ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

川の水を飲んでいた女と呼ばれ

うちはバツイチ同士で事実婚である。

私の以前の結婚生活は「共働き、お金は全部折半。そして家事は全部わたし」だった。
これは本当によくないと思っている。夫がどんどんバカ息子化する。
自分は経済的に支える心配もなく、家事や家のことはすべて妻がやってくれる。家に帰れば即ゲーム。自分の分の生活費以外のお金は全部自分のもの。わたしは永久に成長しない息子と同居していた。
離婚後、同性の友達が「ゴハンを食べに行くのにお店を探して予約してくれた」だけで泣けたくらいは疲弊していた。誰かが私の為に何かをしてくれるのが嬉しかった。

現在も共働きのきっちり折半だが、現パートナーは基本家事は全てこなせる。掃除は基本しないが、私が掃除は嫌いじゃないのでわりとマメにする。
私は「元夫の好きなメニュー」ばかり作り続けてしまったせいか、離婚後、一切の炊事がやる気がなくなってしまい、カップ麺で暮らしていた。食べたいものも、作りたいものも思い浮かばず、お腹がいっぱいになればよかった。そんな私を見かねて現パートナーは「そんなんじゃ体を壊す!」と料理をしてくれた。現在、炊事はパートナー。洗濯・掃除・片付け、その他はわたし。というように分担されている。

現パートナーは同居したてのとき、決して料理上手なわけではなかった。
最初に作ってくれたものは鍋だったりカレーだったりわりと基礎的なものだった。
だが、私に取っては誰かが私の為に何かしてくれる。ということがものすごい出来事だったのだ。というか、相手がちゃんと自分の頭で考えて独立した自己を持ち、自分で決めて何かしているだけで感動できたのだから、かなりの痛手を負っていたと考えられる。
もう、すごい喜こんだ。嘘みたい。信じられない。超嬉しい。
味付けが多少薄かろうが、豆腐がビシャビシャだろうが、メニューを考えなくても出てくるなんてなんとありがたい。
「ああうめえうめえ、おら、こんなうめえものくったなァはじめてだ」とガラスの仮面ごっこを始めるくらいの喜びようである。

そして、喜びまくりつつも、彼が使ったことのない圧力鍋の使い方をそっと教え、豆腐の水の切り方を教え、野菜の切り方を教え、そっと傍らに「料理の基本」という本を置き、毎日「おいしい! うれしい! 幸せ!」と言っていたら、パートナーはメキメキ腕をあげた。
そして毎日美味しいご飯を食べさせてもらっている。

ゴハンを作らなくてもゴハンが出てくるという生活は天国である。
たまに「夫にゴハンを出しても感想を言ってくれない」などというのを見かけるが、本当にゴハンを作ってもらった人は感想を述べたほうがいいと思う。


以前の結婚生活を友達に話したとき、幸せを感じられるレベルが低くなりすぎていて「さるちゃん、それ、川の水飲んでるよ!」と言われたことがある。
「『私は喉が渇いてないから幸せ者だなあ』と川の水をごくごく飲んでいる人みたい」ということらしい。世の中にはもっとちゃんとした水がある。ペットボトルの天然水といわずとも、せめて水道水とか飲めるんだよ…。と言われた。
川の水…! 他の人から見たら、川の水飲んでるレベルだったの…!

かなり衝撃を受けたので、この話を別の友達にしたら「いるいる! 川の水のひと! 友達がすごく冷たい彼氏と同居してて、普段は話しかけても無視するような彼氏が『今日は、近くにあるリモコン取ってくれたの!』って喜んでた!」と言われた。
川の水、恐るべし!!!!!

喉が渇いてない。それは大事なことかもしれないけど、もうちょっといい水が飲めるはず…。
そんな私が今はゴハンを作ってもらっている。毎日感激しまくるのも当然だ。

現パートナーはというと、私があまりにもささいなことで喜ぶのでたまに「自分が騙してるんじゃないか」と不安になるらしい。
パートナーは私が「ありがとう」「ごめんなさい」「嬉しい」を口に出すのがとても嬉しいという。
彼は以前は「やって当然」であり、評価されなかったそうだ。
なのでより一層「こんなことで喜ばれるなんて…」という気持ちが強いらしい。

「友達に川の水飲んでた」って言われた話をしたら「なるほど」とかなり納得し、彼が「これくらいでそんなに喜ぶなんて…」と思うたびに「川の水…」とつぶやかれるようになった。

お互い失敗を経験して「あんな思いはもうイヤだ…」と思ってるからこそ、感謝や評価をお互い口に出せるのかもしれないが、いつまでもこの状態を当然と思わずに「ありたがいな、嬉しいな」と思い続けられたらいいなと思っている。そして、それをちゃんと伝えていきたい。