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ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

かぐや姫とポニョ【ネタバレ有り】

雨宮さんのかぐや姫評を読んだ。

『かぐや姫の物語』の、女の物語 - 戦場のガールズ・ライフ

 

私は雨宮さんの「女子をこじらせて」が好きで、同世代の女性の書き手としてすごくリスペクトしている。雨宮さんの繊細な感性も、文章の中に感じられる優しさもすごく好き。

で、わたしが「こじらせて」いるかといえば、真逆なのだけど「根っこの違和感の部分は同じ」なんだろうな…と思っている。

雨宮さんの心が言葉と思考を重ねて、手荒に触れてはいけないような、繊細さを保ちつつ、熱い炎のような情熱をアウトプットしているのだとしたら、私はとにかく…失敗しても心の筋トレを重ね、本来の鈍さを育て上げ、心に毛を生やしすぎて気が付いたら心に毛むくじゃらのケモノがいた……みたいな…。ヤバイ、これでは社会とコミットできない! と慌てて「社会性」とか「カワイイクリエイティブ」とかの着ぐるみを被って生活している…みたいな。そんな感じなんですけど…って「根っこは同じ」とか言っても信じてもらえないような気がしてきた。

 

そんな私は『かぐや姫の物語』を見て、「自分のことのようだ」と共感する部分は多くなかった。

私は思春期の頃、自分のことはさておき「かわいい女の子」に目がなかった。

しかし私は同性なので彼女達からなにかを奪うわけでもなく、与えるでもなく傍らにいた。そこでつくづく「顔がカワイイというだけで、苦労が絶えないなあ…」と実感した。

「モテる」はある意味地獄だ。

勝手に他者から望まれて、その期待に答えられないと憎まれる。姿形ばかりにとらわれて、相手は自分の本質まで言及もしてこないし、求めてもこない。

意図しない相手にはつきまとわれ、恐ろしい思いをしても問題としては軽く扱われ「受け流しなさい」「気にするな」とだけ言われる。そして彼女達は自分を守る術として頑なになる。そんな「美しい女の子」の生きづらさなら、さんざん見てきた。

だから「かぐや姫の物語」に泣けた。

 

この映画の問うべきところは「王子様が出てきてハッピーエンド」にならない。という点だと思う。

捨丸兄ちゃんは、この物語において「王子様」になれる唯一のキャラクターだったのだけど、かぐや姫に再会する前に結婚して子供がいる。

捨丸が大人になる瞬間は「盗みをしているのをかぐや姫に見られて、それが原因で捕まるも、見捨てられる」という瞬間だったのではないかと思う。

あそこで、宮崎駿の映画に出てくるヒロインだったら捨丸をかばうと思うんだよね…。でも、かぐや姫は何もしない。というか、できない。

自分にある財力を使ったり、自分にある力を行使すれば助けることはできたかもしれない。でも、しない。しないんじゃなくて、できないのだ。

かぐや姫は「自分の祝いの席」で品定めされたときも、あれだけ強く激しい怒りを感じながらもそれを発露することもなく秘めてしまう。

でもそれって、彼女のせいだろうか? そんなことしたら、大好きな翁や媼がどんなに困り、悲しむか。と心に秘めてしまう人は多いと思う。

誰もがうらやむ婚姻を喜べず「わがまま」と言われても、彼女は彼女なりに周囲とコミットしようと努力はしていた。庭を作ったり、父親の面目を潰さないように求婚を断り、震える手を隠しながら平静を保ち、必死に自分と周囲の折り合いをつけようとしていた。


ここは実は男女関係なく「そういう人がいる」という点において、理解し心を揺すぶられる。雨宮さんのかぐや姫評に感じ入るのもこういうところだと思う。

私はたぶん少し「自分を殺す事ができる」人に憧れているのだ。

他人を傷つけることよりも、自分が傷つくことを選んでしまう人を少しもどかしいと思いながらも尊敬している。私にはできないから。


話を戻すと、「王子様が出てきてハッピーエンドにならない」のは日本の昔話によく見られるパターンで河合隼雄先生の「昔話と日本人の心」を読みかじったくらいの知識がないので深く言及はしないのだけど、日本の昔話は「異類婚が成立しない」という点で世界的に見て特殊らしい。異形の者が女性の場合は静かに立ち去るのみで、男性の場合は殺されてしまう。

西洋の物語のハッピーエンドは王子様とお姫様が結ばれて終わる。

この辺の詳しいところは例外も含めて河合隼雄先生の「昔話の深層・ユング心理学とグリム童話」を読んでもらうことにするとして、西洋の異類婚が成立するといっても「元々人間だったものが、主人公の働きで人間に戻り、結婚する」という流れであるところがそもそも違う。

 

ディズニー映画「美女と野獣」を初めて見たとき、最後の最後だけ納得いかなかった。あの野獣が好きなんじゃなかったの…? どうして王子になっちゃうのおおお!? と。そして「シュレック」もヒロインと結ばれる為に「シュレックが人間になるか」「フィオナ姫がオーガになるか」のどちらかしかないのだった。

西洋的でも日本的でも「異形の者と人間との異類婚は成立しない」というのが、主流の考えなのだ。

イヌイット民話など例外はあるのでそれは「昔話と日本人の心」を読んで下さい)

 

そこで「崖の上のポニョ」である(やっと出た)。

ポニョは西洋的から視線でも日本的な視線でみても特殊なケースで、宗介は相手が人間でないことを知っていてなおかつ、無条件で受け入れてしまうのだ。

あのラストを見て、私は腰が抜けた。

長年ずっと「なぜ異類婚は異形のまま受け入れられないのだろうか」と思っていたから。同じ半漁人である「人魚姫」なんて、人間の姿を手に入れる為に声を失い、痛みに耐えたのに最後には王子様は別の女性と結婚してしまい、人魚姫は泡になってしまう。

ポニョはほぼ無根拠に「好きだから」というだけで受け入れられてしまうのだ。

一応ポニョは「宗介に無条件で受け入れてもらうことで人間になれる」わけで最後は「人間になって」ハッピーエンドなのだけど。…あれ、本当に人間になったの?!

と思われるようなラストだった。最後のキスはポニョからしてるし、どう考えても、宗介が「贄」にしか見えない…!

「昔話と日本人の心」によると、数は多くないが異類婚は女性のほうが「天女」など格上の場合成立することがあるという。

しかし異形の嫁は家に呼び入れると富を産むのがセオリー…。きっと宗介一家はお金持ちになったのだ…と信じたい。

「ポニョ」は津波を引き起こし、自分の都合だけでつっぱしる。「宗介が好き」だけで。世界を壊滅させてあの世とこの世の境界を無くしてしまう。あれで最終的に宗介が受け入れなかったら「ポニョが泡になる」で済むのだろうか。あのまま世界は海の底だったんじゃ…。て、いうか…そもそもグランマンマーレとフジモトも異類婚なのだった…。

つまりポニョは「自分の都合だけ」を考えればよくて誰かに遠慮したり、我慢したりする必要がない、ということではないのか…と。

「トキ」さんだけが今までの物語の世界にいて、それ以外はみんな異形の者に取り込まれてしまっているのです…。あああああ、なんて怖いんだああああ!!


しかしこれこそが「私の求めている話じゃないか」と思ったのです………。

「異形の者が異形の者のまま偽ること無く相手に受け入れられる」ことを望んでいる。

それを見た当時、自分の結婚が異類婚であり、まるで「正直者のところに嫁にしてくれ」とやってきた異形の嫁のようだ、と自分のことを思っていた私にはあまりにも衝撃的な話だった。

私には「異形であることは隠すべき禁忌である」とすり込まれていたのに、ポニョは自分のもてる力を全て使い、世界を人質にして、自分の欲しいものを手に入れてしまったのだ。そして、力を使ったことに対して何の罪も問われない。

そんな映画が大ヒット…!? なんちゅうもんをつくったんや…宮崎駿…! 

と、クラクラした。

ポニョみたいに、誰に遠慮しなくてもよくて、力を使いたい放題使えて、世界を壊しそうになっても誰からも咎められず、何もかも受け入れてくれる伴侶(という贄)を力業で得る(リサからみたらほぼ強奪じゃないかしら…)……そんなヒロインは私にとってはもちろんこの世にいてほしい。でも、みんなポニョじゃないじゃない?


私だって親の期待には応えたいし世間も気になる。こんなに心臓にもしゃもしゃ毛が生えていたって、決してそこから逃げることはできない。

「かぐや姫の物語」は「ほとんどの女の子はなぜポニョになれないのか」という答えがあるような気がした。

 

しかし…異形の嫁は自ら山に帰り、そして今は自分が異形だと知っている贄のような男性と連れ添い、無事に人間として暮らしているので、今の私はどう考えてもポニョ派です…(´Д` )。この世には飛んで火に入る夏の宗介みたいな人がいるものなので、山にも月にも帰らずに済んでいる。