ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

生まれなの? 育ちなの?

わたしは気が強いです。
なんでも自分で決めます。

友達の恋愛相談を聞いたりしていると、「○○だったらどうしよう」「決められない」というような話が多いな〜と思っていて、いつも話を聞いてツッコんだり背中を押したり、という役にまわっています。

比較的「言えない」「決められない」人が多いので、じゃあどうして自分は「何でも言う」「自分で決められる」になったのかな? とよく考えています。

生まれつきなの?
それともお育ち?

お育ちでいうと、私は4人姉弟なのですが、ほかの姉弟に比べてもちょっとパラメーターが極端な面がある、よく言えばパワフルな末っ子三女です。悪く言えば暴走しがち?
元夫が結婚の挨拶をしにきたときに父親が彼に「うちは4人姉弟がいて、みんな同じように育てたのにこの子だけ…どうも違うように育ってねえ」と言いました。そして元夫も「ええ、わかります(にっこり)」と答えたという思い出があります(なんじゃそりゃ!)。
こういったことを言われがちだったので常々「こんなよい環境で育ててもらったのに、なんでこうなっちゃったんだろうなあ?」と思いあぐねたりします。
自分の性質に対して「親と仲が悪くて反発してハングリー精神が養われた」とか「田舎の環境が悪くてそこから出るために頑張って来た」とかわかりやすいストーリーが展開できないので「この環境で育ったなら、もっと穏やかで女性らしい人間になっていてもいいはずなんだけどなあ」などといらぬ疑問を抱いたりしてしまうのです。

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男友達に言うと半分くらいに「生まれつきの性格なんだから理由なんて無いんだよ」と言われます。
しかし親とうまくいってない女友達から「さるちゃんは親に愛されて育ってきたのがわかる」と言われたり逆に「人生に違和感があるなら、親との関係を見直してみて!」などと言われたりするので混乱します。

新潮45シリーズに載っていた「池田小児童殺傷事件」の犯人・宅間守の話で、宅間守を妊娠中だった母親が「あかんわ,これ,おろしたいねん私。あかんねん絶対」と言ったというエピソードがあるのですが、どうして母親がそう思ったのかは謎のままですが「やっぱり生まれつきから人格に何かあるのかしら…?」と思うような話です。
しかし、これを聞いたある友人は「絶対そんなことない! 育て方に問題があるのだ。母親の妊娠中の思い込みが犯罪者を作った可能性がある」と言いました。彼は「人格は環境で決まる」と信じて疑わない人でした。それでもなぜ犯罪を犯す人の兄弟は普通の人だったりするのかしら。
同じ親からでもなぜ全然違う人格の人ができるのでしょう。

最近双子の話をWebで読んでて(自分もミックスツインなので興味があって)こんな記事を読みました。

第3回 パーソナリティも遺伝で決まる? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

安藤さんの研究によれば、新奇性追求、損害回避、報酬依存に遺伝が寄与する割合は、それぞれ、34パーセント、41パーセント、44パーセントだ。残りの66パーセント、59パーセント、56パーセントは、環境影響によって決まる。

 新奇性追求、損害回避、報酬依存といったパーソナリティに、遺伝が寄与することは前に述べた。さらに、パーソナリティのモデルとして有名な「ビッグファイブ」(5因子モデル)について、安藤さんたちが調べたところ、これもやはり遺伝要因が大きく効いていることがわかった。5つの因子とは、外向性、神経症傾向、誠実性、調和性、開放性。それらが、順番に、46%、46%、52%、36%、52%が遺伝要因で、のこりは環境要因という結果が出た。
 人の性格を形作る要素が、かくも遺伝の影響を受けていると示されて、どのように感じるだろうか。
 ぼくとしては、その寄与割合の大きさはやはり驚きだ。「調和性」を除き、ほかの要素は「だいたい半分は遺伝で決まる」と言っているわけだから。さらに、この結果は、安藤さんたちの研究のみならず、カナダ、ドイツなどでも、同じ方法で調査され、きわめて似た結果になったという。我々人類の「心」の普遍性を示しているのかもしれない。

大体半分くらいは、遺伝!
つまり、生まれつきでもあるし、残りの半分は育ちによる。
でも確かに、姉達に子供が生まれて姪っ子甥っ子を見てると生まれた時から性格ってあるし、それぞれの個性ってあるんだなあというのが実感なので「人間はまっさらな状態で産まれてくる」わけではないんだな。と思います

「目がいい・悪い」とか「足が速い・遅い」とか、そういうのはと同じように「気が強い・弱い」も体質なのかな。と思えば納得もできます。
でも目が悪かったらメガネをすればいいけど、気が弱くて言いたいこと言えない人ってどうしたらいいのでしょうか。私は昔逆に気が強いのを押し隠そうとして失敗したりしたこともありましたが、今は経験をつんで多少は周囲を揉めないようになりました。
気が強いのは「言い過ぎない」とかセーブすればいいけど、それに比べると「言わなきゃいけないことを言えない」ほうは克服が難しいような気がします。

私が「気が弱い」「うまく言えない」人と付き合う分ときには「この人は早く走れない」とか「重い荷物が持てない」みたいな感じで相手の力に合わせるように気をつけています。
自分の視力が裸眼で1.2あるからって視力が裸眼で0.1しかない人に「なんで見えないの?」と言うのは横暴な人なので「目の悪い世界は私にはわからないけど、この人はきっとよく見えてないのだろう」ということを前提にして付き合っていけば、衝突も減ると思っています。

最近は、女友達の恋愛相談で男性に対して「どうして彼はこんなに鈍いの?」とか「どうしてこんなに簡単なことがわからないの?」みたいな愚痴を聞いたりすると、私は「それは自分が足の走れる速度が速いのに、おまえの足はなんでそんなに遅いんだ!」って言ってるみたいなものじゃない? とアドバイスするようにしています。
「相手の気持ちが読み取れるとか」「気が利く」とか、そういうのもある程度は訓練でなんとかなるとしても、結局ある程度は産まれながらの資質によるんじゃないかなあと思うと諦めもつくし「じゃあどうやって足並みをそろえようか」という気持ちになれるんじゃないかなと思っています。

しかし問題は相手の「察知能力」とか「理解力」とかは体力測定とか、視力検査みたいにはっきりしないので、深く付き合わないと相手の力がよく見極めできないことなんですが…。
たまに「気の強さ・弱さ」とか「察知能力」とかも数値化して測定できたらいいんじゃないかとも思うのですが、できたらできたできっと問題が出るのかもしれません。

ちなみに「言いたいことがうまく言えない」タイプの女友達の恋愛相談を受けてると「相手に言わなければならないことをどう伝えさせるか」というところで難しいなあ…と思ってしまいます。目が悪いからって、メガネを渡すみたいなことはなかなかできません。こういうのも、訓練とか練習とかでなんとかなるのかなと思いつつ。友人の人生は友人のものなので、ある程度のアドバイスはしつつもそっと見守るようにしています。

人格は産まれながらのものなの? それとも育ってきた環境によるの?
という私の疑問はとりあえず「それぞれ半分づつ」らしいという答えを得たのですが、どっちでもあるし、どっちとも言えない。ということでした。
ある程度の性格は「きっとそれはたぶん生まれつきだから」と諦めたりしつつ、後天的に訓練で変えたりすることもできるということかな? と思うので、今後も迷ったり悩んだりしながら調整するしかないんだろうなあと思うのでした。


ちなみにこのナショナルジオグラフィックのサイトの連載は5回全部面白かったのでオススメです。
【研究室】「研究室」に行ってみた。 行動遺伝学・教育心理学 安藤寿康 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

空手とブログと虚と実

ちょっと前、ブログ事情に詳しい方と色々お話をする機会がありました。
どうして私がこのブログを始めたのか、とかPVについてなどの話を聞いたのですが、最近空手の後輩に成果を出すための考え方を話をしたところで「どちらにも通じるところがあるなあ」と思ったので自分の備忘録的にまとめてみました。
というわけで、長文です。お暇な人だけどうぞ。

空手を始めたきっかけ(フィジカルとメンタル)

私は空手を始めて12年目。
私はスポーツやら体を動かすことが昔から嫌いで、習い事をするなんてみじんも思っていませんでした。
20代後半で突然空手を始めたきっかけは「たまたま友達に誘われて」で、その時「フィジカルの感覚がなさ過ぎる」生活をしていたのが原因だと思います。

一人暮らしでフリーランス。通勤もないので外に一切出ないで家の中でパソコンと向かい続ける毎日。クリエイティブもデジタル、納品する成果物もデジタル。報酬としての入金も口座の数字だけでした。
友達とはたまにしか会わずに、やりとりチャットかメール。仕事もほとんどメールです。一度も電話でさえ会話せずに仕事が終わるなんてこともザラです。
気が付いたら1日、コンビニの店員さんと交わした「お箸はいりますか」「いりません」だけがリアルな会話だったりしました。忙しいとそんな生活が1週間とか続いたりして、仕事もしてるし、社会とも繋がってるのに「体の感覚」がどんどん無くなっていきました。

ある日、気が付いたらパソコンを眺めている私の体は目と手だけしか動いて無くて、身体感覚がなくなり「ポインターの矢印が自分」なんじゃないか…という錯覚に襲われました。
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そんな生活をしていたらメンタルが健康になるハズもなく、たまに実際に人と会うと久しぶりに人と話してることに興奮してテンションが上がりすぎたり、それが原因で人とうまくいかなかったり…わたしはちょっとおかしくなっていたのです。

対人関係でメンタルに打撃を受けたある日「このまま家にいたら死んじゃいそう」と思った私は友達に「ゴハン食べに行かない?」と連絡しました。すると「空手の体験に行く」と言われました。
「空手…?!」それまで人生でなんら接点のないものでした。
空手なんて興味ないけど、今日は家にいたらいけないと思ってでかけることにしたのです。

初めて空手をやってみたら、あまりに分けがわからなくて、自分の体の知らないところを動かさなきゃいけなくて、あたふたしました。
そして終わってから「あれ? 今の時間だけは頭でごちゃごちゃ考えてなかったな」と気が付きました。そしてなんだかスッキリしていました。
行く前まではあんなに「今にも死にそう」みたいな気持ちだったのに、それほどでも無くなっていたのです。そして気が付いたら毎週通っていました。
そしてどんどんハマり、あっという間に黒帯を取り、4年で弐段に。多いときは週に3、4回練習に行っていました(今は週1くらいです)。

友達に「それ以上強くなってどうするの?」「何になりたいの?!」と言われたりしましたが、とにかく「メンタル」と「フィジカル」の関係性を考えるのが面白かったのです。
私はそれまで本当に「人と会話する」レベルでも「フィジカル」が足りてなかったので、自分の頭を使ってるのと同じくらい体を使わないとバランスが取れなかったのだと思います。
正直あの時に空手に出会ってなければ精神科のお世話になっていたかもしれません。
元々メンタルを病むようなタイプではないのですが「声を出す」レベルで体を使わない生活をしていたらバランスがおかしくなると思います。何か嫌なことがあっても、家に一人しかいなければ声も出せません。そんな状態で生きて行けるのはネットとパソコンがあるからで…そう考えると意識して体を動かさないとダメだと実感しました。

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ちなみに最近は悩み過ぎている人を見ると「空手でもしたら」と勧誘する空手妖怪に…。
いいですよ、空手。オススメです。

体と心と虚と実

その時からすごく意識するようになったのは「虚実」についてです。

わたしようなデスクワーカーには「実体の無いもの」が多いです。
体を動かすことは「実体のあるもの」で、メンタルは目に見えにくい「実体のないもの」。
とはいえ、頭の中にも「実」と「虚」は存在しています。
本音や本当に自分が願っていること、必要としていることが「実」だとすると、見栄や虚栄心、不必要な不安や怒りは「虚」だなと感じるようになりました。
体を使っているうちに、この「虚」の部分が小さくなっていくのを感じました。
体を使わずに家で悶々と悩んでいると、脳に使うパワーが有り余り過ぎて、実際にはまだ起こっていない出来事まで「こうなったらどうしよう」などと何手も先のことを考え始めがんじがらめになってしまいます。
トラブルが発生すれば「アレはきっとああいう意図に違いない!」などと被害妄想が膨らみ、必要以上に事を大きく考えてしまったり、とにかく頭の中の出来事のボリュームが大きくなってしまうのです。
これが、体を動かして帰宅するとスッキリと余計な考えが抜けて「事実関係」だけを冷静に考えることができるようになりました。

友人にこの話をすると「それ、脳に酸素が行ってなかったんだよ」と言われました。
「脳に酸素がたくさんいくと、人間は大体ハッピーになるんだ」と教えてもらい、体を動かしてなかった血の巡らない頭の私は、まるで新しい水が入ってこない淀んだ沼みたいだったな…と思いました。
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そこから私は「虚実を見極める」ということに興味を持つようになりました。
空手の面白いところはその「虚と実」が実際に目に見えるところだと気が付いたのです。

空手の動きには全て意味があり、一人で打つ「型」の動きも全て「相手」があり、技になっていて、これを理解せずに動きだけまねていても「型」になりません。

その動きにその人のイメージや理想が反映されてしまいます。「技」にストイックな人の型はとても正しく美しいです。「自分の体の力が、相手に伝わるか」とか「相手の攻撃をいかにうまくかわせるか」という動きは余分な力もなく、とても強く見えます。
ところが「かっこよくみられたい」「他の誰かよりも、よい型だと思われたい」などという邪念…「虚」が型に乗り始めるとそれは不必要な力みや勢いになり、その型は崩れ始めてしまいます。
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これに気が付いてから空手以外の場所で使われる
「肩に力が入ってる」
「お腹に力が入ってない」
「力みすぎる」
「脇が甘い」
「気合いが足りない」
などという言葉が本当に「その状態だと実力を発揮できない」ということを指し示している、ということが実感できました。

人は感情が体に出るのです。

つまり「フィジカルとメンタルは密接に繋がっている」ということがよくわかりました。
どんなに頭で理想を考えても、体を使って実現しなければ意味がありません。そして逆に体を正しく使うことがメンタルに影響を及ぼしたりもするのです。  

緊張しているとき、大きく息を吐いて肩から力を抜き、お腹に力を入れると実際に気持ちが落ち着きます。逆にこれからすることに自信があったり確信がある場合には人は肩に力が入ったりしません。
立っているだけでも、肩が上がって首がすぼんでいる人はすくんでいるように見えて弱そうに見えますし、肩が下がっていて胸を張っている人は自信満々で強そうに見えます。
そして、それを空手で体現するためには実際に何度も練習をし、自信をつけ確信をもたなければそのようには立てないのです。

組手と一対一のコミュニケーション

空手には一人で打つ「型」と、一対一でやりとりをする「組手」があります。
うちの流派はハーフコンタクト(一応当てるけどダメージを与えない、引き手のある突き)。
この組手を見ていると大体その人の恋愛傾向が見える…というのが私の持論です(これを空手の人に言うと結構嫌がられます…)。
フィジカルを動かすことはメンタルに影響を及ぼすのですが、ヨガやダンスと違って空手をはじめとした武道は「相手ありき」の考え方です。必ず他者が存在します。
組手も恋愛も一対一のやりとりなので、その人の理想や本質が空手の中に見える…と思っています。普段とても大人しい人が組手になるとがぜんヤル気になる…という場合は大体、恋愛でもそうです(笑)。
そしてやはり、恋愛に消極的なタイプが組手で積極的だったりすることもほぼありません。恋愛が不器用なタイプは、やはり組手でも不器用です。
技として精度が上がっていくと、必ずしも恋愛傾向と一緒になるとは限らないのですが組手の経験値が低ければ低いほどわかりやすくスタイルに出てしまいます。

なので、審査会での組手を私は大変悪い顔で眺めています…。
「ほほう……○○さんって意外と自分から行くタイプなのね…」
「おお…○○くんはやっぱり相手に攻めさせてから最後にかっこよくキメたいタイプなのね…」
「ふふふ…○○さんて、相手のこと全然見てないから彼氏がいるのに告白しちゃうタイプよね……」
「あ〜〜○○さんって、戦う前から勝手に思い込んで諦めるタイプかぁ…」
…などなど。

では、自分はどうなのか? と考えはじめました。
私は組手してるとき、何を考えているのかな…と。
相手が目の前にいるとついつい「負けたくないな」とか「かっこわるく負けたらどうしよう」などという考えが頭の中を一瞬よぎります。でもそれは「虚」であって本質ではありません。

組手の本質とは何か。それはいかに相手よりも先に自分が攻撃をするか、ということです。その場合「他人からどういう評価を受けるか」を予想したりそれに怯えたりするのは意味がありません。
相手の動きをよく見て、どれだけ「技」に純粋になれるか。ただそれだけを考えたいと思いました。

相手を目の前にしても、私のテーマはなるべく「虚」を無くし「実」を極める。
というものだなと思いました。

自分の恋愛観と同じか、と言えば確かに自分が相手を「好きかどうかだけに純粋になりたい」という理想はあるかもしれないと思います。条件とかスペックとか、人から羨ましがられる相手とか、そういうのではなくて「打算なく相手を想いたい」のが理想だと思っています。

もう一つ、自分の組手について考えて気が付いたのは「他人が怖くない」ということです。
私は普段から自分の言い分を言うことに全く抵抗がありません。
これに抵抗がないタイプは、他人を攻撃(突く)ことにも抵抗がないと思いました。
なぜなら、自分がそれをされても大丈夫だからです。他人から自分の弱点(隙)を攻撃(突かれる)されても組手のやりとりにおいては同じ土俵の上にいるのだからフェアです。
隙があったら突かれるのは当然のことで、それが嫌なら練習すればいいし、勝ち負けにこだわり過ぎなければまたそのやりとりも楽しいです。なので大体組手の時の私は…とても楽しそうだと言われます。
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そして…自分が隙を突かれても平気なので…相手の隙も容赦なく…突けます…。後輩や帯下相手には遠慮しないと…いけないのですが…隙が見えたら考えるよりも先に体が動いてしまい、何度かちょっとキレイに入り「やっちまった!」ということもありました。
でもこれも実際の人間関係でもすごくよくあることなのです…(反省)。
組手は人間関係(恋愛傾向)とよく似ている。という持論は自分の行動からも大体そうだろうな…と思います。


ブログの中の虚と実

長い…長すぎるけどやっとここでブログの話です。

私はPVなどにあまり興味がなく、PV集めのためのテクニックなどを教えて頂いてもピンと来ません。
その数を稼ぐことを目的にするのは私の中で「虚」だからです。
本当に誰かに伝えたいこと、自分が思っていて誰かに届いたらいいなと思っていることが「実」であり、それがないものは意味がないと思います。
なので「こうしたらアクセスが伸びる」とか「ブログでお金を稼ぐ」という話は全然興味がありません。

たまたま自分が伝えたいことがある一定数の人に響いたら嬉しいです。「自分の伝えたいこと」が空手で言うところの「突きの力」だとしたら、正しく伝われば「よく効く突きを打てた」ということだと思います。
ブログで書いたことを共感してくれる人が多ければ「おお、板が3枚は割れたかかな」というような気持ちになります。
なので、そこの反応がネガティブなものばかりなら「正しく伝わらなかった」「自分の体制が崩れていた」ということだと思います。
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ただたまに「どうやったらそういう解釈になるの?」という不思議な人もいるのですが、実際空手でも明らかに打たれても認めない人もいるし、全然突けてないのに突いてるつもりの人もいるから「そういう人はいる」とは思っています。

PVやアクセスのためにわざとネガティブな「釣り文」を書いてるような人を見ると、私には「効かない突き」を打ち、形ばかりの「型」を打つ人にと被って見えるのです。

私が好きなブログはみな「自分が本当に伝えたいこと」を書いてくれている人達で、器用でも不器用でも「実」のある強い「突き」を繰り出す人達に魅力を感じるし、面白いと思っています。

ちなみに私はネット上においては組み手はしません。
相手の目線も息づかいもわからないので、目をつぶって組手をするような状態で正しく組手ができるとは思いません。人類の好感・反感における(←修正しました)コミュニケーションで言語が占める割合はたった7%だという俗説を聞いたことがあるのですが、実際に目は口ほどにモノを言うし、声や呼吸、筋肉の強ばりから感じられるものはすごく大きいです。

目の前に人がない場合言語以外の情報が(←修正しました)一切「虚」の状態で、敵だと思っていたら自分の影だった…なんてことはよくあります。もし私を攻撃する人がいたとしても「虚」の状態で攻撃されている限り、私は返すつもりはありません。
目の前に人がいる。という「実」の力はとても強いです。「噂で聞いたことのある人」に実際に会ったら全然印象が違った。ということもよくあります。ネットでケンカするくらいなら、相手の家に直接行って話がしたいです。逆に直接殴り込めないような距離感の相手とは縁を深くする必要もないと思います。
ちなみにこの本を読むと、Hagex先生は「『虚』と戦う暗闇組手の師範」みたいなものだな…と思いました。
「ネットの釣りとデマのルールブック」Hagex先生の本。 - ハート♥剛毛系
ここまで来ると「虚」の中の「実」を追い求めることになるので、求道的だと思います。
ちなみにHagex先生は空手やったらすぐに上手くなり、絶対にえげつないスバラシイ空手家になると思うので、空手やらないかな…と密かに思っています…。

そんなわけで、何事も人生のテーマというのは一貫していているのだなあと思いました。
今後もそんなことを考えながら全てにおいて「虚」を減らし「実」を求めてやっていきたいです。


…と、こんな話を空手の先輩にしたら「おまえはどこの達人だ」と言われました…。
テーマがデカイらしい…。
占いでもよく「考え過ぎ」と言われているので、基本考え過ぎのようです…。

「私は奥さんじゃありません」

わかってます。こういうこといったら「めんどくさい女だなあ」って思われるの。
先日パートナーの仕事関係の相手に紹介される機会があったのですが「奥さんです」と紹介されたのでした。
家に帰ってから「あそこは『奥さん』ではなくて『パートナー』か『妻』と紹介して欲しい」とお願いしました。


私が今「法律婚」をなるべくしたくない理由に「どちらかが改姓するリスク」があります。
結婚して改姓すること - ハート♥剛毛系

しかしこれだと「選択制夫婦別姓」が制度として利用できるようになったら「法律婚」するのか、というと、そうではないです。私が「法律婚したくない、メリットを感じない理由」は「お財布を一緒にしない」からです。

現在のパートナーも私も給料でお金をもらっていないので、仕事とプライベートのお金の境界線が曖昧です。お互いが独立した経済活動をしているので、共有財産を持たない方向での関係を形成しています(この先、状況によっては変わるかもしれませんが)。
その場合法律婚によるメリットは殆どありません。
どちらかがどちらかの扶養に入ることもないですし、共有財産も今の所ないので相続する財産についても特に現状としては公正証書を作ってお互いに渡るようにする…というほどの状況でもありません。
(ただ、病気・介護・死後の事後処理などはお互いに任せることになっているので保険については受取人をお互いに変更する予定です。)

たまに「お財布を一緒にしないなんて夫婦じゃない」みたいなことを言う方がたまにいらっしゃるのですが、それが夫婦でないなら、そうでなくてもよい、と思います。
なので、できるだけ「法律婚をして姓を一緒にしないほうがよい」と考えています。

なぜ私がここに大きな抵抗感があるかといえば「日本は結婚したら稼ぎは男性、女性は働いていたとしてもサポート的な収入スタイル」という大きな固定概念がある、ということがあります。
たとえばこういうところで議論されていることとか。
本当に「子持ち女性の給料は男性より61%も低い!」? - Togetterまとめ

海外に比べてとか、数字や制度がどうこう…ではなくて、私が最初の結婚したときに、すごく肌で感じたこととして「結婚したんだから、もうお金の心配はないんだよね?」という誤解はものすごくあった、ということだけは事実です。

特に私は企業に勤めておらず、フリーランスなので主に在宅業務です。
初婚のときにかなり多くの人に「これからはダンナの稼ぎで悠々自適。好きな仕事だけやればいいからいいわね」と思われたようなのです…。
実際に、女友達の中には「結婚したら仕事をセーブしたい」という人もいます。家事や子育てにシフトしたい、というのは結婚のある理想のスタイルでしょう。
「何があっても仕事は辞めない」と決めていた私はこの辺のイメージに無自覚だったことにとても後悔しました。家庭的であることと、仕事をすることは私の中では両立できることだったからです(実際はそれがまた離婚の一因になったわけですが)。


結婚したてのときに、仕事の予算の相談をされた際に「もう結婚したから(安くても)いいじゃないですか」と言われ、ギャラの値引き交渉をされたことがあります。その時はかなりショックを受けました。
おそらく先方は「お金が無い」という条件が先で理由はなんでもよかったと思うのですが「結婚したんだから」と言われてしまうのは完全に女性差別…と思いました。男性だったら「結婚した」はむしろ理由にならないので、別の理由を言われるはずだと思いました。

元夫の父親(元義父)からは「イラストレーターなどで暮らして行けるわけがない」と思われていたようで…ことあるごとに「芸術家のタマゴだから…」とか「私の知り合いに絵画教室やってる人がいるけどいってみないか」とかいわれ、「どんな仕事でも(収入が少なくても)辞めないほうがいい」とか彼なりに悪意の無い励ましを沢山いわれました。

「いや、私あなたの息子に、養われていませんし、おそらく私のほうが収入があります」

と、何度か面と向かって言おうかと思ったのですが、角を立てたくなかったし、そんなことを言ってもしょうがない…と思って黙っていました。

それまではフリーランスで仕事することになんら不自由を感じることがなかったのに、結婚したとたんに「イラストレーター・グラフィックデザイナー」「在宅業務」へのイメージというのは「主婦に毛が生えた趣味程度」というような扱いに変わってしまった…と感じることが何度もあり、ものすごくショックでした。


仕事上の付き合いがあまりおろそかにならないように…と仕事関係の会合などにもなるべく参加するようにしたのですが、そういうことをネットで書いていると全く知らない人からブログに「ちょっと夜遊びしすぎじゃないですか?」などとコメントがついたり…と、突然「良き妻」としての枠にはめられてしまうのだ…と全く結婚前は知らなかった現実を目の当たりにしました。
(ちなみに私は元々お酒が飲めないので朝まで飲んだり、というようなことはありませんでした)

もちろん、わたしのネームバリューが中途半端だとか、結婚などがプラスに働くほど売れっ子でない、とかそういう自己責任の部分もあります。
私の友人の中には結婚して出産した後に会社を設立して積極的に活動している人もいます。そういう人にくらべて私はかなりのんびりしていて、意識が足りてなかったのです。しかし、そういう「結婚した=男性の庇護下にある」というイメージがこれほど大きかったのは結婚するまで予想も出来なかったのでした。

そういった中で私にチャンスがやってきました。「30日で世界を一周する旅番組に出ませんか」というオファーです。
予算がないのでタレントさんを拘束できないが、何かクリエイティブな職業の人を選び、その切り口で番組を作りたい。ということでした。
私は「結婚して家庭に入った」というイメージを払拭したかったので企画書を書き選考にエントリーしました。そして無事に選ばれてその仕事をお受けしました。

その仕事をしたおかげである程度は「仕事します!」というアピールになったところもあるのですが、同時に「結婚しているのに、女が30日も家を空けるなんて」という批判も浴びました。
離婚した、という報告をしたときも少なくない人に「やっぱりあんな仕事してたから?」と言われました(ちなみに元夫をよく知る人からは全く言われませんでした)。
既婚者の男性からは
「オレだったら奥さんがあんな仕事するの、許さないよ」とか
「あんな理解ある男性と別れてもったいない。あんなワガママな仕事を許してくれる男性なんて、そういない」などと言われました。

実際「おまえらうちの事情しらねーだろ! 何勝手なこと言ってやがる!」と思ったのですが、キレるほどの知り合いでもないので受け流しました。あ…すみません、嘘です。2つめのケースは「女が働くこと自体、ワガママだ」というふざけた男尊女卑論調だったので後から少々やり返しました…。
現代にこれだけ共働きの家庭が増えているという現状でも「女性が長期間仕事で家を空ける」ということがこのように扱われる、というのがわからなかったので、自分は世間知らずなんだな…と思いました。

もちろんこの話を聞いて「何言ってるの!? 女は男の所有物じゃないし!」とドン引きしてくれる男性も多々います(今のパートナーなども含む)。
でも「ああ…この世の中は私が思ってるよりもずっと『結婚』に対して保守的だったのか…自分が知らなかっただけなんだ」と思いました。

実際の私の離婚理由についてはこちらを読んでいただければわかると思います。
川の水を飲んでいた女と呼ばれ - ハート♥剛毛系
(ちなみにこのエントリー…Twitterでの言及が2500とかになっており、どれだけ皆さん苦労しているのか…と思いました)

元夫は私が仕事をすること、活躍することに関しては大変協力的で…というか、むしろそれだから自分はのんびりしていてもよい…とさえ思っていたところがあるようなタイプだったので、こういったギャップはとてもストレスでした。

「社会的に強者とは言いがたい」今の自分の現状で「法律婚」をしてしまうと「男に養われている」というイメージが先行してしまう、というのが私の実感です。どこかの企業の社員であったり、会社を経営していたり、医者・会計士・弁護士等の専門職であったり仕事のイメージが確立している女性はまた別だと思いますが、それはそれでおそらく別の苦労があるのだとは思います。

私は仕事を一生したい、と考えています。
どんなに仕事が減ったり(イラストのお仕事は他業界とも同じように斜陽と言われていますが)、どんなに苦境に立ったとしても仕事は辞めたくありません。

そして、何よりも実際に現在「経済的にパートナー男性の経済的庇護下にない」のです。



……というわけで、長く(ちょっと恨み節っぽく)なってしまいましたが…最初の話に戻ります。

「私は、奥さんじゃありません」です。

ただの言葉かもしれませんが「わたしはあなたの奥さんではありません」とパートナーに伝えました。「家内」「奥さん」は家の中にいる人のことが語源なのでイメージとしても事実としても間違っています(…実際家の中にはいますが経済活動をしているので)。
ただ、彼は私を「妻」として紹介できるのが嬉しかった、ということは理解していますし(実際嬉しそうだったし)、たまたま「奥さん」という言葉を選んでしまっただけ、というのもわかっています。それが原因で喧嘩などもしていませんが「今後は『妻』か『パートナー』として紹介して下さい」とお願いしました。
私ももっとこんなことで悩まなくていいように、仕事頑張りますので。
まあ…そのときに相手の人(一流企業の男性)に「とうとう○○さん(パートナー)も観念しましたか」と言われたのがすんごくカチンと来ちゃっただけなんですけどね。
たぶんその人の頭の中では「結婚=男が女に捕まる」なのかな…と思いました。
いや、養ってもらってないし、捕まえてないし、ていうかむしろ捕まったし!!!
とそこで思ったのがおそらくこの長文のモチベーションでしょう…。
「どうやって紹介されたら『観念した』とか言われなくて済むのかな」と考えて、せめて「パートナー」とか言われたら違ったのかな…と思ったのです。(それでも言う人は言うのでしょうが)


ちなみにこの辺の事情を私よりもたくさんお仕事している子持ちの既婚先輩女性作家の方(在宅業務)にお話したら「わかる…」と深く共感していただきました。子供がいたら自分のポジションは「お母さん」になって更にもっと「自分が家計を支える仕事をしている」「男に養われていない」ということが理解されなくなる。と言われました。

そしてその事情を説明すると「なんでそんな稼げない男なんかと結婚したの?」と言われてしまうという…。これは男性に対しても性差別だと思うのですがパートナーを持つ男女、どちらが「稼ぐ」役目を担っていてもその家庭でのバランスさえ取れていれば他人が口を挟むことでないはずです。
子供の行事に父親だけが出てきても父親が子供に食事を作ってもお弁当を作っても、母親が、妻が仕事に追われていても、今よりもずっと多くのひとが「あの人のおうちはそうなのね」で済むようになるといいな…と思っています。

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追・ちなみに「奥さん」よりも何よりも最強ワードは「社長」です。共働きで夫がどんなに小さい会社でも「社長」をやっている場合、女性の「いいわね、悠々自適で」と思われ感はハンパ無いようです。私の友人で「夫が社長」の人がいるのですが、小さい事務所の社長なんて、自転車操業、個人事業主に毛が生えた程度、事務所併設の自宅の家賃も折半だったのにも関わらず私以上に「仕事は片手間にできて羨ましい」という扱いを受ける、と言っていました。彼女のお仕事はファッション系だったので、より華やかさが悠々自適なイメージを抱かれたというのはあると思いますが。
女性でも「社長」をやっている限りは「家庭的奥さん」のイメージはつきにくいです。なので「社会的地位」を示す言葉の力は大きい、と思います。

期待の値が高いとキレやすい

私の現在のパートナーは出会った当初、キレやすい人だった。
知り合ったときは仕事上の付き合いだったのだが、普段はおだやかなのに何かの弾みでキレてしまう。もちろん最初はビックリした。
正直「このタイプは奥さん大変だろうな」と思った。
彼がバツイチになったのには、それなりの理由がある。と思う。

数年後、そう思った相手と付き合うことになったわけだが、やはり彼がキレる場面はあった。

私はキレられるとシャットアウトした。電話でキレられた場合は、相手がキレ始めて最初のセリフを言い終わる前に電話をブッチ切り。以後電源を切り「キレた人とは話をしない」という態度を貫いた。

キレるのは正直言って甘えだと思っている。そうやっても許してもらえる。という前提において彼はキレていた。仕事のときは、なるべくスムーズに物事が進むようになだめすかし、なんとかうまくやろうとこちらも努力した。しかし、個人的な付き合いになってからは、こちらが離婚後で疲弊していたのもあり(元夫も突然不機嫌になったりするタイプだったので)、正直男性の感情的な甘えを許せるだけの余裕がなかった。
彼がキレてからこちらの感情の氷点下への墜落、そして私が容赦なく電話を切るまでのジャッジは2秒くらいだった。人生で1、2を争う冷酷無比っぷりであった。

1、2時間後くらいに電源を入れると弱り切った彼からの留守電とメールがたっぷり残っていた。
最終的には「キレてごめんなさい。連絡を下さい」となっていたので返事をした。
これは何回か繰り返した。

そしてなぜ彼がキレるのか、ということを観察した結果。彼は自分のことを「人に意見を譲る、自己主張しないタイプ」だと思っているところが原因だと思うに至った。
彼は自分と違う意見が出たときに、まず相手に合わせてしまう。そしてやり過ごしてしまう。そのまま事態は進むので、彼はずっと我慢し続けることになる。
彼の中で、その事実は膨らみ続けるが、それを表明しないまま「ボクはイイ人だから我慢している」という認識のまま進む。当然、本音は表明されないのでこちらは気が付かない。
そして、最終的になにかちょっとしたことがきっかけで「こっちはこんなに我慢して譲り続けているのに、どうしてそんなにおまえは気を遣ってくれないんだ!」と爆発するのだ。

「アホか、こっちはエスパーじゃねーんだから言わなきゃわかんねえよ」
キレられた私の答えはこれである。

私は基本的に「我慢して、その後爆発するようにキレたり」しない。
最初の段階で自己主張する。
何かおかしいと思ったらその時点ではっきり言う。
問題はあまり先送りにせず、解決しながら進めると「私ばっかり我慢している!」と苛立ちを溜めることが無くなる。私は問題を保留にしている時点でそれを自分の過失だと考えている。
彼はそれを「ワガママ」「自己主張が強いタイプ」と認識していた。
「君がワガママだからボクは譲っているんだ」と思っていた。

とにかく私は、徹底して「キレる前に我慢するな」と訴え続けた。
少なくとも私と付き合っていくならまず「意見を譲ってあげる自分はイイ人」という自己認識から直してほしい。こちらは言われなければ絶対わからない。ちゃんと話し合わずに最終的にキレてしまってはそれまでした我慢も心遣いも全て台無しになるだけ。とにかく我慢するな。我慢している、という認識を持ったらその時点で口に出せ。と言い続けた。

彼は自分がキレるまでの思考の仕組みについて考え始め、なるほど…とムカついてキレそうになってから「どこで自分が我慢していたのか」「何を納得していなかったのか」を認識するようになった。そして徐々に「ここはこうして欲しい」「ここはこういうほうがいい」と表明するようになった。


そして最近、共通の仕事以外のコミュニティの中で「彼は苛立ちを覚えるが、私は全然気にならないこと」の差や、コミュニケーションの差について話をするようになった。
そこで私が彼に言ったのは「自分ができることが必ずしも相手に出来るわけではない」ということだった。

簡単に例えを言うと、彼は待ち合わせの10分前に必ず現場につくタイプで、メールは即座に返すタイプ。なので、遅刻する相手に苛立ち、メールを中々返さない相手に苛立つ。
(ちなみに仕事でルーズなのはもちろんアウトである)

私は自分も遅刻することもあるし、うっかりメールの返信を忘れることもあるので他人のルーズさにも甘い。そして相手が自分よりもルーズだったとしても、その人と付き合って行きたい場合は「そういうタイプ」だと思ってそういう対応をする。飲み会のお知らせ同報メールには返信してこないタイプだったらLINEで確認するとか、そういう手間をかける。それを別に厭わない。それが嫌なら付き合わなければいい。と思っている。

そういう私の考え方と行動を見て彼は
「許容量がデカイというより、そもそも相手にあんまり期待してないんだね」と言った。

彼は「自分がここまでしているのだから、同じことを相手もするべきだ。返すべきだ」と思っていた。つまり、相手の能力を高く見積もって相手の行動に期待している。その期待が裏切られるから怒り始めてしまうのだ。
しかし、相手は必ずしも同じ価値観を持ってるとは限らない。物事の優先順位も違う。それは育った環境やしている仕事、色々なものに影響されている。
相手の性格やバックボーンまで考えて「この人はこういうところがあるけど、こういうところがいいからこう付き合おう」と考えれば、自分の価値観と違うからと苛立ったりすることは少なくなるということに気が付いたという。

相手がパートナーであれ、友達であれ何かを我慢して「どうしてあいつは○○しないんだ!」とキレた時点で、その前に何かできたのではないか。と考えるようになってくれた。


そして彼は「苛立つ前に建設的な意見を言う」という行動に変わってきた。

私たち2人の間でお互いの予定を「言った、言ってない」で喧嘩になることが多いとなればオンライン上でカレンダーを共用して書き込んでおくルールを作った(つまりそこに書き漏れていたら相手の過失になる)。
忘れそうな頼み事がある場合はメールを使いメモとして残す。伝わりにくいメールでのやりとりで齟齬が出たらすぐに会話に切り替える、など「キレない」「喧嘩をしない」ためのルールを作るようになった。

相手は別の人間で伝えなければわからない。言わなくても「自分と同じように考えて、同じように行動してくれる」という期待を無くす。

もちろんそれでも喧嘩をすることはある。その場合は後から原因を説明して、お互い次に繋げる。お互い何がイヤだったのか、どこですれ違ったのか必ず話し合い、その日のうちに解決するようにしている。

そして気が付いたら、彼は滅多にキレなくなっていた。わずか数年の間に。
仕事でイライラしても「あ…相手に過大な期待をしちゃってるな。見極めないと」というような考え方をするようになった。
イライラしている自分を正当化せずに客観視するようになってくれたのだ。


ちなみにこの相手に対する期待する値を下げすぎてもいけない。
私は元々「気が回る系ではない、ちょっと鈍いくらいの男子」を好むので「気が利く」とか「察する」とかをはなから期待していない。しかし「相手はこういう人だから受け入れよう」「自分が納得しているから大丈夫」と「自己処理」をやり過ぎると「川の水を飲んでいるのに幸せ」みたいなことになってしまう。

川の水を飲んでいた女と呼ばれ - ハート♥剛毛系

だから私が彼がキレたときに容赦なく電話を切れたのは、おそらく「期待していた」からなのだった。それをしても、彼が私に対して頑張って向かい合ってくれるであろう。ということを。
そして彼はその期待に応えてくれたので、私は彼を信頼することができた。


相手に対しては期待しすぎてもいけないし、期待しなさすぎてもいけない。
常に関係にしこりを残さず末永く信頼し合い付き合っていく為に、お互いの期待する値のバランスをうまく取っていくように心がけている。



ちなみに私がパートナーにキレないか、というとそういうことは全然ない。
聖人君子ではないし、残念ながら女性的なホルモンバランスによる情緒不安定さを発揮することもあった。

若かりし頃はキレたり、さめざめと泣いたりしてから「あれ? なんでこんなことで感情的になってるんだろう」となり、後から「ごめん…ちょっと今日そういう日だったみたい…」と謝っていたりしたのだが、さすがに20年以上そういう周期があると経験値が積み上がり、爆発する前に「あ、今はそういう時期、そういう時期」とセーブはできるようになった。もしくはあらかじめ「今、イライラ期かも」と相手に先に申告したりもしている。しかしそれでもムキーとキレてしまうことは無くせていない。
なのでキレた瞬間に「あっっ! やっちゃった」と、その次の瞬間に謝る「キレながら謝る人」となり、キレと客観的な説明が同時進行するビリー・ミリガン状態に…。
相当おかしなことになるのだが、彼はそれなりにこちらの努力を汲んでくれるのでなんとかなったりする。

…その後、出産後のせいか、それとも加齢かこんなこともだいぶ減った。それとも彼がキレることがなくなってストレスが減ったせいかのか。でもホルモン…は恐ろしい。また更年期になったら復活するかもしれないけど。

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というブログを書いてパートナーチェック待ちで保留にしてたらこの記事が話題になっていた。

「察してほしい」気持ちをなくせば夫婦喧嘩は8割減る - はなこのブログ。

これはわりと似た話で逆パターンなのではないかなと思った。
どちらの立ち位置にしろキレたり爆発する前にできること、あるんじゃないかなということで。

「ネットの釣りとデマのルールブック」Hagex先生の本。

プロのウォチャーを目指していたHagex氏の単著が発売されました。
2ch発言小町はてな、ヤフトピ ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い」です。

なぜか遠い宇宙のゲスパー連合から「ハゲ本のレビュー楽しみにしてます」という電波を受け取ったので、ここでレビューを書かせて頂きます。

先日トピシュさんがHagex氏と対面したときの話をブログに書いていました。

角川本社ビルでHagexさんのインタビューを受けてきました - 斗比主閲子の姑日記

そこで2年前のHagexギャル特集のリンクを貼っていた為、私がHagexギャルであることが最近仕事関係の人にバレたようです。いや、別にいいんですけれど…。
にしても他2名のHagexギャルの方はあの後ブレイクしたにも関わらず、私だけ(あの時すでに単著が4冊目だったにも関わらず)鳴かず飛ばずです。私も売れたいです。
あげくハゲ先生ご自身も単著を出され、売れ行き好調ということで、益々置いてけぼり感満載です。もう一度言います。私も売れたいです。

ちなみにトピシュさんは2008年からのハゲブログ愛読者だということですが、私はわりと最近の2011年です。きっかけは犬山紙子さんのTwitterで言及されていたのと、私の別の友達がリンクを貼っており「このブログ、よく見かけるなあ…でも何が書いてあるのかわからない…」と思いながらも読んでいるうちに、気が付いたら2011年から読み始めて2005年くらいまで読んでいた。という恐ろしい流れです。ハゲブログにはまるには「我が身に不幸がなければならぬ」と言われておりますが、私は2009年に離婚をし、毎晩「何が悪かったのか」と反省会を繰り返していたので読みはまってしまいました。
そしてハゲブログのログを読破したころには「私の結婚も離婚もおままごとだったわ! 世の中ってもっと大変!」と解脱したのです。ありがとう、Hagex-day info!

では本題です。タイトルが長いので「釣り本」または「ハゲ本」と呼んでいます。
すでにいくつかレビューも読みました。

私がHagex脳になるまで - 今日一番おいしかったもの

話題のhagex本「ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い」を読んだ感想 - 感謝のプログラミング 10000時間

【読書感想】ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い - 琥珀色の戯言

意外とみなさん、本の内容に驚きつつ、すんなり受け入れられているような印象を受けました。
Hagex脳が進んでいらっしゃるのかもしれません。

私が読み終えたときの感想に比較的近いのはこちらですが。

http://oreno-memo.hatenablog.com/entry/2014/04/12/132516

私はこれを読み終わったとき思ったのは
「これは気の狂った人が書いた本じゃないだろうか…」ということでした。

鼻行類」とか「コデックス・セラフィニアヌス」とか、妄想で作られた図鑑…みたいなものに近いのではないか、と思いました。

トピシュさん風に言うと「一般向けではありません」というような感じです。
最初、私は「ネット釣り師の本か…ネットの情報に免疫の無い高校生の娘さんや息子さんを持つ親御さんたちに、オススメしたらよいのでないかしら…」などと思って読み始めました。
ところが、この本はそんな「一般的なネットリテラシーを高める本」ではなかったのです…!
(もちろんそういう側面も多いのですが)


「ネット釣り師」というものの存在は、実際にインターネット上に存在はするけれど、実体のないものです。ネットを見ていれば確実にその存在を感じられるにも関わらず、数値化することもできなければ、現実社会でお目にかかることもできません。半分くらい、オカルトに近い存在だと思うのです。現代社会において、民間伝承に残る妖怪のようなものだとさえ思っています。
(実際にはうちの引きこもりの弟が毎日釣り投稿してるんだぜ…とか、実体のある話もあるのかもしれませんが…私の周りにはいません)
その釣り師に対しての攻略方法が書いてあるのです。
鼻行類とかよりは個人の妄想じゃないですし、実際にネットを覗けばたくさんいるなと感じられます。なので書いてあることの大体のことに共感することもできます。しかし「うんうん、わかる」「へえ、そうなんだ」と思うと同時に「何なのこの本…」と思ったので、私はまだそこまでHagex脳が進行していないようです。よかった!

なんかこういう本、昔読んだことあるなあ…と思って思い出したのが「ゲームブック」です。もしくは「テーブルトークRPG」のルールブックです。
テーブルトークRPG」というのは、リアルに面と向かって一定のルールで進める「ごっこ遊び」です。サイコロを振って確率でモンスターへの攻撃が当たったかどうかを判定し、グループでゲームを進めます。

テーブルトークRPG - Wikipedia

私が通っていた首都圏郊外の公立中学にはオタクかヤンキーしかいませんでした。当然私はオタク側のみなさんと仲良しでした。
私自身はオタク的素養はあっても資質はないのですが、なにぶんそんな環境では友達はみなオタクです。隣の席の男子から「キャラクターの絵が描ける」という点で私は「テーブルトークRPG」の仲間に加えられました。そこでみんなの架空のキャラクターのイラストを描き(今でいうとアバターですね)、12面ダイスを振っていました。

そのルールブックには世界観の説明や架空のモンスターの分類や攻略法など、みんなが同じ世界観の中でゲームができるように細かな設定が書かれていました。

ハゲ先生の本を読んでいて、それを思い出したのです。

印象深いのは第4章の「レスポンスで見る釣り師のパターン」です。

ファーストポスト後の釣り師の反応は、次のように分けることができる。
(1)攻撃型
(2)先行逃げ切り型
(3)自己都合型
(4)読者完全無視型
(5)忘れた頃にやってくる型
(6)池上彰
(7)後付け型

いや…ハゲブログを毎日読んでいれば、確かに大体何のことを言っているのかはわかります。わかりますが、ポイントはこの後に続くそれぞれの説明です。

(1)攻撃型
 読者対応が乱暴・丁寧に関わらず、非常に攻撃的な返信を行う対応である。弱い犬ほどよく吠えると同じで、メンタル的にも弱いため、攻撃的な返信をしてしまう。読者が煽ると非常にのってきやすい性質を持っているが、煽りすぎると、暴走してわけがわからなくなるので気をつけよう。基本的には返信するタイプなので、攻撃要素を差し引いて、気になる情報だけ入手しよう。
 余談になるが、ネット喧嘩初心者は、このタイプを相手にすれば自分のスキルアップを行うと上手くいく。

途中までは「ふむふむ」と思って読むのですが、最終的に対処方法になってきます。
…あれ? みんな、そんなに釣り師と絡む生活しているの? 2ちゃんねる発言小町や増田に書き込みってしてるの???? というか、する前提でこの本って書かれてるの? と困惑しました。
「ネット喧嘩初心者」って…ネットで喧嘩しないから! ほとんどの人は、ネットで喧嘩しないんじゃないの?! と思いました(してるの??)。

あれ? 今気がついたけど最後の一文て「このタイプを相手にすれば自分のスキルアップを行う〝のに〟上手くいく(または〝利用できる〟)。」ではないかしら…? というかこの本は結構誤字があります…。でも自分の本も何度見ても何度見ても誤字が出るので、何とも言えません…。

ちなみにわたしはネットで喧嘩はしません。基本的にネットで喧嘩は無駄だと思っているし、自分に宛てられたTwitterのネガティブなリプライやブログについたコメントだったとしても、オンライン上でよく知らない相手と言い合いをすることに意義を見いだせないからです。
だって、別に友達じゃないじゃないですか。友達だったら話し合いますけど、相手のバックボーンもわからないし、相手がどこまで誤読や誤解、思い込みがあるかもわからないので、喧嘩しても無駄だと思っています。
自分のところに火の粉が降りかかったらそれなりに対処はしますが、極力関わり合いたくないと思っているのに、どれくらいの人がわざわざ釣り師に喧嘩を売りに行くのでしょうか…?

私は「まとめ」は見ても、実際の掲示板にはほぼアクセスしませんし、この本で書かれているような大手掲示板で活躍するような「釣り師と戦う」場面は殆どありません。
ネット上において、は実際の「プレイヤー」はごく少数で、「観戦者(野次馬)」が大多数いる。と思っています。私は「観戦者」でしかないし、Hagexさんのような優秀なキュレイターがセレクトしてくれる情報しか受け取っていません。

なので、この本に書かれているとても実践的な「釣り師の見抜き方」「釣り師の釣り方」を見て「プレイヤー用のルールブックみたいだな」と思ったのです。

ただ、観戦者もルールを知らなければゲーム内容がわかりません。そう言った意味ではこの本を読めばプレイヤーにならずとも「正しい観戦者」になれるのでしょう。

しかし、世の中の「インターネット利用者」の殆どが「楽天ぐるなびGoogleマップを見る」くらいではないかと思われます。彼らにコレを「読んでネットリテラシーのお勉強をしてね」と読ませても、おそらく私と同じように異世界のルールブックを読まされてる気分になるのではないでしょうか。
ネット生活が長くても掲示板を見ない人は多いでしょうし(私も実際2011年まで殆ど見ていませんでした)、2ちゃんねるのまとめもごくごく僅かにSNS話題になったものだけ見る、みたいな人が大多数です。「まとめなら見る」>「よく掲示板を見ている」>「掲示板に書き込んだことがある」>「掲示板で釣り師につっこんだことがある」>「釣りをしたことがある」という順番にものすごく人数が減っていくと思うので、かなりニッチな世界だな…と思いました。

第1章 釣り師の世界
第2章 釣りを「マクロ視点」からみてみよう
第3章 「ミクロ視点」から釣りを見抜く重要性
第4章 釣り師はコミュニケーションを欲している
第5章 ネットスキルを駆使して釣りを見抜く
第6章 「社会の釣り」であるネットのデマを見破る
第7章 現役釣り師から聞く、釣り師の世界

章のタイトルだけ見て説明しますと、第一章は「釣りとはなんぞや」ということが書いてあるので「こんな世界があるのだよ」という意味でやや一般的です。
しかし、第2章から5章までは「釣り師を見抜いて戦う」為の細かいノウハウです。章が進むごとに方法の難易度があがります。っていうか、そこまでやるの…となってきて、異世界の戦いを見せられている気分になるのです。5章の具体的な方法については「そんなことまでするの?」という気持ちになりました。いや、確か写真のExifデータの取扱とか、大事な知識なんですが。
自分もブログに書きましたし。
初心者向け! ブログに載せるデジカメ写真のExif情報について - ハート♥剛毛系
しかし基本的には自分がプレイヤーになる、という意識がないので5章の詳細な方法を見てクラクラしました。


一般的なネットリテラシーの啓蒙として重要なのは第6章の〝「社会の釣り」であるネットのデマを見破る〟の章です。ここに来てやっと大事なことを読んでるな、という「書籍を読んでる安心感」が得られます。ネット経験の浅い友達にリテラシーを学ばせようと読ませるなら6章だけでもいいかもしれないです。しかし、その章の締めの文章に…

デマ退治は人の役に立つ
 釣り師のエピソードを見破っても、それが本当に「釣り」なのかは私たちにはわからないし、人の役に立つかどうかわからない。しかしデマの判定は違う。
 もし釣り判定師を目指すのであれば、最初はデマを見つけ、検証する訓練を行えば一気にスキルアップができる。なぜなら釣りと違い、デマは嘘か本当かはっきりわかるためだ。それだけでなく、デマを見破ることで、間違った情報に流されるユーザーを助け、社会的にも良い行為と言えるだろう。

とあります。
やばい、これを中二真っ盛りの男子にうっかり「2ちゃんは釣り師がいるから気をつけるのよ」とネットリテラシーを学ばせる為に読ませてしまったら「かーちゃん! 俺はネット釣り判定師になるよ!」とはっちゃけてしまいそうです。「いいからネット見てないで勉強しろ!」と母親の怒号が飛びそう…というところまで想像してしまいました。「こういうことがあるから気をつけましょう」で終わらないところが、この本全体を包む妙なテンションなのだと思います。

ちなみに私はその昔知人から「チェーンメールが来たんだけど、7人に送ると幸せになるとか…こんなの嘘だよね」と送られてきたメールをもらい、調べたら「肛門拡張パロディ画像」だったことがありました。
mixiで「これは神の手じゃないし合成写真。しかも元は肛門拡張パロディ画像。つまり『こんなのうっかり信じるやつはケツの穴でも崇めてろ』ってことだよね、タチ悪い」と書いたら「信じてちゃってた…」「友達に送っちゃった…」と数人にヒットしてしまい、モヤモヤしました。
ちなみに当時、元ネタをうっかり調べるとグロ画像を見るハメになりました。「うっかり信じてケツの穴を崇める」か「疑って調べてグロ画像見せられるか」の二択を迫られるこのチェーンメールを考えたヤツの悪意は尋常じゃない…と思いました。
ちなみに今調べてみたら、未だに「神の手の雲」ってまだ廻ってるらしい。

チェーンメール「神の手の雲」は合成だった!?

社会的な啓蒙にはなると思いますが私自身は「オラ、釣り判定師になる!」という気運は高まりませんでした…。しかし実際には「あれ? なんかこの話おかしいぞ」と言う話が回ってきたときに、思ったときに検索してみると、何人か必ず検証してくれている人がいます(このリンクもそう)。彼らは「釣り判定師」なのでしょう。検証記事を読んで「やっぱりそうだったか!」と安心することができます。なので、社会正義のために検証記事を書いてくれている方には感謝の念は忘れないようにしたいと思います。しかし、それを「釣り判定師」と呼び、目指すとなるとニッチな世界の話になるような気がします…。

そして第7章のトピシュさんとの対談。
この章で、本当はこの本はHagex氏の妄想で書かれた本なのでは…という疑惑がやっと解消されます。よかった、釣り師はいたんだ…! みたいな気持ちになります。
ネットで同じような活動をしていると思考回路が似るのでしょうか、または元々似た素質があるから似たような行動を取るのでしょうか。ネットって、こういう人達が出会えるという意味ではいいものだな…と思いました。ネットのデマとか釣り師とか暗部を読んできた最後にこれがあり、救われました。


他にも思うところ、書きたいことはあるのですが、大概長すぎるレビューになってきたのでそろそろ締めます。



2013年、これは頭の振り切れた人が書いた本だ。と思ったのはパラダイス山元さんが書いた「飛行機の乗り方」です。

パラダイス山元の飛行機の乗り方

パラダイス山元の飛行機の乗り方

こちら、飛行機の乗り方というくらいですから、マイルの使い方とかそういうものかなと、かわいらしいカバーを開くと中にはとんでも無い世界が繰り広げられているのです…。
「1日の最多搭乗回数11回! 1年間の最多搭乗回数1022回! 」え…何をどうやったらそういうことに…? と思うのですが、パラダイス山元さんは「乗り鉄」ならぬ「乗り空」。飛行機に乗ることが目的の人なのです。普通の人にはなんの参考にもなりませんが「こんな世界があるんだ…」ということを知ることができるスバラシイ本です。

それと同じ意味で2014年、頭の振り切れてる人が書いた本はこのHagex先生の本にほぼ決まりだなと思いました。

めんどくさがりの人はここのアフリエイトを押してもよいですが、熱心なハゲ脳の方はハゲ先生のブログのアフリエイトからお買い求め下さい。

Hagex本は意外と好調でハゲ子感激です - Hagex-day info

ちなみにハゲ先生は会社を辞められて、単著も出されとうとうプロのウォッチャーになられるのね! と思ったのですが再就職なさったそうで、サラリーマンとウォッチャーの二足のわらじをはき続けるようですね。
あ、私もインタビュー時に実際のハゲ先生に会ったことがありますが、ハゲ先生はイケメンです。

もはや男は添え物? 「アナと雪の女王」見てきた

アナと雪の女王」見てきた。
『アナと雪の女王』特別映像:「Let It Go」/イディナ・メンゼル - YouTube

パートナーと行ったのだけど「なんでこれが高評価されてるの? ゴールデングローブ賞とかアカデミー賞とか貰ってるのかよくわからない」と言われた。
SNS見てても、軒並み40代以上の男性が「いや、まあ、よく出来てるけどピンと来なかった」みたいな反応なので、ある層にはよくわからない映画だろうな。と思った。

私は「女の子の自己実現の表現」として、おとぎ話をモチーフにした主人公が女の子のものは興味深く見る。

この映画は「従来のディズニープリンセスもの」だと思って見に行くと「え?!」ってなると思う。
あの大ヒット主題歌「Let It Go」の歌詞をよくよく読めば、どんな映画かわかるというものである。「私は自由よ」「理想の娘はもういない」ですよ。
最低限「ディズニー初のダブルヒロイン物」という前提を理解した上で見に行くくらいの前知識は必要だと思う。雪の女王である姉のエルサと、妹のアナの物語ですよ。


私が映画のレビュー記事でいいなと思ったのがこちら。
【映画】『アナと雪の女王/Frozen』レビュー ※後半にネタバレあり | BEAGLE the movie


というわけで、ここからネタバレの私の感想です。

ああ…ディズニープリンセスもここに極まれり……と思ったのが私の見終わったときの感想。

ここ最近のディズニー系…というか「おとぎ話系」女の子主人公の話はとにかく「男に頼り切らない、自立した女」として描かれている。ドリームワークスの「シュレック」のヒロインも自立した女だったのでここ最近ていうか、21世紀的なのかもしれないけど(あれはモンスターは王子様になれるのかみたいな話だったのでアングルが多少違うのだが)。

最近「ああ、すごく今時っぽいなあ」と感じたのはプリンセス物ではないけどティム・バートンの「アリス・イン・ワンダーランド」だった。この辺の話はだいたい、女の子の自立と自己実現がテーマだと思うのだけど、この映画でもアリスがとても強いのだ。最終的にアリスが先陣切って鎧に身を包み、剣を持って戦う。アリスは「大人にも王子様に助けてもらわない、仲間と自分で戦うヒロイン」なのだった。

アナと雪の女王」の1つ前のプリンセス物「塔の上のラプンツェル」を見たときも「王子様ポジションの地位の低さよ…」と思った。なんと言っても「王子様」が王子じゃない。盗賊ですよ。原作は王子様なのに。

ちなみに原作の「ラプンツェル」は…かなりヒドい話である。魔女に塔の上に閉じ込められて、超箱入りとして育てられたラプンツェルは、やってきた王子様に中に入れてと長い髪の毛を降ろして招き入れてしまう。そこで王子様ってば…何も知らない超箱入りの娘をやりまくるんですよ!
で、妊娠させちゃうの。大事に育ててた魔女は怒り狂って王子の目を潰し、ラプンツェルを塔から追い出す。一応、目が見えなくなってさまよった王子は、双子を産んでいたラプンツェルの元にたどり着いて幸せに暮らすんだけど、オイオイ! 王子! おまえなにやってんの! とつっこまずにはいられない。

…と原作につっこんでしまったが、「塔の上のラプンツェル」はラプンツェルがとても活動的で、自分で考えて自分で行動するので「王子様に助けてもらうお姫様」のフォーマットはもう古いんだなあ。と思った。それでも一応、最後に自分の命を犠牲にして呪いを解いてくれるのは王子様ポジションであるフリンなので、理解はしやすい。

で…「アナと雪の女王」なんですが、おお…とうとうディズニーは…世界中のガールズ達に…「女の子の自己実現に、男はいらない!」と宣言したかのようだ…! と思った。

この映画でのクライマックスは2ヵ所。
エルサが雪の魔法を使えることを両親に隠すように言われ、部屋に閉じこもり、妹を拒絶していたのに戴冠式で魔法がバレたのをきっかけに「抑制の効いた理想の娘」から開放され、雪山で1人「Let It Go」を歌うシーン。
ここがわりと早めに出てきちゃうので、この映画は開き直っちゃったお姉さんと妹がどういう結末を迎えるのか、が残りの話の主軸になる。

で、2回目のクライマックスシーンは姉の雪の呪いを受けてしまったアナ。「真実の愛だけが呪いを解く」と、混乱した姉が起こす吹雪の中、自分を想ってくれるクリストフに会いに行くためにさまよう。
そして…クリストフが目の前に…! なのに、姉が殺されそうになっているのを見て自分の身を挺して姉を助ける。そしてアナは凍り付き…しかし姉を想う「真実の愛」がアナを救った…。というシーン。

うわーーーーーー。「王子様のキス」では、呪いを解かないんだーー!
ヒロインが自分で呪いといちゃったーー!!!
エルサはここまでされて、やっと妹を拒絶するのをやめて、妹の愛を信じることができて魔法の力を制御できるようになる……。
2人とも「王子様の愛」は、いらないのだった。

これ、デートで見に来たカップルはどういう気持ちになるの…?
若いカップルなんて「王子様願望とお姫様願望の夢見る夢子」状態で見に来たら、この映画見て、どうなの? あんなにアナのために頑張ったクリストフの添え物感たるや……!
と、ついついアラフォーの私は周りのヤングカップルの様子をうかがってしまった…(モヤっとした顔してる人が多かったような…気のせいかもだけど)。
帰ってからYahoo!のレビューを見てみたらやっぱり「わけわかんない」「つまんない」という人と「素晴らしい!」「感動した!」という意見にパッカリ別れていてやっぱりな…と思いました。


私が二十歳前後で見たらエルサに感情移入しまくって大変だっただろうな…と思った。
なにぶんハートが剛毛過ぎて「ありのままの私」のままでいると摩擦が多かった私は「理想の娘」になりたくて、抑圧していた(充分はみ出てたんですけど)。
エルサの設定のスゴイところは、そもそもの「雪の魔法」に理由も因果関係もないところだ。「生まれつき」以外の説明がない。私は未だに「なぜこんなハートが剛毛な人に…」とうじうじ悩むことがあるのだけど「そうすか…生まれつきっすか…」みたいな気持ちにさせられた。
「ありのままの自分でいい!」ってなったら地元の人、親戚一同が凍り付くっていうのも残酷な話であるが「ありのままの自分でいながら、なおかつそれを受け入れてくれる人を信頼すると、力が制御できる」というはわりと象徴的かつ、真実に近いのかもしれないなあ…と今の私は思う。


でも日本の女子達は「専業主婦願望」が再び高まってるというし、まだまだ「白馬の王子様に守られたい」と思ってる人が多そうだ。
私は昔から「お姫様願望」がないのでこの「女の子よ! 自立せよ!」的な流れに心底共感できるんだけど、そうでないタイプもいるだろうなと思う。
しかし「お姫様」になりたい女子は増えても「王子様」になってくれる男子はどんどん減る一方だと思うので、姫と王子の供給バランスは今後も悪くなっていくと思う。それを考えたら、年若い女子達がアナやエルサに影響されるといいなあと思う。
オールドタイプの「お姫様願望」ってある意味チート技みたいなもので、本人が学歴もなく、稼ぐ力も社会的地位もなくても「いい男さえ捕まえれば全部チャラ」になるみたいなずるさがある。
昔の女性はそれしか「一抜けできる方法」が無かったわけだから、そういう話が「女の子の理想」だったのだろうけど、今は「自分でなんとかする」という選択肢が増えた。
おとぎ話の効力っていうのは「理想のモデルケース」を見るところもあるわけだから、私にもしも娘がいるなら「アナと雪の女王」を見せたいなあと思った。


にしても、今後ディズニープリンセスはどういう方向に向かうんだろう。
「自立した女の子」のモデルケースを見せてくれるのはとてもいいのだけど、ここまで男の子が「添え物」になっちゃって次はどうなるの?
そこでアンジェリーナ・ジョリー主演の「眠れる森の美女」の魔女の話「マレフィセント」の予告が気になる。
「マレフィセント」予告編 - YouTube
なんだか「男に翻弄された女の悲しみ」みたいな話なのかしら……と予告編を見る限り思うのですが。しかしここでも男性キャラは全然存在感ない…。気になるので公開されたら見に行こう。

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結婚して改姓すること

先日、久しぶりに会った知人男性が結婚していた。
結婚式はまだ先で、とりあえず婚姻届を出したということだった。
共働きだが、改姓は女性がしたらしい。しかし「旧姓への思い入れ」があったらしく、婚姻届を出した後酔って帰宅した妻に泣かれてしまったという。夫である彼は「自分が改姓してもよかったし、名前はどっちでもよかったのだけど」と言っていたが、実際今の日本だと確固たる理由もなしに男性に改姓してもらうのはまだまだハードルが高いよね…と彼の会ったことは無い新妻に思いをはせた。

それを別の独身男性に言うと「俺なら改姓に抵抗はないなあ。泣くほどのこと? 別に自分がやってもいいし、自分の名前にこだわりはない。ただ、あんまり珍名だったら抵抗あるかも」と言っていた。
だがしかし! 実際には彼はひとり息子なので、そんなこと言い出して、親がすんなり認めると思うのだろうか…。揉めに揉めるに決まってるじゃん…と思ったが黙っていた(ちなみに前回の「女はゴハン作れ圧力」とは別の男性である)。

あー、これは何かに似てるな…。と思った。
空手の試割りだ。
私は空手を始めてかれこれ11年。空手は「メンタルが具現化する」ことが多い。空手の試割りもその1つ。うちの流派だと瓦じゃなくて、杉板を割る。
審査や競技で試割りを見てるとみんなが割るので「ああ、板って割れるんだなあ」と思っていた。たまにもちろん割れない人もいるんだけど、大方の人が割ってるのを見ると「板は素手で割れる」とすり込まれていく。
そして、初めて自分がやるときになって「あれ?! …板だ!!」と気が付いた。
板に手を打ち付けるなんてこと、やったことない。板を目の前にして初めて「板を素手で割る」という行為が現実的に迫ってきて「何これ?!」と気が付いた。
でも、やることになってるので思い切ってやってみた。はじめてのときは1枚だったので割れた(競技や審査だと何枚か重ねて難易度があがる)。
ああ、割れるんだと思ったと同時に想像していたよりも手は痛かった。
「みんながやってることだから、当然だと思ってたけど、やってみるとビックリする」事だった。


改姓したことない人が「改姓に、抵抗ないなあ」って言うのは、試割りを見たことがあって、板を割ったことがない人みたいだな。と思った。
(…例えなのに特殊事例を出してるような気がする)


私は初婚のとき改姓に抵抗は無かった。母も姉も友達もみんなそうしていたし、子供の頃から「結婚したら女の子は名前が変わるからね」と散々すり込まれていた。
改姓に対しては「結婚して名前が変わるの〜ウフフ〜」的なウエディングハイは…無かった。正直めんどくさいけど、まあ、みんなそうしてるし、くらいの感覚だった。


でも実際にやってみると、とにかく名義変更の手続きが大変だった。
私はフリーランスなので取引先が多く、銀行口座の名義を変えることがリスキーなので、仕事の口座を旧姓で残し、別に改姓名義の口座を作り、保険や年金、税金の還付金の振り込みなどに使用していた。クレジットカードは新規に作ったり、期限が切れたものは改姓後の名義になってしまうので、引き落とし口座を改姓後の口座に変えたりした。収入が入金される口座と支払に使う口座が別なのでとにかく不便だった。


あと、改姓したことで「嫁に行った」というイメージで見る人が結構な数いるのだ、ということにも気が付いた。名前を変えると実際の家庭の力関係を見ずに「男の庇護下に入った」という風に見る人が少なからずいる。私はこっちのほうが嫌だった。
ここで「女は男のためにゴハンを作るべき論」とかもよく言われた。
特に親世代の人達は自分達がそうだったから何の抵抗もなく、一緒にいたとしても夕方になると「もう帰りなさい。ゴハン作る時間でしょ」と言うのだった。
「私が作らなくてもいいと思うんだけど」と言うと「向こうは外で働いているんだから、それくらいやってあげなさいよ」と言われる。で、ついついそこで今払ってる家賃と、元夫が家計に入れてる金額を言ってしまうと
「それでどうやって生活してるの?!」と驚かれる。
「だって共働きで生活費折半だもの」と言うと大体黙るか「なんでそんなのと結婚したの」という流れになった。

こういう「男を立てなさい」圧力が「改姓のデメリット」の1つかと言われると名義変更のめんどくささよりは印象論なので立証はできないのだけど、実際、現在は事実婚していて、その辺の思い込みやイメージ、実際に言われる圧力が如実に違うなあと思っているので、少なからず関係はあるだと思う。

三洋電機パナソニックの子会社となり「SANYO」ブランドが「Panasonic」に変わってしまったときに子会社化、という事実よりも「名前が消える」ことの衝撃は大きかった。こういうことからも、名前を残したほうがイニシアチブを取っている、と思われるのはある程度仕方ないとも思っている。

「結婚は子会社化じゃないよ!」ともしも男性が女性側に改姓して、それが「そっちの名前のほうが好みだったから」という極めてカジュアルな理由だったとしても「婿養子に入ったの? 家督を嗣ぐの?」と言われたり、女性側の実家が資産家だと思われたりするケースは避けて通れないと思う。


私は「選択的夫婦別姓制度」もさっさと認められればいいのにと思っている。
実際にそれが制度化されても「共有財産を持たない」予定の自分達がそれを選ぶかどうかはわからないが、求めてる人がいるなら選べるようにすればいいのにと思っている。
私は、離婚を経験して「戸籍」を2回変更したので、あくまでも「戸籍」も書類上のものでしかないのだと感じている。
「家族の一体感が」「子供と親の名前が違うなんて」とか言って反対してる人もいるが、戸籍なんか別に普段見ないで暮らしてるのだから、実際は「言わなければわからない」と思う。「自分の戸籍」を大事にするのはいいと思うけど「選択的夫婦別姓制度」反対派の「他人の家の戸籍が自分達と同じ価値観でないと嫌」というのも、私にはちょっとよくわからない。実際にはローカルルールやいろんな価値観があるわけで、私がただ「戸籍が大事」という価値観の環境ではないだけなのも理解はしている。
「戸籍が大事」という価値観を壊したいわけじゃないし、否定したりもしない。色々なケースに併せて柔軟に認め合えるのが私の理想だ。

私は「チーム名」としての「姓」はあると思っているので、「選択的夫婦別姓」をした人が実際に戸籍が父子別姓か、母子別姓だったとしても、子供と一緒に活動するときは子供の姓に合わせればいいのではないかと思っている(実際には戸籍名とかあんまり関係なくて「○○ちゃんママ」とか「○○ちゃんパパ」とか言われるのだろうし)。
銀行や金融機関の証明、パスポート作りと違って地域社会活動に身分証明は必要なく「事実的に誰が親子であるか」のほうが大事なのだから「家族としての名前」を通名使用すればいいと思っている。
今後、私はできる限り改姓したくないので、もしこのまま事実婚で子ができたとしたらそうしたいと思っている。

それは私が「改姓に伴うデメリット」を避けたいだけで、例えば「家督」が理由で「名前を残すため」に夫婦別姓にして、子が2人以上いて子の姓が別の場合は「チーム名」が2つある家になるし、思想的な主義主張で別姓にしたい人などは「地域社会においてもどちらかの姓に合わせたくない」などのケースはあると思うので「あくまでも自分の場合は」だが。


結婚、離婚で2回改姓してモヤモヤした私は、「もうできる限り改姓したくない」と思っていて、日々色々考えているので「改姓? 別にいいじゃん」という改姓したことのない人に対してモヤモヤっとしてしまった。
「改姓したことない人」は、改姓してみてからじわじわと「改姓したから起こる予想もしてなかったこと」を知ってビックリしたりモヤモヤすることはあると思うし、そこまでイメージしてみるといいと思う。でも、自分もやってみるまでそんなことわからなかったので、しょうがないよな。とも思う。知らないことは、わからない。


ちなみに結婚改姓して「すごく幸せ♥」とか「全然気にならない」「むしろやりたかった!」という人もたくさんいる。私の周りは働く女ばかりなので実感としては「女が改姓するの釈然としない」タイプが多いのだけど、親の世代とかだと「結婚して改姓してないなんて、恥ずかしい」レベルだったのも知っている。改姓が「私、結婚しましたよ!」という女性のステイタス表示だった時代が長かったのも知ってるし、今でもそれが理想の人がいるのもわかる。
でも、そういう人は空手の試割りで言うと「初めてでも何枚でも割れる、試割りが得意な人」みたいなものではないかなと思った。
そういう人は試割り大好きだし、割れない人に対して「えー? なんで割れないのー?」と思ったり、実際言ったりする。でも今時は夫婦の形も変わってきていて、実際に中々杉板が割れない人とか、やってみたら失敗してケガする人もいるし、そもそも試割りしたくない人もいるのだという事もわかってくれると嬉しいなあと思う。


ちなみに私は改姓は嫌だけど、実際の試割りは(決して得意じゃないですが)好きです。失敗して手が腫れたこともあるけど、割れると楽しいです。