ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

ノストラダムスと中1女子

先日「どうやって今の職についたか」みたいな話を大学生にする機会があった。

「やりたいことをお金に換えるには?」みたいな話しに京都まで行って来た。

それで私が短大を卒業してすぐにフリーランスになってお金を稼ぐようになった話をしたんだけど、話を聞いていた学生さん達は、みんなそんな生き急いでるような感じではなかった。

 

「なんで自分はこうなったんだっけ?」と色々考えていたら、私が生き急いでる系の人生になったきっかけじゃないかなということを思い出した。

原因は思春期の頃の発想にあったような気がする。

 

思春期の頃。私の思春期の目覚めは「中2」よりちょっとだけ早く、中1。私は1976年早生まれなので、中1は1988年。

 

中学生って、子供から大人になる時期でそれまでは役に立たなくて当然の存在だったのに徐々に自分の人としての役割について考えはじめるころ。

中1の頃はクラスにあんまり仲いい子がいなくて、だからといって別に浮いてるわけでもなかったけど、たまに「2人組になって」とか言われると余って、クラスの「余ってる」子と組まされる、みたいな時期だった。

余ったからといっていじめられるタイプでなかったので、別のクラスにいた小学生時代の友達とかとそれなりに楽しくやっていて、深刻な感じではなかったのだけど、脳天気だった小学生時代とは違いどんよりと考え込むようになっていった。

 

小学生の頃は「マンガ家」になりたかった。でも「定規でコマ割」することが苦痛で諦めた。なので「イラストレーター」か「編集者」になりたかった。 

 

「夢を叶える」ためにどうしたらいいか…それ以前に、自分は大人になれるのか。と心配していた。なぜなら、当時「ノストラダムスの大予言」が流行ってたからだ。「1999年に世界は滅亡」したらどうしよう、と本気で心配していた。冷戦終結前だったし世界が滅亡しそうな理由もたくさんあった。

 

北斗の拳も「199X年!世界は核の炎につつまれた!」からスタートするし、2000年はマッドマックス、モヒカンひゃはー! の世界かもしれない…。

そんな世界で「人は何のために生きてるんだろう」と壮大なテーマ考えていた。

ザ・中学生の思考。12歳だし。

にしても「核戦争で世界が終わる」って話は本当に多かった。北斗の拳だけじゃない。ナウシカだってマクロスだってみーんな「そろそろ終末戦争があってみんな死んじゃうよ」って設定だった。

そんな世界で12歳だったら「大人になれないかも」って真に受けてもしかたないかなって思う。

 

将来の夢として、自分はマンガを描いたり、絵を描いたりしたいんだけど世界が終わるときにそんなことしててもいいのかな? というのが目下の悩みだった。世界を救わなくてもいいんだろうか。と。

世界は救えなくても、誰かをかばったり誰かの身代わりになって「ああ、誰かの役に立ってよかった」って思って死ねたらいいな…とか思っていた(子供の発想)。

「自分はなんにもできない」という無力感は中2病の一番の原因だと思う(中1だったけど)。

 

でもモンモンと悩んでいたある日、たぶんマザー・テレサの名言かなんか読んで「あ、そうか世界を救わなくてもいいんだ」と気が付いた。「100人助けなくても1人助ければいい」「世界平和よりも自分の身の回りのひとを助けなさい」(うろ覚え)みたいな話で「そうだよね、私に世界が救えるわけじゃないし。でも身の回りにいる人の役に立てればそれでいいんだ」みたいに子供なりに納得した。

 

さて、善良に前向きに生きようと思ったところまではよかったが、肝心の「大人になって夢を叶える」問題が残った。1999年は23歳である。

ぼやぼやしてたら、世界が終わっちゃうかもしれない。

中1の私は1999年までの「人生計画」を立てた。

 

…まずは姉が通っていたのと同じ美大の付属の高校に入り(1991年)、その後そのまま短大に進学し(1994年)、卒業したらデザイン事務所に就職し(1996年)、2年くらい働いたらフリーのイラストレーターになろう!(1998年)

 

そしたら、1999年に人類が滅亡する前に、自分のなりたいものに、なれる!

 

そして、その「中1で立てたプラン」は、その後ほぼ実行された。

実際はデザイン会社に就職せず、短大時代に学校以外でデザインアシスタントをしてデザインの経験値を積んで20歳でフリーになるという巻きの展開になり、1999年より前にイラストで仕事していたのですが(この辺はDTP黎明期による時代の流れの影響が大きい)。

ちなみに「あ、人類滅亡しないな」というのは高校生になるころには気が付いた(人類の歴史においてずっと「終末思想」というものがあるのを知ったので)。それに90年代後半はノストラダムスのことなんか気にしてなかった。だから短大入る頃にはそんな人生計画忘れてた。忘れてたんだけどどこかで「ぼやぼやしてたら死んじゃうかも」と思ってたんだと思う。

 

ちなみに、アラフォーになった今は生き急いでる系の人生の反動か、離婚したりして人生計画がわからなくなり、かなりその日暮らしの感覚で生きている。

でも今日までなんとかやってきたんだから、この先もなんとかなるだろ…みたいな感じなので12歳のころの私が聞いたら「そんないいかげんで、先のこと決まって無くて不安じゃないの?!」と、たぶんすごくビックリするだろうな。

 

ちなみに「定規でコマ割するのが苦痛で諦めた」マンガ家への道は、Mac買ったらあっさり解消された。

ありがとうテクノロジー! 21世紀バンザイ!(Macは20世紀から使ってるけど)

無事に21世紀になって、本当によかったなあ。