の仕組みについて考え始め、なるほど…とムカついてキレそうになってから「どこで自分が我慢していたのか」「何を納得していなかったのか」を認識するようになった。そして徐々に「ここはこうして欲しい」「ここはこういうほうがいい」と表明するようになった。


そして最近、共通の仕事以外のコミュニティの中で「彼は苛立ちを覚えるが、私は全然気にならないこと」の差や、コミュニケーションの差について話をするようになった。
そこで私が彼に言ったのは「自分ができることが必ずしも相手に出来るわけではない」ということだった。

簡単に例えを言うと、彼は待ち合わせの10分前に必ず現場につくタイプで、メールは即座に返すタイプ。なので、遅刻する相手に苛立ち、メールを中々返さない相手に苛立つ。
(ちなみに仕事でルーズなのはもちろんアウトである)

私は自分も遅刻することもあるし、うっかりメールの返信を忘れることもあるので他人のルーズさにも甘い。そして相手が自分よりもルーズだったとしても、その人と付き合って行きたい場合は「そういうタイプ」だと思ってそういう対応をする。飲み会のお知らせ同報メールには返信してこないタイプだったらLINEで確認するとか、そういう手間をかける。それを別に厭わない。それが嫌なら付き合わなければいい。と思っている。

そういう私の考え方と行動を見て彼は
「許容量がデカイというより、そもそも相手にあんまり期待してないんだね」と言った。

彼は「自分がここまでしているのだから、同じことを相手もするべきだ。返すべきだ」と思っていた。つまり、相手の能力を高く見積もって相手の行動に期待している。その期待が裏切られるから怒り始めてしまうのだ。
しかし、相手は必ずしも同じ価値観を持ってるとは限らない。物事の優先順位も違う。それは育った環境やしている仕事、色々なものに影響されている。
相手の性格やバックボーンまで考えて「この人はこういうところがあるけど、こういうところがいいからこう付き合おう」と考えれば、自分の価値観と違うからと苛立ったりすることは少なくなるということに気が付いたという。

相手がパートナーであれ、友達であれ何かを我慢して「どうしてあいつは○○しないんだ!」とキレた時点で、その前に何かできたのではないか。と考えるようになってくれた。


そして彼は「苛立つ前に建設的な意見を言う」という行動に変わってきた。

私たち2人の間でお互いの予定を「言った、言ってない」で喧嘩になることが多いとなればオンライン上でカレンダーを共用して書き込んでおくルールを作った(つまりそこに書き漏れていたら相手の過失になる)。
忘れそうな頼み事がある場合はメールを使いメモとして残す。伝わりにくいメールでのやりとりで齟齬が出たらすぐに会話に切り替える、など「キレない」「喧嘩をしない」ためのルールを作るようになった。

相手は別の人間で伝えなければわからない。言わなくても「自分と同じように考えて、同じように行動してくれる」という期待を無くす。

もちろんそれでも喧嘩をすることはある。その場合は後から原因を説明して、お互い次に繋げる。お互い何がイヤだったのか、どこですれ違ったのか必ず話し合い、その日のうちに解決するようにしている。

そして気が付いたら、彼は滅多にキレなくなっていた。わずか数年の間に。
仕事でイライラしても「あ…相手に過大な期待をしちゃってるな。見極めないと」というような考え方をするようになった。
イライラしている自分を正当化せずに客観視するようになってくれたのだ。


ちなみにこの相手に対する期待する値を下げすぎてもいけない。
私は元々「気が回る系ではない、ちょっと鈍いくらいの男子」を好むので「気が利く」とか「察する」とかをはなから期待していない。しかし「相手はこういう人だから受け入れよう」「自分が納得しているから大丈夫」と「自己処理」をやり過ぎると「川の水を飲んでいるのに幸せ」みたいなことになってしまう。

川の水を飲んでいた女と呼ばれ - ハート♥剛毛系

だから私が彼がキレたときに容赦なく電話を切れたのは、おそらく「期待していた」からなのだった。それをしても、彼が私に対して頑張って向かい合ってくれるであろう。ということを。
そして彼はその期待に応えてくれたので、私は彼を信頼することができた。


相手に対しては期待しすぎてもいけないし、期待しなさすぎてもいけない。
常に関係にしこりを残さず末永く信頼し合い付き合っていく為に、お互いの期待する値のバランスをうまく取っていくように心がけている。



ちなみに私がパートナーにキレないか、というとそういうことは全然ない。
聖人君子ではないし、残念ながら女性的なホルモンバランスによる情緒不安定さを発揮することもあった。

若かりし頃はキレたり、さめざめと泣いたりしてから「あれ? なんでこんなことで感情的になってるんだろう」となり、後から「ごめん…ちょっと今日そういう日だったみたい…」と謝っていたりしたのだが、さすがに20年以上そういう周期があると経験値が積み上がり、爆発する前に「あ、今はそういう時期、そういう時期」とセーブはできるようになった。もしくはあらかじめ「今、イライラ期かも」と相手に先に申告したりもしている。しかしそれでもムキーとキレてしまうことは無くせていない。
なのでキレた瞬間に「あっっ! やっちゃった」と、その次の瞬間に謝る「キレながら謝る人」となり、キレと客観的な説明が同時進行するビリー・ミリガン状態に…。
相当おかしなことになるのだが、彼はそれなりにこちらの努力を汲んでくれるのでなんとかなったりする。

…その後、出産後のせいか、それとも加齢かこんなこともだいぶ減った。それとも彼がキレることがなくなってストレスが減ったせいかのか。でもホルモン…は恐ろしい。また更年期になったら復活するかもしれないけど。

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というブログを書いてパートナーチェック待ちで保留にしてたらこの記事が話題になっていた。

「察してほしい」気持ちをなくせば夫婦喧嘩は8割減る - はなこのブログ。

これはわりと似た話で逆パターンなのではないかなと思った。
どちらの立ち位置にしろキレたり爆発する前にできること、あるんじゃないかなということで。

「ネットの釣りとデマのルールブック」Hagex先生の本。

プロのウォチャーを目指していたHagex氏の単著が発売されました。
2ch発言小町はてな、ヤフトピ ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い」です。

なぜか遠い宇宙のゲスパー連合から「ハゲ本のレビュー楽しみにしてます」という電波を受け取ったので、ここでレビューを書かせて頂きます。

先日トピシュさんがHagex氏と対面したときの話をブログに書いていました。

角川本社ビルでHagexさんのインタビューを受けてきました - 斗比主閲子の姑日記

そこで2年前のHagexギャル特集のリンクを貼っていた為、私がHagexギャルであることが最近仕事関係の人にバレたようです。いや、別にいいんですけれど…。
にしても他2名のHagexギャルの方はあの後ブレイクしたにも関わらず、私だけ(あの時すでに単著が4冊目だったにも関わらず)鳴かず飛ばずです。私も売れたいです。
あげくハゲ先生ご自身も単著を出され、売れ行き好調ということで、益々置いてけぼり感満載です。もう一度言います。私も売れたいです。

ちなみにトピシュさんは2008年からのハゲブログ愛読者だということですが、私はわりと最近の2011年です。きっかけは犬山紙子さんのTwitterで言及されていたのと、私の別の友達がリンクを貼っており「このブログ、よく見かけるなあ…でも何が書いてあるのかわからない…」と思いながらも読んでいるうちに、気が付いたら2011年から読み始めて2005年くらいまで読んでいた。という恐ろしい流れです。ハゲブログにはまるには「我が身に不幸がなければならぬ」と言われておりますが、私は2009年に離婚をし、毎晩「何が悪かったのか」と反省会を繰り返していたので読みはまってしまいました。
そしてハゲブログのログを読破したころには「私の結婚も離婚もおままごとだったわ! 世の中ってもっと大変!」と解脱したのです。ありがとう、Hagex-day info!

では本題です。タイトルが長いので「釣り本」または「ハゲ本」と呼んでいます。
すでにいくつかレビューも読みました。

私がHagex脳になるまで - 今日一番おいしかったもの

話題のhagex本「ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い」を読んだ感想 - 感謝のプログラミング 10000時間

【読書感想】ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い - 琥珀色の戯言

意外とみなさん、本の内容に驚きつつ、すんなり受け入れられているような印象を受けました。
Hagex脳が進んでいらっしゃるのかもしれません。

私が読み終えたときの感想に比較的近いのはこちらですが。

http://oreno-memo.hatenablog.com/entry/2014/04/12/132516

私はこれを読み終わったとき思ったのは
「これは気の狂った人が書いた本じゃないだろうか…」ということでした。

鼻行類」とか「コデックス・セラフィニアヌス」とか、妄想で作られた図鑑…みたいなものに近いのではないか、と思いました。

トピシュさん風に言うと「一般向けではありません」というような感じです。
最初、私は「ネット釣り師の本か…ネットの情報に免疫の無い高校生の娘さんや息子さんを持つ親御さんたちに、オススメしたらよいのでないかしら…」などと思って読み始めました。
ところが、この本はそんな「一般的なネットリテラシーを高める本」ではなかったのです…!
(もちろんそういう側面も多いのですが)


「ネット釣り師」というものの存在は、実際にインターネット上に存在はするけれど、実体のないものです。ネットを見ていれば確実にその存在を感じられるにも関わらず、数値化することもできなければ、現実社会でお目にかかることもできません。半分くらい、オカルトに近い存在だと思うのです。現代社会において、民間伝承に残る妖怪のようなものだとさえ思っています。
(実際にはうちの引きこもりの弟が毎日釣り投稿してるんだぜ…とか、実体のある話もあるのかもしれませんが…私の周りにはいません)
その釣り師に対しての攻略方法が書いてあるのです。
鼻行類とかよりは個人の妄想じゃないですし、実際にネットを覗けばたくさんいるなと感じられます。なので書いてあることの大体のことに共感することもできます。しかし「うんうん、わかる」「へえ、そうなんだ」と思うと同時に「何なのこの本…」と思ったので、私はまだそこまでHagex脳が進行していないようです。よかった!

なんかこういう本、昔読んだことあるなあ…と思って思い出したのが「ゲームブック」です。もしくは「テーブルトークRPG」のルールブックです。
テーブルトークRPG」というのは、リアルに面と向かって一定のルールで進める「ごっこ遊び」です。サイコロを振って確率でモンスターへの攻撃が当たったかどうかを判定し、グループでゲームを進めます。

テーブルトークRPG - Wikipedia

私が通っていた首都圏郊外の公立中学にはオタクかヤンキーしかいませんでした。当然私はオタク側のみなさんと仲良しでした。
私自身はオタク的素養はあっても資質はないのですが、なにぶんそんな環境では友達はみなオタクです。隣の席の男子から「キャラクターの絵が描ける」という点で私は「テーブルトークRPG」の仲間に加えられました。そこでみんなの架空のキャラクターのイラストを描き(今でいうとアバターですね)、12面ダイスを振っていました。

そのルールブックには世界観の説明や架空のモンスターの分類や攻略法など、みんなが同じ世界観の中でゲームができるように細かな設定が書かれていました。

ハゲ先生の本を読んでいて、それを思い出したのです。

印象深いのは第4章の「レスポンスで見る釣り師のパターン」です。

ファーストポスト後の釣り師の反応は、次のように分けることができる。
(1)攻撃型
(2)先行逃げ切り型
(3)自己都合型
(4)読者完全無視型
(5)忘れた頃にやってくる型
(6)池上彰
(7)後付け型

いや…ハゲブログを毎日読んでいれば、確かに大体何のことを言っているのかはわかります。わかりますが、ポイントはこの後に続くそれぞれの説明です。

(1)攻撃型
 読者対応が乱暴・丁寧に関わらず、非常に攻撃的な返信を行う対応である。弱い犬ほどよく吠えると同じで、メンタル的にも弱いため、攻撃的な返信をしてしまう。読者が煽ると非常にのってきやすい性質を持っているが、煽りすぎると、暴走してわけがわからなくなるので気をつけよう。基本的には返信するタイプなので、攻撃要素を差し引いて、気になる情報だけ入手しよう。
 余談になるが、ネット喧嘩初心者は、このタイプを相手にすれば自分のスキルアップを行うと上手くいく。

途中までは「ふむふむ」と思って読むのですが、最終的に対処方法になってきます。
…あれ? みんな、そんなに釣り師と絡む生活しているの? 2ちゃんねる発言小町や増田に書き込みってしてるの???? というか、する前提でこの本って書かれてるの? と困惑しました。
「ネット喧嘩初心者」って…ネットで喧嘩しないから! ほとんどの人は、ネットで喧嘩しないんじゃないの?! と思いました(してるの??)。

あれ? 今気がついたけど最後の一文て「このタイプを相手にすれば自分のスキルアップを行う〝のに〟上手くいく(または〝利用できる〟)。」ではないかしら…? というかこの本は結構誤字があります…。でも自分の本も何度見ても何度見ても誤字が出るので、何とも言えません…。

ちなみにわたしはネットで喧嘩はしません。基本的にネットで喧嘩は無駄だと思っているし、自分に宛てられたTwitterのネガティブなリプライやブログについたコメントだったとしても、オンライン上でよく知らない相手と言い合いをすることに意義を見いだせないからです。
だって、別に友達じゃないじゃないですか。友達だったら話し合いますけど、相手のバックボーンもわからないし、相手がどこまで誤読や誤解、思い込みがあるかもわからないので、喧嘩しても無駄だと思っています。
自分のところに火の粉が降りかかったらそれなりに対処はしますが、極力関わり合いたくないと思っているのに、どれくらいの人がわざわざ釣り師に喧嘩を売りに行くのでしょうか…?

私は「まとめ」は見ても、実際の掲示板にはほぼアクセスしませんし、この本で書かれているような大手掲示板で活躍するような「釣り師と戦う」場面は殆どありません。
ネット上において、は実際の「プレイヤー」はごく少数で、「観戦者(野次馬)」が大多数いる。と思っています。私は「観戦者」でしかないし、Hagexさんのような優秀なキュレイターがセレクトしてくれる情報しか受け取っていません。

なので、この本に書かれているとても実践的な「釣り師の見抜き方」「釣り師の釣り方」を見て「プレイヤー用のルールブックみたいだな」と思ったのです。

ただ、観戦者もルールを知らなければゲーム内容がわかりません。そう言った意味ではこの本を読めばプレイヤーにならずとも「正しい観戦者」になれるのでしょう。

しかし、世の中の「インターネット利用者」の殆どが「楽天ぐるなびGoogleマップを見る」くらいではないかと思われます。彼らにコレを「読んでネットリテラシーのお勉強をしてね」と読ませても、おそらく私と同じように異世界のルールブックを読まされてる気分になるのではないでしょうか。
ネット生活が長くても掲示板を見ない人は多いでしょうし(私も実際2011年まで殆ど見ていませんでした)、2ちゃんねるのまとめもごくごく僅かにSNS話題になったものだけ見る、みたいな人が大多数です。「まとめなら見る」>「よく掲示板を見ている」>「掲示板に書き込んだことがある」>「掲示板で釣り師につっこんだことがある」>「釣りをしたことがある」という順番にものすごく人数が減っていくと思うので、かなりニッチな世界だな…と思いました。

第1章 釣り師の世界
第2章 釣りを「マクロ視点」からみてみよう
第3章 「ミクロ視点」から釣りを見抜く重要性
第4章 釣り師はコミュニケーションを欲している
第5章 ネットスキルを駆使して釣りを見抜く
第6章 「社会の釣り」であるネットのデマを見破る
第7章 現役釣り師から聞く、釣り師の世界

章のタイトルだけ見て説明しますと、第一章は「釣りとはなんぞや」ということが書いてあるので「こんな世界があるのだよ」という意味でやや一般的です。
しかし、第2章から5章までは「釣り師を見抜いて戦う」為の細かいノウハウです。章が進むごとに方法の難易度があがります。っていうか、そこまでやるの…となってきて、異世界の戦いを見せられている気分になるのです。5章の具体的な方法については「そんなことまでするの?」という気持ちになりました。いや、確か写真のExifデータの取扱とか、大事な知識なんですが。
自分もブログに書きましたし。
初心者向け! ブログに載せるデジカメ写真のExif情報について - ハート♥剛毛系
しかし基本的には自分がプレイヤーになる、という意識がないので5章の詳細な方法を見てクラクラしました。


一般的なネットリテラシーの啓蒙として重要なのは第6章の〝「社会の釣り」であるネットのデマを見破る〟の章です。ここに来てやっと大事なことを読んでるな、という「書籍を読んでる安心感」が得られます。ネット経験の浅い友達にリテラシーを学ばせようと読ませるなら6章だけでもいいかもしれないです。しかし、その章の締めの文章に…

デマ退治は人の役に立つ
 釣り師のエピソードを見破っても、それが本当に「釣り」なのかは私たちにはわからないし、人の役に立つかどうかわからない。しかしデマの判定は違う。
 もし釣り判定師を目指すのであれば、最初はデマを見つけ、検証する訓練を行えば一気にスキルアップができる。なぜなら釣りと違い、デマは嘘か本当かはっきりわかるためだ。それだけでなく、デマを見破ることで、間違った情報に流されるユーザーを助け、社会的にも良い行為と言えるだろう。

とあります。
やばい、これを中二真っ盛りの男子にうっかり「2ちゃんは釣り師がいるから気をつけるのよ」とネットリテラシーを学ばせる為に読ませてしまったら「かーちゃん! 俺はネット釣り判定師になるよ!」とはっちゃけてしまいそうです。「いいからネット見てないで勉強しろ!」と母親の怒号が飛びそう…というところまで想像してしまいました。「こういうことがあるから気をつけましょう」で終わらないところが、この本全体を包む妙なテンションなのだと思います。

ちなみに私はその昔知人から「チェーンメールが来たんだけど、7人に送ると幸せになるとか…こんなの嘘だよね」と送られてきたメールをもらい、調べたら「肛門拡張パロディ画像」だったことがありました。
mixiで「これは神の手じゃないし合成写真。しかも元は肛門拡張パロディ画像。つまり『こんなのうっかり信じるやつはケツの穴でも崇めてろ』ってことだよね、タチ悪い」と書いたら「信じてちゃってた…」「友達に送っちゃった…」と数人にヒットしてしまい、モヤモヤしました。
ちなみに当時、元ネタをうっかり調べるとグロ画像を見るハメになりました。「うっかり信じてケツの穴を崇める」か「疑って調べてグロ画像見せられるか」の二択を迫られるこのチェーンメールを考えたヤツの悪意は尋常じゃない…と思いました。
ちなみに今調べてみたら、未だに「神の手の雲」ってまだ廻ってるらしい。

チェーンメール「神の手の雲」は合成だった!?

社会的な啓蒙にはなると思いますが私自身は「オラ、釣り判定師になる!」という気運は高まりませんでした…。しかし実際には「あれ? なんかこの話おかしいぞ」と言う話が回ってきたときに、思ったときに検索してみると、何人か必ず検証してくれている人がいます(このリンクもそう)。彼らは「釣り判定師」なのでしょう。検証記事を読んで「やっぱりそうだったか!」と安心することができます。なので、社会正義のために検証記事を書いてくれている方には感謝の念は忘れないようにしたいと思います。しかし、それを「釣り判定師」と呼び、目指すとなるとニッチな世界の話になるような気がします…。

そして第7章のトピシュさんとの対談。
この章で、本当はこの本はHagex氏の妄想で書かれた本なのでは…という疑惑がやっと解消されます。よかった、釣り師はいたんだ…! みたいな気持ちになります。
ネットで同じような活動をしていると思考回路が似るのでしょうか、または元々似た素質があるから似たような行動を取るのでしょうか。ネットって、こういう人達が出会えるという意味ではいいものだな…と思いました。ネットのデマとか釣り師とか暗部を読んできた最後にこれがあり、救われました。


他にも思うところ、書きたいことはあるのですが、大概長すぎるレビューになってきたのでそろそろ締めます。



2013年、これは頭の振り切れた人が書いた本だ。と思ったのはパラダイス山元さんが書いた「飛行機の乗り方」です。

パラダイス山元の飛行機の乗り方

パラダイス山元の飛行機の乗り方

こちら、飛行機の乗り方というくらいですから、マイルの使い方とかそういうものかなと、かわいらしいカバーを開くと中にはとんでも無い世界が繰り広げられているのです…。
「1日の最多搭乗回数11回! 1年間の最多搭乗回数1022回! 」え…何をどうやったらそういうことに…? と思うのですが、パラダイス山元さんは「乗り鉄」ならぬ「乗り空」。飛行機に乗ることが目的の人なのです。普通の人にはなんの参考にもなりませんが「こんな世界があるんだ…」ということを知ることができるスバラシイ本です。

それと同じ意味で2014年、頭の振り切れてる人が書いた本はこのHagex先生の本にほぼ決まりだなと思いました。

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Hagex本は意外と好調でハゲ子感激です - Hagex-day info

ちなみにハゲ先生は会社を辞められて、単著も出されとうとうプロのウォッチャーになられるのね! と思ったのですが再就職なさったそうで、サラリーマンとウォッチャーの二足のわらじをはき続けるようですね。
あ、私もインタビュー時に実際のハゲ先生に会ったことがありますが、ハゲ先生はイケメンです。