ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

生まれなの? 育ちなの?

わたしは気が強いです。
なんでも自分で決めます。

友達の恋愛相談を聞いたりしていると、「○○だったらどうしよう」「決められない」というような話が多いな〜と思っていて、いつも話を聞いてツッコんだり背中を押したり、という役にまわっています。

比較的「言えない」「決められない」人が多いので、じゃあどうして自分は「何でも言う」「自分で決められる」になったのかな? とよく考えています。

生まれつきなの?
それともお育ち?

お育ちでいうと、私は4人姉弟なのですが、ほかの姉弟に比べてもちょっとパラメーターが極端な面がある、よく言えばパワフルな末っ子三女です。悪く言えば暴走しがち?
元夫が結婚の挨拶をしにきたときに父親が彼に「うちは4人姉弟がいて、みんな同じように育てたのにこの子だけ…どうも違うように育ってねえ」と言いました。そして元夫も「ええ、わかります(にっこり)」と答えたという思い出があります(なんじゃそりゃ!)。
こういったことを言われがちだったので常々「こんなよい環境で育ててもらったのに、なんでこうなっちゃったんだろうなあ?」と思いあぐねたりします。
自分の性質に対して「親と仲が悪くて反発してハングリー精神が養われた」とか「田舎の環境が悪くてそこから出るために頑張って来た」とかわかりやすいストーリーが展開できないので「この環境で育ったなら、もっと穏やかで女性らしい人間になっていてもいいはずなんだけどなあ」などといらぬ疑問を抱いたりしてしまうのです。

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男友達に言うと半分くらいに「生まれつきの性格なんだから理由なんて無いんだよ」と言われます。
しかし親とうまくいってない女友達から「さるちゃんは親に愛されて育ってきたのがわかる」と言われたり逆に「人生に違和感があるなら、親との関係を見直してみて!」などと言われたりするので混乱します。

新潮45シリーズに載っていた「池田小児童殺傷事件」の犯人・宅間守の話で、宅間守を妊娠中だった母親が「あかんわ,これ,おろしたいねん私。あかんねん絶対」と言ったというエピソードがあるのですが、どうして母親がそう思ったのかは謎のままですが「やっぱり生まれつきから人格に何かあるのかしら…?」と思うような話です。
しかし、これを聞いたある友人は「絶対そんなことない! 育て方に問題があるのだ。母親の妊娠中の思い込みが犯罪者を作った可能性がある」と言いました。彼は「人格は環境で決まる」と信じて疑わない人でした。それでもなぜ犯罪を犯す人の兄弟は普通の人だったりするのかしら。
同じ親からでもなぜ全然違う人格の人ができるのでしょう。

最近双子の話をWebで読んでて(自分もミックスツインなので興味があって)こんな記事を読みました。

第3回 パーソナリティも遺伝で決まる? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

安藤さんの研究によれば、新奇性追求、損害回避、報酬依存に遺伝が寄与する割合は、それぞれ、34パーセント、41パーセント、44パーセントだ。残りの66パーセント、59パーセント、56パーセントは、環境影響によって決まる。

 新奇性追求、損害回避、報酬依存といったパーソナリティに、遺伝が寄与することは前に述べた。さらに、パーソナリティのモデルとして有名な「ビッグファイブ」(5因子モデル)について、安藤さんたちが調べたところ、これもやはり遺伝要因が大きく効いていることがわかった。5つの因子とは、外向性、神経症傾向、誠実性、調和性、開放性。それらが、順番に、46%、46%、52%、36%、52%が遺伝要因で、のこりは環境要因という結果が出た。
 人の性格を形作る要素が、かくも遺伝の影響を受けていると示されて、どのように感じるだろうか。
 ぼくとしては、その寄与割合の大きさはやはり驚きだ。「調和性」を除き、ほかの要素は「だいたい半分は遺伝で決まる」と言っているわけだから。さらに、この結果は、安藤さんたちの研究のみならず、カナダ、ドイツなどでも、同じ方法で調査され、きわめて似た結果になったという。我々人類の「心」の普遍性を示しているのかもしれない。

大体半分くらいは、遺伝!
つまり、生まれつきでもあるし、残りの半分は育ちによる。
でも確かに、姉達に子供が生まれて姪っ子甥っ子を見てると生まれた時から性格ってあるし、それぞれの個性ってあるんだなあというのが実感なので「人間はまっさらな状態で産まれてくる」わけではないんだな。と思います

「目がいい・悪い」とか「足が速い・遅い」とか、そういうのはと同じように「気が強い・弱い」も体質なのかな。と思えば納得もできます。
でも目が悪かったらメガネをすればいいけど、気が弱くて言いたいこと言えない人ってどうしたらいいのでしょうか。私は昔逆に気が強いのを押し隠そうとして失敗したりしたこともありましたが、今は経験をつんで多少は周囲を揉めないようになりました。
気が強いのは「言い過ぎない」とかセーブすればいいけど、それに比べると「言わなきゃいけないことを言えない」ほうは克服が難しいような気がします。

私が「気が弱い」「うまく言えない」人と付き合う分ときには「この人は早く走れない」とか「重い荷物が持てない」みたいな感じで相手の力に合わせるように気をつけています。
自分の視力が裸眼で1.2あるからって視力が裸眼で0.1しかない人に「なんで見えないの?」と言うのは横暴な人なので「目の悪い世界は私にはわからないけど、この人はきっとよく見えてないのだろう」ということを前提にして付き合っていけば、衝突も減ると思っています。

最近は、女友達の恋愛相談で男性に対して「どうして彼はこんなに鈍いの?」とか「どうしてこんなに簡単なことがわからないの?」みたいな愚痴を聞いたりすると、私は「それは自分が足の走れる速度が速いのに、おまえの足はなんでそんなに遅いんだ!」って言ってるみたいなものじゃない? とアドバイスするようにしています。
「相手の気持ちが読み取れるとか」「気が利く」とか、そういうのもある程度は訓練でなんとかなるとしても、結局ある程度は産まれながらの資質によるんじゃないかなあと思うと諦めもつくし「じゃあどうやって足並みをそろえようか」という気持ちになれるんじゃないかなと思っています。

しかし問題は相手の「察知能力」とか「理解力」とかは体力測定とか、視力検査みたいにはっきりしないので、深く付き合わないと相手の力がよく見極めできないことなんですが…。
たまに「気の強さ・弱さ」とか「察知能力」とかも数値化して測定できたらいいんじゃないかとも思うのですが、できたらできたできっと問題が出るのかもしれません。

ちなみに「言いたいことがうまく言えない」タイプの女友達の恋愛相談を受けてると「相手に言わなければならないことをどう伝えさせるか」というところで難しいなあ…と思ってしまいます。目が悪いからって、メガネを渡すみたいなことはなかなかできません。こういうのも、訓練とか練習とかでなんとかなるのかなと思いつつ。友人の人生は友人のものなので、ある程度のアドバイスはしつつもそっと見守るようにしています。

人格は産まれながらのものなの? それとも育ってきた環境によるの?
という私の疑問はとりあえず「それぞれ半分づつ」らしいという答えを得たのですが、どっちでもあるし、どっちとも言えない。ということでした。
ある程度の性格は「きっとそれはたぶん生まれつきだから」と諦めたりしつつ、後天的に訓練で変えたりすることもできるということかな? と思うので、今後も迷ったり悩んだりしながら調整するしかないんだろうなあと思うのでした。


ちなみにこのナショナルジオグラフィックのサイトの連載は5回全部面白かったのでオススメです。
【研究室】「研究室」に行ってみた。 行動遺伝学・教育心理学 安藤寿康 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト