ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

胃袋を掴まれる女

現在わたしは全く食事を作っていない。食材のお買い物もしていない。
現パートナーは常に倹約しているので、チラシをチェックして安いものを買い、お肉などもまとめ買いしたのち小分けにしてラップにくるんで日付を書き、冷凍。
主婦力高い………!
私が一緒に買い物に行くと「俺の稼ぎで好きなもの買うんだからいいだろ」と言わんばかりに私が適当にカゴにものを入れるのでパートナーに「頑張って倹約してるのに〜」と怒られる。完全に、奥さんと旦那さんの立場が逆転している。
基本的に食費も割り勘だけど、お互いが納得できないものは別清算。私はお酒飲まないから別会計とか。)

で、最近すごく感じることが
「胃袋は掴まれる!」
ということ。

女性向け婚活系の記事とかで「男の胃袋を掴め!」とよく書いてあるけれど、実際自分がそっちの立場になるとよくわかる。私はゴハンが美味しくなるたびに、相手の欠点に対しての採点がどんどん甘くなった。
ただ私が美味しい物に弱いだけかもしれないけど…。

おいしいゴハンを作ってもらっていると、なんだか…細かいことがどうでもなってくる。昔はもう少し「男性に多少は多く払ってもらいたい。年上ならなおさら」みたいな気持ちなどもあったような気がするけど、最近は自分がちょっとくらい多く払っていても「まあいいか」と思うようになり、誕生日プレゼントに何が欲しい? と聞いて出てきたものの金額が、今年自分が貰ったモノの4倍だったとしても「まあいいか…お世話になってるし」と思って気持ちよく払ってしまう。

うちには猫がいるのだけども、猫はいちおう「私の猫」で世話は全て私の仕事。ゴハンも毎日私があげている…そして、うちの猫はわたしにものすごい執着をしている。
ペットにとってはゴハンをくれる人は最も優先順位が高いのだ…と思うと、なんだか自分も最近パートナーにゴハンで懐柔されているような気がしてならない。

経済的なバランスとゴハンの関係というのは、どこかで関係しているような気がしていて、食事のコントロールをしている人は家庭においては力を発揮するのではないか…と思った。自分が育った家庭においても、母親と父親、どちらに精神的な依存があったかと思えば母親で、そこには「母のゴハンが美味しい」という事実はかなりの割合を占めていたのではないか…と思う。

現在、うちはゴハンは作ったら後片付けは作らなかったほう。洗濯は洗濯機回して干すまでやったら、畳むのは別の人。という分担があるけど、それ以外の家事は私がやってる。掃除とか、シーツ代えるとか、ゴミや消耗品の管理とか、そういうもろもろの家事は「現状維持」がベースだから、炊事に比べて評価されにくい。
「わーい! いつも部屋がキレイ」とはなりにくいけど「わーい! 今日のゴハンすごく美味しい!」となると、喜びを刺激しやすい分、評価を得やすい。
家の中はパートナーが帰ってくると勝手にキレイになっているけど、食事は「今日何食べたい?」とパートナーが聞いてくれたりするのも大きい気がする。
私が「汚い部屋に住むのが耐えがたい」タイプで、パートナーが「貧しい食生活が耐えがたい」タイプだったために、自然とこうなったのだが「胃袋、掴まれてるなあ…」と思うことしきり…。
もちろん、前の結婚生活が「生活費折半・家事全部私」だったので、今が天国みたいだから全然不満はない。

最近この生活になってから「彼氏のハートを掴む手料理」とか「彼氏をメロメロにさせる手料理」とかのレシピの見出しを見るたびに「男子がやっても、ええんやで…!」みたいな気持ちになる。

ちなみに私がゴハンを全然作らず、パートナーが作っている話をしたらとある独身男性から「やめて〜聞きたくない。夢が無くなる〜」と言われたことがある。
もちろん私もその昔「彼にゴハンを作ってあげる」という行為をしていたわけで、それはそれでいいんだけど。逆転してることを否定しなくてもいいじゃない? 私だって、同じようにゴハン作ってもらえたら嬉しいのですよ。

でも専業主婦の友達には「絶対に夫にはやらせたくない」と言われた。たぶん彼女の仕事を奪われると困るのかなーと思った。彼女は専業主婦希望で稼ぐ旦那さんを見つけた人なので「家の中は私の仕事!」という感じだ。あと「そんなことは期待してない」っていう感じなんだろうな。
彼女からしてみればうちのパートナーみたいに積極的に家事はするが、「世帯主」や「大黒柱」という役割を押し付けられることを嫌うし、お金もたくさん払ってくれない男性は魅力を感じないのだろうなあ…と思う。

同じく共働きの女性からはかなりの頻度で羨ましがられる。
ゴハンのことを考えなくていいのが羨ましい…と。そう、確かに炊事は掃除に比べて買い物、ストックとの兼ね合い、量、スケジュールなど、考えることが多い。そう考えると、やっぱり家事における炊事の割合って高い…。

ただ、女性の中には「自分が納得できるものができあがってこないとどうしても不満に思ってしまうので、料理はさせたくない」という意見もある。
私は「ダメ出し」はせずに気になることがあったら「お願い」するようにした。「こういう味つけのときはこういう風にしてくれるほうが、好きだな」と伝えるようにしていたら、どんどん私好みにしてくれた。

あとは「キッチンは自分のテリトリーだから夫に入って欲しくない」という女性もいる。
これは専業主婦には多いのだと思うけど、共働きで夫に家事を「させたくない」タイプの人にいる。いつもおいてある場所に道具を戻さない、とか出来映えややり方が違うとどうしても「作ってくれて嬉しい」と思う前に「だったらあたしがやるのに」って思っちゃうとか。

うちは基本、キッチンは私の管理下にある。道具、食器、家電、ほとんど全てが私のもので、全て配置した後からパートナーが家にやってきたので、モノの配置の決定権はわたしにある。そして現在も掃除、片付けが私の管理下にあるので、パートナーが「ここはこうしてほしい」とリクエストしてきた場合、協議の上変更するスタイルになっている。
うまく話し合って譲り合い、共通見解を作っていけば、テリトリー問題も解決できると思っている。

ちなみに「冷蔵庫の中身」については完全にパートナーに管理権が移行しており、私は冷蔵庫に何が入っているか、もはやよく知らない。
そして、パートナーが実家に帰省して、数日後しんなりした葉物野菜を見つけて「んも〜。ちゃんと料理して食べてって、言ったのに!」と怒られるのであった…。

元々「世の中的にいわれる性差の話」について違和感があったが、こういう生活をしていると、ますます「男って・女ってこういう生き物」的な主語のデカい話も、実際の「性別」ではなくて、社会的な役割に準じてるんだなと実感するようになった。
男性が毎日ご飯を作れば男性も「今日はゴハンがいるかどうか、必ず連絡して」と言うし、私が冷蔵庫のストックを勝手に使えば「明日のゴハンにしようと思ってたのに」って怒られたりするし、買い物で無駄なものを買えば呆れられる。これらは別に「女性的な発想」ではないのだと思う。
一緒に暮らしているのだから、伝えなくちゃいけないことはたくさんあるし、お互いが把握しておくこともたくさんある。自分達も今までは「社会的な性別の役割」の中にいたからこそ、逆転したときに「なるほど、相手がイヤだと思うことはやめよう」と明確にわかるようになった。

「男だから」「女だから」わかり合えない。なんてことはないと思う。少なくとも、今、私とパートナーはそう思っている。お互いの役割をどれくらい把握しているか、何かをしてもらったらどう感じるのか、知ることができて、思いやれることも増えた。
この先もずっとパートナーが炊事を担当するということでもなく、お互いの事情が変わればシフトチェンジすることもあるだろう。未来のことはわからないけど、バランスをうまく保って胃袋を掴まれたり、掴んだりしてうまくやっていきたい。