ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

カースト外に生きる珍獣枠

【珍獣枠はジャンル外】

最近何度か人から「ブスと言われるという話」を聞きました。

文筆業をやっていて、顔出しするのに抵抗があるという人や、文筆業を目指していて顔出しするかどうか、悩んでいる人、などと話す機会があったのですが「外見で商売していない女性」が外見を公表した場合に、必ず外見について揶揄されるという話でした。
「外見で商売」している女性というのはタレント・モデル・女優…などだと思うのですが、作家やイラストレーター、その他の専門的な能力で仕事をしている女性も、写真や映像を公表すると外見は仕事や評価に関係ないはずなのに、必ず一言言われてしまう、という話。

ネットなんか見てると、私から見て超絶美人な綾瀬はるかとかも「あごがしゃくれてる」とか書かれてるので、人の美醜の判定なんてアテにならないし、どんなに素晴らしい人でもものでも「くさす人」というのはいるのだから、あまり気にしてもしょうがないんじゃないかな? とか思ったりしてるのですが、まあ、やっぱりブスとか言われたらムカつくよね…とも思った。

それで、そういえば自分はどうだったかな? というと。
私は自分の名前をGoogleの画像検索にかけると、イラストレーターにもかかわらず、仕事の絵よりも自分の写真がバンバン出てきてしまうのですが。あまり、外見についてとやかく言われないタイプのようなのです。
いや、ここ数年ちゃんとエゴサするの辞めちゃってるので実際にはどっかで言われてるかもしれないのだけど、多分他の顔出ししてる女性よりは外見については「ブス」とか言われないほうだと思います。
どうしてかな? と言ったそばから

「珍獣枠だから」

と人から言われました。

珍獣枠!

さて、珍獣枠とはなんぞや。

最近ネットで「ママカースト」という話題を見かけました。
http://trend-af.com/%E3%83%9E%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88-%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AF%E8%B1%8A%E6%B4%B2%E3%81%8C%E9%85%B7%E3%81%84%EF%BC%9F%E5%B9%B4%E5%8F%8E%E3%81%A8%E5%AE%9F%E9%9A%9B%E3%81%AE%E6%A7%98/
http://trend-af.com/%E3%83%9E%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88-%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AF%E8%B1%8A%E6%B4%B2%E3%81%8C%E9%85%B7%E3%81%84%EF%BC%9F%E5%B9%B4%E5%8F%8E%E3%81%A8%E5%AE%9F%E9%9A%9B%E3%81%AE%E6%A7%98/


あらやだ〜こわいわ〜。などと思って見ていたのですが…。
そこの図の左端に…なにかある。

「肝っ玉母さん、ヤンママ、シングル母はジャンル外扱い」
と書いてある。

ジャンル外!
ジャンル外扱い!

つまり、これを見て気が付いたのはスペックに対する揶揄やマウンティングというのは
「ルールの中にいる人」にしかされないのだということ。
私が「珍獣枠」と言われるのは「ジャンル外」だとみなされてるんだなあと思ったのです。
外見についてあまり揶揄されないのは「女のルールの中にいない」からだろうなと思いました。

…まあ…、ブランドバッグは持たないし、人の悩み聞いてるとすぐに空手を例えに出すし、モテたいとかも思ったコトないし、女子力とかもほとんど気にしないし、人から見て女のルールの中にいるとは思われないだろうな。

そんなわけで、最近子供を産んで「ママカースト」とか「公園デビュー」とかにビビっていた私ですが、周りから「さるころは大丈夫だよ」と言われる理由がわかってきたような気がします。
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【珍獣のルーツ】

さて、どうして「珍獣」ポジションになったんだろう?

と考えてみれば、やっぱり高校時代を過ごした環境にあると思います。

私の母校は美術系大学付属の女子校で、公立校のクラスに1人はいるであろう
「絵が好き」で「感受性が豊か」で…まあちょっと変わった子、が首都圏から集められたような学校だったのです。

私は雨宮まみさんの「女子をこじらせて」が好きなのですが、
あの本を読んでいて「なんで私は女子こじらせなかったんだろう…」と考えたときに
「こじらせる前提となる枠の中に誰も私を入れなかったから」じゃないかと思いました。

比較的女子校出身者は「女はこうあるべき」的男性の視線に晒されずに思春期を過ごせるので、こじらせにくい傾向があると思います。

更に、その中でも美術系大学付属の女子校だなんて…。
「面白いヤツが最強」
「絵が上手いやつが尊敬される」
みたいな世界…。
「女子力」によるカーストとかヒエラルキーとか、無し!!!

やりたいことをやって、好きなものを好きと言って、誰からも文句を言われない世界。
価値観も人それぞれのものを認め合う「ジャンル外」女子の集まり…。
私はここで女子として自意識をこじらせるどころか、「自分らしさに自信を持つ」強い自己肯定感を培ってしまったのでした。
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※高校時代のイメージ図。

そしてそのまま社会に出れば「ジャンル外」「珍獣枠」ということに…。
「珍獣」扱いされても「面白いヤツが最強」という価値観の絶対正義を疑わなかったので、あまりこじらせたりしなくて済んだのではないかと思います。

私自身は珍獣枠が気に入ってるので
みんなありのままの自分になって、ジャンル外になっちゃったらいいのに!
とか思うのですが、女性として高く評価されたかったりする人生とは無縁ですから、一長一短です。

それでも「おいでよ! どうぶつの森」と思っています。

最近、そんな女子校生活をマンガに描きました。
女子校アンソロジーマンガ「女子校育ちはなおらない」です。
豪華執筆陣に混ぜてもらいました。
って、この長い話告知だったんかいとお思いかもしれませんが、ステルスじゃないマーケティングです。
よろしくお願いします。

赤ちゃんと私と母性と理性

赤子を産んで一ヶ月があっという間に経ってしまいました。
早い…アラフォーの一ヶ月は早すぎる…。
さて今回は「母性」の話です。

私は今までフェレットを飼ったり猫をどっぷり甘やかしたりしているので、たまに「面倒見のよい母性の強いタイプ」と思う人もいるっぽいのですが…。

私の自覚としては「母性」とか全然ないです。

そもそも20代の中頃にフェレットを飼い始めた理由が「自分より弱いものに責任を持ったことがないので練習のため」なんですよね…。
家族の中でも親戚の中でも一番年下だし、子供とか苦手だしペットとか動物とかも苦手だし…。
若かったころはそれでもよかったけど「ある程度年を取ったのにそういうのが苦手なの、よくないんじゃ?」とか思って「トレーニングのために」ペットを飼い始めた…という経歴を持っています。

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小さくてカワイイモノをみると「や〜ん! 超かわいい! 写真撮っていい? 触っていい?! だっこしていい?」みたいになる人、いますよね。私はその感覚が無いのです。
「や〜ん! かわいい!」みたいな感覚を指して世間的に「母性本能」と呼ばれてるような気がするんですが、「母性本能」という言葉が本当はどうやら「本能」とかではないし、学術用語でもなくて通俗的に使われている言葉であることも世間的に認知されてきたような昨今でありますが(詳しくはWikipediaの「母性本能」のところを読んでもらうとして)「女の人には母性本能がある」みたいにうすらぼんやり、なんとなくみんなが思ってる気がするし。私もなんとなくそう思っていて「でも私にはないなあ」と思っていました。
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こういう私の性格を知っている友人は、私が子供を作ると思ってなかったようで、子供を産んだことをビックリされたりしています。姉からも「さるころに赤ちゃんができるなんて…」とか言われたりしてます。

私もそう思う。私が赤ちゃん産むとか、しっくり来ない。

猫を飼っても、猫に対して自分からアプローチをしないので猫から執着されてるし…(動物は追いかけるものからは逃げて、ツレない相手には追いかけてくる的なやつで)。
「甥っ子姪っ子がかわいくてしかたない」という人もいるけど、私は…普通…。特別な感情はないかな…という感じ。


そんな私でも妊娠とかしたらホルモンの関係で感じ方が変わるのかな…と思っていました。


しかし、妊娠してみても全然ピンとこない。
いや、確かにお腹の中の人は大事だし、健康に産まれて欲しい。
でも「愛おしい」みたいな気持ちがわいてこない…。

散々ネットで「妊娠で頭が浮かれて〇〇した」みたいな話を読んでいたのに、浮かれるどころか「無事に産まれてくるだろうか」と不安になるほうが多かった。
妊娠すると浮かれて変なキラキラした名前とか着けちゃうんじゃないの…?
暴走して変な買い物したり、ウフフな感じになるのかと思っていたのに…。
いつそういうモードになるの?
と思っていたら、そうならないうちに出産になってしまいました。

そして産んでみたら、そうなるのかな? と思っていた。

しかし、帝王切開で産まれた赤子を見て「ああ、無事に産まれてよかったなあ」とは思ったものの「本当にコレが入ってたのかあ…」というような感想で、浮かれモードにならなかった。
逆に「期待はずれ」とか「かわいくない」とかそういうのも全く無くて「9ヵ月に渡るプロジェクトが無事に終了した」みたいな安堵感を感じました。

帝王切開の場合は切った初日は寝たきりで、赤子の世話はできない。そして2日目から切ったお腹がめちゃめちゃ痛い中、赤子の世話をしにいきます。
そこで首の据わってない、昨日生まれたばかりの赤子の抱っこの仕方を助産師さんに教わりました。

私は甥っ子姪っ子が生まれたときも「首の据わってない赤子とか怖くてだっこできない!」というタイプでした。というか、赤子を産んだその日まで、そういうタイプだったわけで…。でも、そんなことは言ってられず、目の前の赤子は抱っこしなければならない。産んだんだし。

最初はおそるおそる抱っこしたものの…あっという間に慣れた。
今まで「抱っこするのが怖い」と思っていたのは「抱っこの仕方を知らない」だけだったのだなあと思った。普通に教わって「自分がやること」だと認識したら、余り抵抗はなかった。

私はたった一晩で「新生児抱っこできない」人から、「新生児を抱っこできる人」になった。

そしてその先の「母乳を与える」「赤ちゃんが泣いてもうろたえない」「オムツを替える」などのタスクを全てそういう感じで「教わってやってみる」という行程を得て入院中に会得していった。

………あれ? これ…。バイトの研修合宿みたい…!

と思った。
それまでは「母になる」というのはなんとなく神秘的で魔法のような出来事かと思っていたのでした。
赤子が生まれたら、自然と何もかもできるようになるかのように。

いや?! 全然?! プロにやり方教わって練習して、ぎこちないながらもやる、という「バイトの初日」みたいなんですけど?
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最初に授乳室に入った時に、たくさんの赤ちゃんがワンワン泣いていて「うわーー、こんなところにずっといるの、大変!」とか思った。「助産師さんとかすごいー! 絶対私には無理!」とか思ったのに…一晩で慣れた。
「ああ、赤ちゃんは泣くんだな…」ということがわかって、自分の赤子が泣いてても、他の赤子が泣いてても「当たり前」だと思うようになった。

母性でも魔法でもなく…経験と慣れじゃん…! と思った。
赤ちゃんの世話は「母性」じゃなくて「理性」でするんだ…! と衝撃を受けた。

「や〜ん! かわいい!」とか思わなくても、やり方教わって練習して慣れてできるようになるんだ…。よかった…。というのが、出産して3日目くらいまでの私の感想でした。

考えてみれば、別に「子供、動物、大好き!」と世話をしまくる男子というのもこの世には結構いるし「女なら母性本能がある」なんてことはなくて、男でも女でも子供が好きな人と、そうでもない人がいるだけなんだな…と思った。(子供・動物とかが【嫌い】というのはまた別の話で)

それまでは子供がいる男の人が「女は子供産むと変わるんだよね〜〜」と他人事のように言っているのを「そういうもんかな」って思って見てました。自分も「知らない」から。
でもそれって「女は子供を産むと変わる(だから俺には関係ない・オレの仕事じゃない・女に任せておけば大丈夫だと思いたい)」だけなんじゃないだろうかと思った。

誰だって「練習」して「慣れ」ればできる。
男性介護士もたくさんいるし、保父さんも看護士もいる。何かの世話をするのは「スキル」であって「本能」じゃないんだと思う。

「産後クライシス」の一番の原因は、劇的に生活が変わった「母親になった妻」に対して、夫がまったく父親にならず「他人事」のように振る舞うのが主な原因らしい。

産後クライシスについてはここのページが詳しい。
このページを書いた人の熱い気持ちが伝わってくる!
産後クライシス-赤ちゃんの部屋

だから、産後クライシスを避けたいなら男性も「父親になる」ためにバイトの研修を受けるみたいに、赤ちゃんの世話の練習をすればいいと思った。

よくネットで「プロにタダで仕事を頼む人」が問題になったりしているけど「知らない」ことは安く見積もるのが人の常。「できるんでしょ? 簡単でしょ? ちゃちゃっとやってよ」と言ってしまうのは、その人がそのスキルを身につけるために費やした時間と労力を知らないから。
これは「赤ちゃんの世話」も全く同じなんだなあ…と自分で赤子の世話をして思ったのでした。


で…そんな平坦な気持ちでずーっと赤ちゃんの世話をしているのか…というと。そんなこともなくて…。
出産4日目くらいからやたらめったら赤ちゃんがキラキラとかわいく見えてきた。

うお〜〜〜赤ちゃんかわええ〜〜〜〜。

と思うようになった。
出産や授乳のときに出る「愛情ホルモン」の「オキシトシン」がやっと働き始めたらしい。
オキシトシン - Wikipedia
でも、赤ちゃんがかわいいのと、世話ができるのは別の話なんだな。とも思った。


ちなみに、うちはパートナーと育児を分担している。

うちは「経済活動」と「家庭の運営」の役割分担をしていない。
つまり、私は妊娠しようと出産しようと、彼に養ってもらっていない。
今月も変わらずお家賃を払った。なので、当然育児も分担。

パートナーは普通に赤ちゃんの世話ができるので、私が産後にパートナーに対してイライラすることは今のところ無い。彼は、赤ちゃんの世話が「母性」ではなくて「経験と慣れとスキル」だと知っているから。

そして「愛情ホルモン」のオキシトシンは男性も出る。
赤ちゃんと触れあえば触れあうだけオキシトシンは出るらしい。
パートナーも「赤ちゃんかわいい〜〜」とホルモンにすっかり支配されている。
これが「母性本能」なら、たぶん私よりもパートナーの方が「母性」が強いと思う…。f:id:salucoro:20140918204547j:plain

男性、女性かかわらず「首の据わってない赤ちゃんとか怖くて抱っこできない!」と今は思っている人も、やってみたらできると思う。
「そんなのは女の仕事だ!」と思ってる男性と「女なのに赤ちゃんの世話とか怖い」と思ってる女性に「練習すればできるよ」と言ってあげたい。
私自身が「子供は産んでみたいけど、私に赤ちゃんの世話とかできるのかな…」と不安に思っていたので、子供産む前の自分に一言言うなら、「ちょっと辛いバイトでも頑張れるタイプの人なら大丈夫だよ」と言うと思う。

「女には母性がある」とか言って、役割を無理解に押し付けて「産後クライシス」とかしちゃうよりは、男女関わらず「バイト研修」してスキルをアップして、みんなオキシトシン出して、楽しく子育てできるようになるといいんじゃないかなと思います。

出産とジェットコースター

ここ一ヵ月くらいはてなでブログを書いてませんでした。
というのも、2週間ほど前に出産したのですが、そのギリギリまで仕事をしていたからです…。
在宅で仕事だからと、ついつい…ギリギリまで仕事をしていました。
さすがにドキドキしましたけど、無事に「どうしても出産前に入稿しないとヤバイ」仕事だけは入れることができました。
…宿題はまだあるんですけど(どうしよう)。

実はこのブログは妊娠しよう、と思ったときからつけています。
妊娠したら行動とかある程度制限されるかなーと思い、じゃあ家でできる新しいことを始めようと思ってはじめました。

かといって、出産に関しては高齢初産だし、最後まで何があるかわからないから無事に済むまで黙っておこうと思っていました。

うちは男性不妊による体外受精治療での妊娠でした。
私もいい年なので、妊娠しないのはわたしのせいかな〜と思って検査に行ったら、私はどこも悪いところはなくて、パートナー側の原因でした。
卵子の老化」ばかりが注目を浴びてますが、男性も他人事じゃないのだな〜と思いました。
男性の皆さんも不妊は他人事じゃないかもしれません…。

ただそうなると選択肢は「体外受精」一択なのです。私は「妊活」とか全くせずに、「じゃあものは試しにやってみましょうか」とやってみたのでした。
そうしたら初回で妊娠しました。
30代の体外受精での妊娠の確立は3割くらいなので、ラッキーだったなと思います。


受精卵をもどす前に「妊娠したらできなくなること」をしてみたかったので、富士急ハイランドに行きました。それがこのブログの2つめの記事です。

こわくないもの【遊園地】 - ハート♥剛毛系
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「妊娠したらできなくなること」の1つは「ジェットコースターに乗る」で、思う存分やったらゲン担ぎ的に妊娠するかしら…とか思って、わざわざ富士急ハイランドまで行ってきたのです。
まあ、ただ私がジェットコースターに乗りまくりたいだけでしたが。
ジェットコースターはただひたすら楽しく、恐怖感とかはありませんでした。


「妊娠する」とか「子供を産む」とかに人生や女としての優劣を考える人も世の中にはいるみたいだけど、私にとっては「乗ってみたいジェットコースター」でした。
「痛いらしい」「コワいらしい」「生まれちゃったら寝られないらしい」「すごく大変らしい」「でも楽しいらしい」とか噂だけはよく聞いてる…。やった人しかわからないらしい…。
「ジェットコースターに乗りたい」みたいな気持ちで「出産してみたい」と思っていました。
しかも、タイムリミットがあるのでぼやぼやしてたら一生乗れない…。

そんなわけで、ちょっと高めのチケットを買って(不妊治療)「出産ジェットコースター」に乗ってみたのでした。妊娠してから最初の4ヶ月間くらい、ひたすらつわりがひどくて人としての機能が落ちまくったことは計算外でした。
フリーランスでよかった。こんな状態で通勤とかできない…。お勤めの妊婦さん、みんなすごい。と思いました(みんながみんなつわりがあるわけじゃないけど)。
妊娠後半戦はどこも悪いところがなくて、快調。これはなんだかスポーンと出産できそう!
と、ポジティブなイメージを持っていました。

出産が近づくとまさにあの、ジェットコースターの一番高いところに登っていく「テッテッテッテ」的な気分で「どれくらい痛いのだろう」「股から人が出るってどんなのだろう」と毎日ハラハラしていました。でも、ジェットコースター乗って死ぬ人も少ないし、出産で死ぬ人も今では少ないので「命までは取られまい」みたいな感じで過ごしていました。
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で、陣痛が始まり、ゴゴゴゴーと急降下していくと思ったら…それが全然終わらない。
なぜだか、周りのみんなに「安産タイプっぽいよね」「3時間くらいで終わりそう」とか言われていて、なんとなく自分でも「わりとスムーズに行く気がする」と勝手に思っていたんですよね…。
しかし、自宅で陣痛が10分おきになってから9時間待機させられ(病院に電話したら「声に余裕があるから、まだね」と言われた)、朝9時に病院に行き、入院が決まってから24時間経って翌日になってもお産は進まなかった…。でも痛いんだよ! その間ずっと痛いんだよ!
まるでダラダラと長いジェットコースターである。急降下は少ないのにグネグネと長く続くような、そんなジェットコースター…。
でも、ジェットコースターは…乗ったら途中では降りられないのでした…。
出産も同じで始まってしまったら、もう後には戻れない…。
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入院してから24時間陣痛して、陣痛促進剤を入れることになり、そこから1時間後…。この出産ジェットコースターは、急転直下の展開を迎え、いきなりお化け屋敷的なものにたたき込まれたかのような心臓飛び出る系のアトラクションになってしまったのでした。
というわけで、緊急帝王切開になっちゃいました。
いやー、本当にビックリした。
まさか自分がこうなるとはー! というのもあるし「うわあ、ドラマの急患みたいだあ」みたいな気持ちもあり。ものすごい勢いで手術室に運ばれて行きました…。
入院してからトータルで30時間くらいの出来事でしたけども、実際に帝王切開になって手術が終わるまはトータル30分弱。29時間分の陣痛はなんだったんだよ! と思ったけどしかたない(ちなみに陣痛があるのは一応赤ちゃん的にはメリットがあるらしい)。

しかし、私は「全てが無事に済んだら公表しよう」と考えていた…ということは「自分だけは無事で済むとは思わないでいよう」という考えだったので、「何かあったときのため」に総合病院での出産にしていました。そして実際「何かあった」のです。そして無事に手術で赤子を取り上げてもらいました。ああ、よかった…。

で、出産ジェットコースターに乗ってみてどうだったかといえば、入院して12時間過ぎたくらいから「なんで自然分娩にトライしてみようと思ったんだ、自分のバカ!!!」と思いはじめ「あれだけ西原理恵子さんが自著とかで『自然分娩なんてしなくていい、無痛のほうがいい』と書いてた意味がわかった! 無痛にすればよかったああああ」と思ったのですが、私は帝王切開になっちゃったのでもしもまた子供が産みたくなっても自然分娩はできないので、まあ…やってみて…よかったかな…? みたいな感じでしょうか。陣痛30時間とか、二度とやりたくないけど、もうできないので…。まあ、結局は下からは出せなかったので無痛でも結局ハラは切る展開だったんですけどね…。


普段からだいたいなんでも空手で解決できる『空手万能説』を唱えている私ですが、出産も呼吸法で痛みを軽減できて、なんとかなる、と空手の先生(女性)に言われていたのです。が! 正直言って、12時間が限界だった! そっから先はもう心が折れた! 呼吸法とかでなんともならねーよ! なんでこんなことしちゃったんだろう、ああもうやめられないし。みたいな事しか考えてなかった…。

私の空手万能説は、陣痛に敗北しました。

しかも私の出産ジェットコースターは帝王切開付きになってしまったので、更に切った後も痛い。母乳も全然でなくて、出すためのおっぱいマッサージが地獄の痛み。など迫り来る新たな「痛い事」の数々に「出産は痛みのデパートや〜」とか彦摩呂風にブツブツと1人でつぶやいていた。
とんでもねえジェットコースターに乗ってしまった…。

ちなみにもっとすごい「3日間陣痛」とか「会陰切開までして、バキュームまでしたのに出てこなくて結局帝王切開」とか難産コースもあるらしいので、入院して一晩でカタがついたなら…まあ…いいほう…なの…かな…?


あと私の人生で「怖そうだけどやってみたい」ことは「バンジー・ジャンプ」だけになったわけですが、これは自然分娩と同じく「やらなくてもよかったんじゃないか」とやってみて思うような気がしてきたのでしばらくチャレンジしないかも…。でも目の前にあったら飛んじゃうかもなあ。飛んだ瞬間後悔しながら。

今後も隙を見て不妊治療の話とか、出産時の詳細とか、事実婚の話とか長年の超夜型生活からちょっと午前中から活動する気になっただけで、やたら働き者になった話とか、あいかわらずパートナーに養ってもらってない代わりに、家事はばっちりやってもらってる話とか、色々していきたいなーと思うのですが、なにぶん物理的に両手が塞がってることが多いので焦らずのんびりやっていきたいと思っています。
とりあえず出産マンガは描きたいので頑張ります。大変だった=ネタゲットの精神なので、描かなきゃもったいないという考えなので。
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共働きの家事問題もろもろ

全然ブログが書けてないのは仕事が全然終わらないからなのですが
最近思ったことが重なったので書き飛ばします(´Д` )。

働くママ応援CMに全く共感できなかった件 | 世界級ライフスタイルのつくり方


「ねえ、お母さん」篇 山崎まさよし ボンカレースペシャルムービー - YouTube

このエントリー読んで、もちろん「なんじゃこのCM…」と思ったのです。
ブログ後半のフィアットのCMについてはわたくしは子育てのリアリティを知らないので良さを言及できませんが、ボンカレーのCMについてはモヤモヤモヤ!! としました。

演出もさることながら、送りもお迎えも母親がやって、専業の母と比べて「私はちゃんとできてるかな」って、その昔、私が言われた「女が働くのはワガママだ=働くなら家事も手を抜くなよ」(しかも、赤の他人に)という時代錯誤な価値観が透けて見えるようで。
で、あげく、夫が何をしてくれたかといえば、朝のゴミ捨てと、疲れて寝てるところに「ボンカレー」ですよ。ゴハン作ってくれる母の幻影を…って思ったら夫は包丁も使わないのかと。
ひょっとして、妻が疲れてボンカレーだしたら「わたしお母さんみたいにできてない」とか思って、夫がボンカレー出してくれたら「いいダンナさんね」なの?! とかまで穿って見ちゃったりして。

と言いつつ、なんというか、前の結婚でなんで私が「共働きだけど家事は全部自分」でやっていたか、の原因を見るようだなあと思ったのです。

「これが理想です」っていう形なんですよね。このCM。

結婚して、子供作って、仕事して、それでも妻は常に身キレイに。
家事を完璧にこなし、昭和の専業主婦と比べて遜色ないようにすべき。

みたいな価値観。
私もそう思ってました。
それができて「できる女だ」と。

やってみたら「無理!」ってなったわけですが(子供もいないのに)。
周りの友達に「共働きなのに、自分がいないときの夕飯まで用意する必要ないよ!」と忠告されてたのにも関わらず「あの人、できないから」とか思ってたわけですよ。

バカだな…。
できないならやらせればいいんですよね…。
「食費もらってるから」って思ってたんですけどね、だったら冷蔵庫の中にあるもので向こうがなんとかすればいい話だったんですよ。
冷蔵庫にあるもの使えなくて、私がいなくて彼が何か買うか、外食するなら、それは向こうの責任だったんですよ。でも「彼は自炊は無理だから、私がいないなら食費を入れてもらってる以上、食事の世話をしないと…」とか思っていたのですよ。

なんでそんなこと思ってたのかなと思ってこのCM見たら、やっぱりこういう価値観をすり込まれていたんじゃないかと。
「夫(家族)の食事の世話は、妻がしなさい」と。
母親やおばもそういう価値観でしたし、やりなさい、とか夕方になると早く帰りなさいとか言われましたし。

でも実際、共働きの場合、その価値観は女性を追い詰めるし、オーバーワークになる。
だから、このCMはダメだ!
と、言わないといけない気がしたわけです。

これから結婚する女子が「これが理想だよね」と思って、私と同じような失敗をしないために…。

そしてコレ。

ダメだしをハラスメントと定義するヘーベルハウス『家事ハラ白書』のダメダメさ - 斗比主閲子の姑日記

家事ハラ………………( ꒪⌓꒪) 。
たぶん元夫がアンケートを受けたら「受けたことがあります!」って言うんだろうなと。
確かに、世の中には「キッチンは私のテリトリーなんだから!」っていう奥さんはいます。共働きでも。

そして実際に男性の家事のクオリティは低めだったりします。それって「オレはこれくらいでいいと思ってるんだもん」っていうことなので結構難しいんですよね。やってる人の価値観が「角に埃が溜まってても気にならない」「お皿の裏に油っぽさが残っていても気にならない」「洗濯物にシワがよってても気にならない」なら、やってもらっても「なんじゃこりゃ!」ってなりますよね。
そして「もうやらなくていい!」とかなる…みたいな。

とか書いてたらトピシュさんちの追加記事がきてました。

家事分担について我が家でしていること - 斗比主閲子の姑日記

現在のうちもほぼこれですね。ホワイトボードはありませんが話合いで分担しています。
私は食事にこだわれず、独身1人暮らしのときは毎日同じものを作って食べる。前の結婚生活は「相手のすきなモノ」を作っていたので離婚後は益々ヤル気がなくなってカップ麺上等。みたいな生活をしていました。
なので、今は「アレ食べたい、コレ食べたい」とこだわりがあるパートナーが炊事担当です。
そのかわり、パートナーは掃除に結構無頓着なので、私がマメにハウスキープをしています。
分割を無理に決めて文句を言うよりは、得意なほうやこだわりがあるほうがやればいいと思うんですよね。
ただ…元夫みたいに「全てに何のこだわりもない」みたいな人と結婚してしまうと全部ひとりでやるハメになるので、それはそれで問題なんですが…。

かれこれ2年ほどこの生活をしていて、最近パートナーがよく言うのは「1人だと料理をヤル気がしなくなってきてしまった」です。わかる。わたしもそうでした。
相手が喜んでくれると、1人のときのモチベーションが下がるんですよね。

じゃあ「こだわりがない相手」と家事分担する場合は「相手が喜んでくれる」みたいな目標設定値を明確にするといいのではないかと。

最初からというのは難しいかもしれないけど、相手にこだわりがないとしても、ダメ出しする場合に「なんでできないの」とか「もっとちゃんとやって」とかじゃなくて、明確に「角の埃が取れないと、ハウスダストでくしゃみが出ちゃうの」とか「お皿の後ろがベタついてるとカビの原因になるよ」とか明確に説明すればいいのではないかと。「なるほどね」と思えばお互いのストレスは減るんじゃないかなと思います。
それで、その目標値がクリアしてたら「感謝」する。お互いに。「自分のほうがこだわってるから」といいつつ、相手が喜んでくれるとそっちが重要になってきたりして…結果ひとりだとヤル気しなくなったりするんですが、まあ、それはそれでいいんじゃないかなと思います。



しかし、ふと気が付いたことが。
前の結婚のときになんで私は「共働きなんだから、どっちも家事して当然じゃん」と思えなかったのか。
「仕事もするけど、夫のお世話は妻の仕事」って思い込んでたのと同時に、もう一つ理由があった…な…と。

…………今のパートナーには「君と結婚したい。家事くらいするよ」と言われたから、「そっちのほうがいい、というか、そうでないとダメだ」と声を大にして言えるんですよね…。


前の結婚のとき、元夫は「結婚…? いつかはしたいけど(ぼんやり)」みたいな感じだったわけです。結婚したかったのは私。
だから、正直言うと引け目を感じていたんですよね。
特に「結婚したい」と思っていない男性と20代後半で付き合っていてこっちが「そろそろ結婚したい」となったときに、相手に「結婚するメリット」として、家事で釣った。みたいなところがなかっただろうか…と。自分で「自分が頑張ればいいんだ」と勝手に背負い込みすぎてなかった…と。

「結婚したい」って20代後半だと思いすぎて、現実を顧みずに行動してしまった結果が離婚…。
実際の結婚生活がどういうものなのか、もっとちゃんと考えるべきでした…。


で、その辺のことに対して、最近読んで思うところがあった記事がこちら。


妻の願いは「ブランド品より夫の19時帰宅」 | 進化するニッポンの夫婦 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

結婚してから、結婚という現実にぶち当たって、それでも乗り越えた人の話。
結婚生活の「現実」から目をそらし続けた夫と、その状況を諦めず、夫を変えた妻の話。

これは、妻がすごかった。と思いました。
でも、なんで妻がこれをできたかというと、夫に対して「この人はできる」という思いがあったからじゃないかと思うんです。
記事を読めば、彼は仕事はできるし頭も育ちもいい。つまり、潜在的なスキルはある。
それをどうやって家庭に使うか、という話だと思う。
そして結果的に妻が求める理想の夫、そして父親に変わった。
現実を見て、考え方と価値観を変えることはできるのだな…。
と、この記事を見て思いました。
「妻から死ぬほど正論を突き付けられたから」と言ってるので、こちらのご家庭にもホワイトボードがあるんじゃないかしら………。

つまり「アラサーだから結婚したい」と焦ったあげく、結婚にリアリティのない「彼氏」に共働きでも結婚したいと迫り、そして家事ならやるし、と釣って結婚なんかしちゃって…オーバーワークのあげくに、家事を少しだけ「やってもらって」…。どんなに優しく誉めて、一緒にやってやり方を伝えて、相手のプライドを傷つけないように、モチベーションをくじかないように頑張っても相手が「家事はオレの仕事じゃないし」とか思ってまったくやらず、何回か優しく言っても全然やり方覚えなくて、厳しく言わないとわからないのかなと思えば「なんでそんな怒るの」とか言い、少しでもやれば「誉めて」という態度で…。という相手を選んだところですでに自分の行き先は決まっていたようなものだなと。
「それでも『結婚』してるし!」とか「相手がいるだけマシだし」とか自分を騙して…ある日「あれ? 私…小学2年生男児と同居してる?」「わたし、川の水飲んでる!」とか気が付いて離婚しちゃったわけです…。

どんなに問題があっても最終的に「この人には言えばわかる」と信じられたら乗り越えられる。逆に「何度言ってもこの人ダメだ」と思ったらそこでゲームオーバー…。
だから「共働きの家事問題」ってやっぱり「パートナー次第」だなあと思いました。


某知人がよく言ってる「セックスができるママ(稼いでくれて、世話してくれて、そして性処理もしてくれる)」が欲しい男と、それでもいいから(年齢的に焦って)結婚したい女のカップリングは不幸な家庭まっしぐらだと思います。
ていうか………それはアラサーのわたしだ! 
目が覚めてよかった!
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というわけで、一度勢いで結婚して「ダメだこりゃ」と思って3年半で離婚して、事実婚・再婚中のわたくしから思いの丈をドバーと書き連ねてみました。


いつもは推敲して、テーマ絞ってってやって書いてるですが、今回は時間ないけど書きたい…というパッションのみでお届けしました。

じゃ! 仕事します!

男女はフィジカルにおいて不平等

先日Twitter眺めてたら「スカートに精液かける痴漢」の話題をみかけた。
んでもってそれを「嘘だ」とTweetしてる人がいるらしくフェミニスト系女性達が憤っていた。

スカートに精液かけるとか、スカート切るとか20年前、私が女子高生のときからの超あるある。あるあるすぎてたぶん誰も警察に届けたりしなかった。
この年になると「被害届け出しなさい!」とか思うけど、痴漢は日常過ぎてやりすごすものだった。
「スカートを切られる」のもあるあるで私の友達も切られてたし、駅降りたら前を歩いてた子のスカートが切られてたのも見たことあるし、最近「ああ、昔切られたことある」という人が身近にいた。
それくらいあるあるなのです。
(スカート切ることに性的興奮を覚えるみたいなの、全く理解できないけど日本全国いろんなところにある一定数そういう人がいると思うと本当に恐ろしい)

で、それ関連でTweetを色々見ていたらこんなのんきなTweetを見た。

「スカートに精子かけられるって俺がズボンに母乳かけられるようなもんかな?」
(あえてリンクは張らないけど)

この、男性にたまにみかける「男女逆転で考えてみた」のロジック。

んなわけねーーーーーだろ!!!!!!

君のズボンに知らないおじさんが精子かけてくるほうを想像してください!
「オレは対象じゃないもんね」というその距離感が間違ってるんだってば!

で、男性が「え〜? 痴漢? よくわかんないけどそんなに嫌なの?」「男がみんな痴漢じゃないよ〜」みたいな寝ぼけた話をしてるときに必ず
「自分が『おっさん』に精子かけられた(触られる・性器を押し当てられる等全ての痴漢行為)をされたときの気持ちを想像して?」と言うようにしている。
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男女は逆転してもわからない。
あれは「自分よりも肉体的に強いものに、一方的に性的に搾取される恐怖」なんだから、男性も自分よりも屈強な男性に襲われるところを想像しないとわからない。

ちなみに「世界一周ホモのたびDX」というマンガに、トルコシリアの垢すりで
「マッチョなトルコシリア人おじさんに男性が垢すりしてもらっていると、うつぶせに寝ている自分の手の平の上におじさんがそっと睾丸陰嚢を乗せてくる」
という話がある。作者の高橋さんに取っては「お誘いキター!」なんだけど、それをやられた別の細身の日本人の男の子と後日話をする機会があって、恐怖体験として語られる。というエピソードがある。
この話、男性に「痴漢のリアリティ」を伝えるのに結構よいエピソードなのだ。

【修正しました】※ブログ書くにあたり読み直したハズなのにトルコ編の印象が強かったのでシリアに移動した下りを読み逃していた! すみません。というわけでふぐり乗せおじさんは「シリア」です。
あと確かに乗せてくるのは「ふぐり」なので「陰嚢」ですね。おふくろさん…。
ちなみにイスラム教の国は同姓愛は禁忌なのだけど、そもそも「ホモ」という概念が最初から存在していないらしい。女性に簡単に手出しできないので男同士で処理し合う。そして旅行者に手を出す。東洋人の若者は特に彼らに比べると華奢で手を出されやすい。ということがコラムに書かれています(作者のサムソン高橋さんは若かりし頃に来なかったことを後悔)。詳しくは「世界一周ホモのたびDX」で! 
【修正その2】陰嚢を乗せられて喜ぶ「ゲイ男性」と作者の高橋さんを指してストーリー展開の説明を書いたところ不快に思う「ゲイ男性」が何名かいらっしゃったようなので「作者の高橋さん」に限定しました。

世界一周ホモのたびDX

世界一周ホモのたびDX


なぜか「痴漢」の話になると男性は自分が狙われる対象を「異性=痴女」に変換して「たいしたことないじゃん」と軽く見積もってしまう人がいる。いやいや、女性だって女性に襲われるのと男性に襲われるのじゃ違います。なので、いつも痴漢を軽く見積もる男性を見るとこの「トルコシリアの垢すりでうつぶせになってると、トルコシリア人おじさんが、君の手の平にそっと睾丸陰嚢を乗せてくるような感じだよ」と言うことにしている。実際の痴漢被害だと自分の体を触られるほうが多いので、そのトルコシリアの垢すりのおじさんがノンケ男性の局部を揉みしだくくらいまで想像してもらってかまわない。

ちなみにこの話、男性にすると本当に嫌な顔されます。

もちろん、男性に性的搾取される男性も実際にいて、それは女性がされるよりも小さく取り扱われてしまうので、そこも問題だよなあと思っている。もっとみんな「フィジカルの、物理的な体格差」についてちゃんと意識したらいいのにと思う。
格闘技が大体重量制で別れてることを考えても「体格差」はそう簡単に越えられないのだ。
ちなみに私が聞いたことがあるリアルな男→男子痴漢のエピソードは…
学ランを着て電車通学をしていた高校時代。小柄で顔のカワイイ友達の後ろに、妙にくっつくおじさんがいた。なんだろう? と思ってそのおじさんをみると…その友達の学ランの肩の部分を、おじさんはベロベロと舐めていた…。
それに気が付いた周りの同級生達は「うわあっ!」と言って一目散に逃げた(舐められてた子を置いて)。みたいな話だったと思うけど、やはり男性に一方的に性的に搾取されるのは恐怖以外の何者でもないと思う。f:id:salucoro:20140613020358j:plain
ちなみに男性の10人に1人くらいの割合で同性と性交渉ができる…と聞いたことがある(戦国武将も男同士大好きな人がたくさんいたというし…)。しかし同意無く一方的に性的に搾取されるのは恐怖だと思うので男性同士OKの人の話は今回おいておきます。そして「世界一周ホモのたびDX」は大変面白いです。しかしエピソードの数々が色々すごいので「同性OKの男の人ってフィジカル的に同等の相手に性的に何されても大丈夫なのかな」って不思議な感じはします。一冊目の「世界一周ホモのたび」も面白いです。


空手をやっててすごく思うのは「女性の体に比べて男性の体は丈夫だ」ということ。
どんなにメンタルが豆腐みたいな男性だとしても、手首の骨の太さを比べれば女性よりも太い。
空手は基本的に「自分の体を武器にする」というロジックなので、骨と筋肉の差は「武器の大きさ」にダイレクトに直結する。
もちろん個体差はあるが、私は153センチしかないので男性と相対する(組み合う)と腕の骨の質量だけでも「プラスチックのモップの柄と、樫の木の棍棒」くらいの差があるなと思う。そして筋肉の差もかなりある。私の手のサイズ、骨のサイズで男性がぐっと力を入れたお腹の部分に突きを入れてもたいしたダメージを入れることはできない(ちなみに肋骨は踏ん張れないので女性→男性でも折ることはできます。肋骨って結構簡単に折れちゃうんですよ。それが男→女だったら思うと更に怖さハンパ無し)。
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男の人に「男と同じベッドで寝るとかマジ無理。女の子同士って平気で一緒に寝るよね」と言われますが、そりゃそうでしょう。これも「同性・異性」で見るから変なのです。男性の骨はゴツゴツしてるし、腕一本の重さが女性と全然違うし、ヒゲは生えてるし、毛はザラザラしてるし…ステディでラブラブな男性が相手じゃなきゃ絶対お断りです。かたや、女性の体はやわらかいし、骨も軽いし、お肌もすべすべ。あげくにイイ臭いまでしたら、そりゃ女性ならOK! です。
むしろ男性は男性と同じ布団で寝る体験を何度か経験して頂いて「女の人ってこんなのと寝てるの?」という実感を味わってほしいです。

つまり、男性の体がモビルスーツだとしたら、こちとらボールに乗ってるんじゃい。戦闘力が違うんじゃい。
ということを心に刻んで頂きたい(と、ガンダムで例えてるけどガンダムちゃんと見たこと無い…ごめんなさい)。


女子高生や若い女子がおじさんに待ち伏せされたり、ラブレターをもらう話とかが「こわい」として話されていると、「男性は純情なのかしれないのにさ〜、おじさんというだけで忌み嫌われてかわいそうじゃないの?」という男性がおりますが、これも同様に「自分が40代〜50代男性に待ち伏せされるところ」を想像してみて頂きたい。
仕事帰りにいつも門であなたよりも身長が15センチは高いおじさんがあなたをじっと潤んだ瞳で見つめながら「あなたの事が大好きです。いつも見つめています。お電話下さい」と電話番号が入っている…。「おじさんの純情」をおもんばかってあげる? え? 好みだったら電話しちゃう? まあ、女性だって好みだったら電話しますけど…、女性にされるのと男性にされるのではかなり違うんじゃないですかと聞きたい。

男性のフィジカルの強さについて、ほとんどの男性はすごく鈍感だと感じる。
どんなに「こんな気弱なボクなのに」と思っていても女性が男性になにかされるときに「こわい」と感じるのは、まず基本に「フィジカルの差」があるからだよ。ということをどこかで覚えておいてほしいなと思う。f:id:salucoro:20140613040543j:plain

2015年1月28日追記※男をレイプする男。の具体的な話があったので貼っておきます。

レイプ犯はゲイだから男を犯すのだと誤解する人が多いのですが、たいていゲイではないのです。これはセックスの問題ではなく、力と支配の問題なのです。

とありますが、これは男→女でも同じ要素を含むと思うし、泣き寝入りする被害者感情も似ていると思いました。

化粧とおしゃれは武装

「日本人女性は必ず化粧をしている」みたいな話を聞きます。
確かにアジア諸国にいくと女性はわりとすっぴんが多いです。

じゃあ、日本で大人の年齢の女性が化粧をしないでいるとどうなるか…?
男の人の中には女性に対して「化粧をしてない」とか、女性らしい記号が少ない女性に対して「上からモノ言っていい」みたいな感じの人っていませんか?

テレビ朝日の「アメトーーク」を見てると、いつも「女性の扱いが典型的なマッチョ男目線だなあ」と思います(男性の扱いもマッチョなヒエラルキーのルールの中にありますが)。
番組自体は嫌いじゃないのですが、あの番組の中での「女性芸人」と司会者の横にいる「ゲスト女性タレント」の扱いを見ていると「女性性の記号を完璧にまとった女性(モデル・女優・アイドル)」だけが褒め称える対象として扱われ、それが足りない女性芸人達が男性芸人に上から「査定」目線でマウンティングされていて、いつも「なんだかなあ…」とモヤモヤします。
芸人さんも女優さんも世界観の中で演じているだけなので番組としてはアリですが、リアル社会でやられると普通にセクハラ・パワハラですよね。


私は22歳まで化粧もせず、髪の毛もショートカットで、スカートもはかないタイプでした。


仕事自体は学生時代から見習い的に始めて20歳からフリーランスを始めました。なので年上の男性と接する機会も多かったのですが、22歳くらいまでの私の扱いは「面白い動物」みたいな感じでした。

私は思春期から22歳くらいまで「自分は性格的に女の子が向いてない」と思っていました。
双子の弟のことをよく「あの体は本当なら自分のものだったのに、何かの間違いで入れ変わってしまったのではないか」とさえ思っていました。弟のほうが優しいし、気が利くし、女子だったらよかったのに…(向こうがどう思っていたかは知らない)。

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女性性の記号がない女子がどういう扱いを受けるかというと、まず自分が恋愛の相手だとも思っていない相手から「なんでそんなに髪の毛短いの」とか「もっと女らしくしないと〜」とか言われます。
「そんなんじゃモテないよ」「だからボクがアドバイスしてあげてるんだ」というスタンスです。
いや私、別にあなたに好かれたくないですけど…?
むしろ女性的な扱いを受けたくないからこの格好なのに…。なんなの? と思っていました。


印象深かったエピソード…。とある男性がわたしと同い年くらいの極めて女性らしいファッションの女の子のことを褒め称えた後に私に「爪を見せて」と言いました。
素直に爪を見せるとドヤ顔で「甘皮の処理とか知らないでしょ? やっぱり女の子は爪のケアとかしないとね〜」と言いました。…知らないのはお前だろ…と思いました。甘皮の処理くらいしってるわ。マニキュア塗ってねーだけだわ。爪長いの嫌いだから伸ばしてねーだけで、爪のケアくらいしてるわボケ! と思いました。

ちなみに私は彼氏がいたこともあり「女性性を売りにしなくても、そういうのがむしろ好みの男性もいる」ということも知っていました。
なぜ好きでもない男性に勝手に「女としての査定」を受けなきゃいけないんだ…? と思っていました。f:id:salucoro:20140607041539j:plain



さてそんな私に、転機がおとずれます。
22歳になるかならないかくらいの時にある日、自分の姿を鏡で見たら「あれ? なんじゃこりゃ?!」と思いました。まったく服が似合ってないのです。

おそらく、顔が大人になってしまったのです。
それまでは子供っぽかった顔が、ある日気が付いたら「あどけなさ」みたいなものが抜けて無くなっていたのです。顔が子供っぽかったころはショートカットでも、ノーメイクでも、半ズボンはいててもアリだった気がしたのですが「女っぽい顔」になってしまい、なんだかちくはぐになっていました。
「やばい! このまま行ったら、わたしはボーイッシュとはかけはなれた、謎の年齢性別不詳のおばさんになってしまう!」と突然気が付いたのです。
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大人になってもボーイッシュなのが似合うタイプはスレンダーな人だと思うのですが、私は元々背も低いし、太めなので女性らしいフワフワっとした格好のほうが似合うタイプなのだろう…と考えました。

それより一年くらい前、年上の女友達に囲まれてウィッグをかぶせられて、化粧をさせられて、ワンピースを着せられる、という体験したことがありました。
その時に写真も撮られたのですが、かなり別人に仕上がっており、写真を見た男性陣にも「こっちのほうがいいよ〜〜」とか言われまくった経験がありました。
そのときはとにかく「化粧とかめんどくさい…」「そういうの好きじゃない」と拒否していていました。
しかし、一年経って自分で鏡を見て「これはヤバイ!」と思い、その時化粧してくれた友達にすぐさま相談しました。

友達のところに行き、化粧の基本を教えてもらい、帰りにドラッグストアで化粧品を買いました。そして、服も全然似合わない服ばかりになっていたのでどんどん買い換えて、ワンピースとかを着るようにしました。f:id:salucoro:20140606030500j:plain
髪の毛もそのときすでにショートボブくらいだったので伸ばして、数ヶ月でイメチェンを完了しました(余談ですが私は髪の毛が伸びるのがすごく早いです)。

これが、「○○さんに、女の子らしいと思われたい」とか「バカにしてきた男性達を見返したい」とか、そういう理由じゃなくて、自分の中のジャッジする人が「おまえはもうボーイッシュは似合わない。諦めて自分の体型と素質に似合う格好を選べ」という声に命じられてやっているような気分だったのでほぼ「コスプレ」でした。
でもコスプレはコスプレで楽しいものなので、イヤイヤやってるわけでもありません。かといって自分の中の「女性性」と、それに対する妙な距離感は残ったままでしたし、それは未だに残っています。
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そして、イメチェンを完了したころ友人主催の簡単なパーティのようなものに行く機会がありました。そこに行ったとたん、今まで私に上から目線でダメ出ししていた男性達が「どうしたの?!」「そっちのほうがいいじゃん!」と誉め始めたのです…。
そして、明らかに「女の子」として扱う人まで出てきたのです。中身は何も変わってないのに。

ええええええ?!
そんなに世の中、単純なの?! そんなわかりやすいの?!

とビックリしました。
しかし気が付けばそれ以降、本当に「女らしくしなよ〜」というような上から目線のダメ出しとか「こいつはバカにしてもいい」みたいな扱いがほぼ無くなりました。
もちろん、中身は変わらないので急にモテたりはしませんでしたがとにかく年上男性からのマウンティング行為は無くなりました。私は「ファッション変えただけでそんなに違うのか…」と今まで自分を上から目線で見ていた男性達に対して少なからず「バッカみたい」と思ってしまったのです。

それと同時に、本当に日本の社会では女の化粧やおしゃれは「武装」なんだなと実感しました。
やってないとナメられる。

まあ…その後、結構わかりやすく痴漢とか変質者っぽいおじさんのナンパ的な絡みも増えたし、飲み会に呼ばれて「ホステス役をあてがわれる」とか女性性をアテにされるようなことも増えたわけですが、この辺のモヤモヤはまた別の機会に。

もちろん、すっぴんでもバカにされたりナメられたりしない女性はいると思います。
すっぴんがものすごい美人だったり、妖艶だったり。またはあっけらかんとしててはつらつとしていたり、キャラが立ってたり…。化粧に代わる「何か」があればよいのかもしれません。
しかし自分が体験した経験では「勝手に女を査定していいと思っている男性」というのは決して少なくない数存在しており、化粧をしていることで避けられるストレスというのもあるのだなと感じています。
この「化粧は武装」問題も女子同士のマウンティング行為の中で語られることもあるとは思うのですが、私が経験したのは男性からのほうが多かったです。

若かったからナメられたのかな? とも思うのですが、30代になった今もあまり化粧っ気のない女性が男性にナメられた態度をとられたりしてるのを見ると「どうやら年齢ではないらしい」と思い、無自覚な「査定目線」にモヤモヤしてしまいます。

化粧はたしかに見栄えは良くなるし、けっして楽しくないわけじゃありません。
私は「自分の顔は化粧してるほうがいいな」とジャッジして始めたわけだし、別に「男にナメられないために」してるわけでもないです。
それでも「今日は気合い入れて行こう」という日は化粧やおしゃれに気合いが入ります。「武装している」という意識はどこかにあると思います。
とはいえ…女子力みたいな話とは縁遠い、化粧は10分以内みたいな適当さですが…(実は眉毛も未だにちゃんと描いたことないのにこんなブログ書いててすみません…)。

プリミティブな話にすると、マオリ族の入れ墨も、アフリカの先住民族の化粧も大体「自分を強く見せるため」とか「魔除け」とかの意味があるので、現代社会においても同じなんだろうな…とは思いますが…。

ちなみにわたしのパートナーは「化粧してるかしてないか、いまいちよくわからない」というようなタイプです。それはそれで張り合いはないですが、私にとっては好ましいです。
でも…本当は「化粧をしてない女性を下に見る」ような男性も、化粧をしているとか、スカートをはいているとか、そんなわかりやすい記号でしか他者(異性)を判別できてないってことなのかな…と思うと、同じくらい鈍いのかもしれないなあ…と思ったりもするのでした。

ちなみに「化粧もダイエットもネイルもしないほうが女の子はカワイイぞ、わかってないな〜」っていうのも、言い方によると「化粧しろよマウンティング」と何ら変わりなくただ好みが違うだけの「自分は女を査定していい」って考え方によるところなので気をつけたいところです。「別に世の中の女はあんたのためにやってない」と言いたくなります。自分の彼女だけに言っていいことだと思います。

私もメガネ地味系男子が好きなのですが「男はおしゃれとかしなくていい、ぼーっとしてるところがいい!」とか、そういう風には発言しないようにしています。男女関わらず主語は小さく「私はそっちのほうが好み」くらいにしておいたほうがよいと思っています。自分が男性を選別・査定できる立場にいるとも思っていませんし、この辺の発言はへたするとタダの性癖の暴露になりかねないので、自他共に気をつけたいです。
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生まれなの? 育ちなの?

わたしは気が強いです。
なんでも自分で決めます。

友達の恋愛相談を聞いたりしていると、「○○だったらどうしよう」「決められない」というような話が多いな〜と思っていて、いつも話を聞いてツッコんだり背中を押したり、という役にまわっています。

比較的「言えない」「決められない」人が多いので、じゃあどうして自分は「何でも言う」「自分で決められる」になったのかな? とよく考えています。

生まれつきなの?
それともお育ち?

お育ちでいうと、私は4人姉弟なのですが、ほかの姉弟に比べてもちょっとパラメーターが極端な面がある、よく言えばパワフルな末っ子三女です。悪く言えば暴走しがち?
元夫が結婚の挨拶をしにきたときに父親が彼に「うちは4人姉弟がいて、みんな同じように育てたのにこの子だけ…どうも違うように育ってねえ」と言いました。そして元夫も「ええ、わかります(にっこり)」と答えたという思い出があります(なんじゃそりゃ!)。
こういったことを言われがちだったので常々「こんなよい環境で育ててもらったのに、なんでこうなっちゃったんだろうなあ?」と思いあぐねたりします。
自分の性質に対して「親と仲が悪くて反発してハングリー精神が養われた」とか「田舎の環境が悪くてそこから出るために頑張って来た」とかわかりやすいストーリーが展開できないので「この環境で育ったなら、もっと穏やかで女性らしい人間になっていてもいいはずなんだけどなあ」などといらぬ疑問を抱いたりしてしまうのです。

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男友達に言うと半分くらいに「生まれつきの性格なんだから理由なんて無いんだよ」と言われます。
しかし親とうまくいってない女友達から「さるちゃんは親に愛されて育ってきたのがわかる」と言われたり逆に「人生に違和感があるなら、親との関係を見直してみて!」などと言われたりするので混乱します。

新潮45シリーズに載っていた「池田小児童殺傷事件」の犯人・宅間守の話で、宅間守を妊娠中だった母親が「あかんわ,これ,おろしたいねん私。あかんねん絶対」と言ったというエピソードがあるのですが、どうして母親がそう思ったのかは謎のままですが「やっぱり生まれつきから人格に何かあるのかしら…?」と思うような話です。
しかし、これを聞いたある友人は「絶対そんなことない! 育て方に問題があるのだ。母親の妊娠中の思い込みが犯罪者を作った可能性がある」と言いました。彼は「人格は環境で決まる」と信じて疑わない人でした。それでもなぜ犯罪を犯す人の兄弟は普通の人だったりするのかしら。
同じ親からでもなぜ全然違う人格の人ができるのでしょう。

最近双子の話をWebで読んでて(自分もミックスツインなので興味があって)こんな記事を読みました。

第3回 パーソナリティも遺伝で決まる? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

安藤さんの研究によれば、新奇性追求、損害回避、報酬依存に遺伝が寄与する割合は、それぞれ、34パーセント、41パーセント、44パーセントだ。残りの66パーセント、59パーセント、56パーセントは、環境影響によって決まる。

 新奇性追求、損害回避、報酬依存といったパーソナリティに、遺伝が寄与することは前に述べた。さらに、パーソナリティのモデルとして有名な「ビッグファイブ」(5因子モデル)について、安藤さんたちが調べたところ、これもやはり遺伝要因が大きく効いていることがわかった。5つの因子とは、外向性、神経症傾向、誠実性、調和性、開放性。それらが、順番に、46%、46%、52%、36%、52%が遺伝要因で、のこりは環境要因という結果が出た。
 人の性格を形作る要素が、かくも遺伝の影響を受けていると示されて、どのように感じるだろうか。
 ぼくとしては、その寄与割合の大きさはやはり驚きだ。「調和性」を除き、ほかの要素は「だいたい半分は遺伝で決まる」と言っているわけだから。さらに、この結果は、安藤さんたちの研究のみならず、カナダ、ドイツなどでも、同じ方法で調査され、きわめて似た結果になったという。我々人類の「心」の普遍性を示しているのかもしれない。

大体半分くらいは、遺伝!
つまり、生まれつきでもあるし、残りの半分は育ちによる。
でも確かに、姉達に子供が生まれて姪っ子甥っ子を見てると生まれた時から性格ってあるし、それぞれの個性ってあるんだなあというのが実感なので「人間はまっさらな状態で産まれてくる」わけではないんだな。と思います

「目がいい・悪い」とか「足が速い・遅い」とか、そういうのはと同じように「気が強い・弱い」も体質なのかな。と思えば納得もできます。
でも目が悪かったらメガネをすればいいけど、気が弱くて言いたいこと言えない人ってどうしたらいいのでしょうか。私は昔逆に気が強いのを押し隠そうとして失敗したりしたこともありましたが、今は経験をつんで多少は周囲を揉めないようになりました。
気が強いのは「言い過ぎない」とかセーブすればいいけど、それに比べると「言わなきゃいけないことを言えない」ほうは克服が難しいような気がします。

私が「気が弱い」「うまく言えない」人と付き合う分ときには「この人は早く走れない」とか「重い荷物が持てない」みたいな感じで相手の力に合わせるように気をつけています。
自分の視力が裸眼で1.2あるからって視力が裸眼で0.1しかない人に「なんで見えないの?」と言うのは横暴な人なので「目の悪い世界は私にはわからないけど、この人はきっとよく見えてないのだろう」ということを前提にして付き合っていけば、衝突も減ると思っています。

最近は、女友達の恋愛相談で男性に対して「どうして彼はこんなに鈍いの?」とか「どうしてこんなに簡単なことがわからないの?」みたいな愚痴を聞いたりすると、私は「それは自分が足の走れる速度が速いのに、おまえの足はなんでそんなに遅いんだ!」って言ってるみたいなものじゃない? とアドバイスするようにしています。
「相手の気持ちが読み取れるとか」「気が利く」とか、そういうのもある程度は訓練でなんとかなるとしても、結局ある程度は産まれながらの資質によるんじゃないかなあと思うと諦めもつくし「じゃあどうやって足並みをそろえようか」という気持ちになれるんじゃないかなと思っています。

しかし問題は相手の「察知能力」とか「理解力」とかは体力測定とか、視力検査みたいにはっきりしないので、深く付き合わないと相手の力がよく見極めできないことなんですが…。
たまに「気の強さ・弱さ」とか「察知能力」とかも数値化して測定できたらいいんじゃないかとも思うのですが、できたらできたできっと問題が出るのかもしれません。

ちなみに「言いたいことがうまく言えない」タイプの女友達の恋愛相談を受けてると「相手に言わなければならないことをどう伝えさせるか」というところで難しいなあ…と思ってしまいます。目が悪いからって、メガネを渡すみたいなことはなかなかできません。こういうのも、訓練とか練習とかでなんとかなるのかなと思いつつ。友人の人生は友人のものなので、ある程度のアドバイスはしつつもそっと見守るようにしています。

人格は産まれながらのものなの? それとも育ってきた環境によるの?
という私の疑問はとりあえず「それぞれ半分づつ」らしいという答えを得たのですが、どっちでもあるし、どっちとも言えない。ということでした。
ある程度の性格は「きっとそれはたぶん生まれつきだから」と諦めたりしつつ、後天的に訓練で変えたりすることもできるということかな? と思うので、今後も迷ったり悩んだりしながら調整するしかないんだろうなあと思うのでした。


ちなみにこのナショナルジオグラフィックのサイトの連載は5回全部面白かったのでオススメです。
【研究室】「研究室」に行ってみた。 行動遺伝学・教育心理学 安藤寿康 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト