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ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

パートナーと「自己の拡張」について

私が自分が一般的な結婚生活が向いてないな…とつくづく感じたのは「夫とお財布を一緒にする」ということができなかったからだ。

私はずっとフリーランスとして働いてきたので「自分のお金から仕事にかかるお金を出す」生活をしている。何が収入で何が支出になるのか、その場では判断せずに確定申告のときに「ああ、なるほどー、今年はこんな感じだったのかー」とわかる。

なので、自分の稼ぎについて「これは君とボクのお金ね、勝手に使わないでね」とか誰かに言われたらすごく困る。

自分がそうなると困るので、逆のパターン「妻が家計をあずかり、夫はお小遣い制」というものがものすごく怖かった。自分がやりたくないことは伴侶にもやらせたくなかった。

なので、前の結婚生活のときはそれぞれが家計にかかるお金をわりときっちり折半していた。家賃と電気代については私が事業所としてのエリアを使っていたので多く払っていた。

しかも、家にいて時間があったので家事はほとんどやってしまった(元々ひとり暮らしのときは全部自分でやっていたのでそのままやっていた)。

ところが、世の中的にはまだまだ「妻=夫に養ってもらっている」というイメージが強いらしく自分は結婚する前となんら変わらない生活をしていたのに「家にいて、夫の稼ぎで好きなことだけできて悠々自適ね」とか思われていたらしい。誤解である。

私は結婚した相手に「稼ぐ夫」の役割も「一緒に家庭を運営する相手」としての役割も渡さずに「自分の食い扶持だけ払う同居人」として扱ってしまい、夫はパートナーとしての役割も自覚も失ってしまった。

そして、私が自分が困っていてもお金も労力もフォローしてもらえない。と気が付いたときにはすでにその関係は改善できなくなっており、話し合った結果、結局離婚してしまった。

 

私がなぜ相手になんの役割も渡せなかったかというと、自分が相手から「拡張された自己」であると思われるのがイヤだったからだ。

 

私はその昔、サークル的なところでとある男性の作業を手伝っていた。

もちろん、営利目的ではないので、賃金はなかった。他のメンバーもみんなお金はもらってなくて趣味的なものだった。

しかし、その特定の男性と付き合いはじめたら、その人は他のメンバーよりもずっと私に遠慮せず、私を使うようになった。

他の用事を入れるのも全部「許可」を取らないといけなかったし他の人は「用事がある」で済むところも「どこで何をしてどうするか」を報告しなければ休めなかった。

そして、どんどん私はその人の「拡張された能力」みたいに使われてると思うようになった。打ち合わせに連れていって私の記憶力がいいのをアテにしたり、自分が苦手なことをフォローしてくれる存在だと思う…くらいまではまだよかった。

私の能力を勝手に換算して勝手にスケジュールを立てたり、私の許可を得ずに勝手に「私がいること」を前提に話をしてくる。

わたし、あなたの一部じゃないんですけど?

わたしはわたしの考えがあって、わたしがやりたいことがあって、それを決めるのはわたしなんですけど? と思っていた。

いくら働いてもお金がもらえるわけじゃなく、それどころかお金を貸すこともたくさんあった。でもお金よりも何よりも「勝手に自分の一部」みたいに扱われてるのがイヤだったので別れた。

その人以外の周りの男性達の何人かは「尽くす女」の私がお気に入りだったみたいで「なんで別れちゃったの」と未練がましく言われた。「よい奥さん」みたいな評価をされるのが人生の目的のような人もいるだろう。でも残念ながら私は「男に尽くす内助の功」みたいな評価は全然いらなかったので、さっさと自分のやりたいことをやることにした。

 

私にはパートナーの能力や社会的な地位が「社会的にペア」になることで、相手も同等の力を持つ、みたいな考えが無い。「内助の功」が周りから認められて2人一組で尊敬されてるとかは別だと思うが、例えば「仕事のできない社長の嫁(夫)が従業員に威張り散らす」みたいな状態が、まったく理解できない。

だって、そんなことしたら「なんだ、あの女(男)、仕事もできねえくせに」って思われるだけだし、自分だったらそう思うんだから、そんなことできない。

 

でも、なぜか「社会的にペアになると、相手に対して自己が拡張される」という考えになる人は多い。

その昔、とあるそこそこ「社会的に評価される男性」と少し仲良くなったことがあった。もちろん個人的にその人に興味があったので仲良くなろうと思ってこちらから近寄って行った。そこそこ仲良くなってとあるときに「おまえは俺と仲良くなって、自分が特別だと思っているだろう!」みたいなことを、唐突に言われた。

「は?!」と思ったが「ああ、そういう風に思われたいんだな…この人は…」と思って興味がしぼんでいった。向こうは「自分を特別だと神格化してくれる女」が欲しかっただけであって、私個人がどういう人間とかはどうでもよかったのだ。

そういう扱いをされると、勝手なラベルをペラリと貼られて私の「自己」は封じられてしまう。「あなたの存在は私の自己を拡張しない」と言ったところで、信じてはもらえなかっただろうし、むしろ彼のプライドを傷つけたかもしれない。

しかし、私自身はどんなに社会的地位がある男性と付き合おうと、どんなにお金持ちの男性と付き合おうと、私自身の価値が上がると思えないし、自分が偉くなったとも思えないのだ。

 

私の結婚の話に戻すと、相手は私にとってあまり「拡張」される人ではなかった。私にとってはそれがよかったのだが「拡張」されない相手とわざわざ「結婚」する、という人は世間的にはあまりいないらしく、「女性がわざわざ自分よりも能力(経済力・その他)がない相手と結婚するはずがない」と通例的に思われ「相手はお金持ちのはず」「相手は社会的に立場があるはず」と思われたようだった。

冷静に考えれば「財布を一緒にしない」場合、法律婚をするメリットはほとんどない。法律婚の制度そのものが「どちらかが経済的に支え、どちらかが家事をになう役割分担」を前提にできているので、子供がいない限りはほとんどメリットはなかったのだ。

しかし、自分の育った家は保守的だったので、「婚姻関係にない男女が一緒に暮らす」ことはあり得なかった。なので、疑問を持たずに「この人と一緒に暮らしたいから」というだけで「結婚」してしまったのだった。

しかし、法律婚をするとお互いに扶養義務が出てくる。

そうなってくると相手のお金の使い方が気になる。好き勝手にお金を使われて、こっちをアテにされたら困る。扶養される気はないが、扶養する気もなかった。

結婚して一年、将来的な計画とそれに必要な貯金について、ある程度共有できていると思っていたのだが、ある日、管理を丸投げされていた通帳を「このままだと記帳が合算になっちゃうな」と思って記帳に行ったら、増えてるどころか減っていて「なんじゃこりゃー!」となった。

 

自分がそれにものすごくイライラしたことに、実はショックを受けた。結婚したことによって、自分自身も相手を拡張した自己の一部である、と思っていたのだ(実際、法律婚している場合は法律による縛りが存在するので自己の感覚だけではないのだが)。相手に対して「自分の稼いだお金なんだから、好きに使えばいい」とは思えなかった。自分は法律による義務に簡単に縛られ、勝手に相手を疑い、不安になり、怒り出すような器の小さい人間なのだ。

「夫は私じゃないし、私は夫じゃない」

そう思っていたいけど、それは私には結婚した以上無理だった。相手の全てを許容できるくらい器の大きい人間になりたかったが、そんなものは幻想で現実を目の当たりにして目が覚めた気分だった。

そもそも誰かとお金や財産を共有する覚悟も無い人間が、なんで結婚なんかしちゃったんだろう…と反省した。

 

離婚してから「誰かとお財布を一緒にすることができない性格なのだから、もう一生法律婚する必要はない」と思った。

ところがそんな私と一緒にいたい、むしろ好都合。という男性が現れた。

彼自身は稼ぐ力がないわけではないが、とある事情でお金が無いので私を扶養することはまず無理だ。だからといって逆に私に経済的に頼るつもりでもない。

いろいろ条件が合いそうだったので親に「この男性と同居する。法律婚はしない」と言ったところ、ものすごく反対された。

「娘を経済的に守れない男に任せられない!」「相手に取って都合が良すぎてこちらにメリットがない」と言われた。しかし、こちらは誰かに養われるつもりもないし、そもそも法律婚もするつもりがないのだから困らない。と訴えた。

そもそも前の結婚からそうだったのだが、以前は「娘が結婚したいと言ってるのだから、収入もそれなりなのだろう」という甘い見込みが親にあっただけのような気がする。今回はそこが明確なので正直に提示しただけなのだった。

 

紆余曲折ありつつ「事実婚」という形で同居はスタートした。

私は離婚して以来、まったく炊事をしなくなりカップ麺食べて空腹が解消されればそれでよい。みたいな生活をしていたのだが彼は「目に余る。ていうか、そんな食生活はゴメンだ」と炊事全般を取り仕切ってくれた。

ハウスダストアレルギー持ちの私は掃除はしないと気が済まない。お互い気になるところが別なので家事の分担はスムーズだった。生活費は折半で、法律婚もしていないのでよそから勝手に私が「養ってもらってるんでしょう」と勘違いされることもなく、とても快適である。

法律婚していないことで、彼のお金の使い道に関しても気にならない。この先のことを考えれば不安も多いが「自分が選んだ人生だ」と覚悟ができる。

あと、法律婚してるときと違って「相手が私の手に負えないほどの事態になったらさっさと逃げよう」と思えるので、気が楽になった(法律婚してても手に負えない事態になったら別に逃げてもいいのだが)。

ものすごくいい加減な関係のようにも見えるが、実は私にとっては「義務」ではなく「信頼」だけで成り立っているのでストレスがない。

「相手が私の手に負えないほどの事態にならない」と信じてるからこそ一緒にいられるし、逆に私が困ったら彼は私を助けてくれるだろうと信じているのだ。

私はこの状態になって、はじめて相手を信頼している実感を得ることができた。

相手と自分の境界線があいまいなのではなくて、綺麗に隙間なくぴったりはまっている。そういう感覚になった。 

 

夫婦間のトラブルを見ていると、自己が拡張し、自分とパートナーの境界線があいまいになることが原因になってることが多いと感じる。

でもみんな自分と相手の境界線があいまいな特定の相手に対して、「恋人なんだからいいじゃない」とか「夫婦なんだからいいじゃない」という関係が欲しくて恋愛したり結婚したりするのだろうし、もちろんわたしにもその感覚はわかる。

それでも「パートナーは自分ではない」と意識すると楽になることは多いと思う。

 

ちなみに冷静にいままでの自分の「パートナーと私」について振り返ってみたのだが…。私って本当に自分よりお金持ってる男と付き合わないタイプ…。これはいわゆる「だめんず」なんじゃないかと不安にもなった。実際によく「だめんずだよね」と私に言う友人もいる。でも私の中で「だめんず」は「嘘をつく、見栄をはる、暴力をふるう、借金する、反社会的な性質の持ち主」なので、お金をたくさん持ってないことは「だめんず」には入らない。

男は金より心根だ。と言う生き方しかできないんだからしょうがない。

 

あと「考え方がヨーロピアンだね」という友人もいる。確かにヨーロッパではこの考えはすごく普通のことかもしれない。ヨーロッパ人と結婚したが、日本式の感覚で子育てに専念していたら夫に「なぜ君は自立しようとしない! 子育てはベビーシッターに任せて働きに行け!」と言われ離婚問題に発展した友達もいる。

 

しかし日本ではまだまだ、この考え方を男性が書いたら「甲斐性無し」と言う人もいるのではないだろうか(実際うちの親はそうだ)。しかし、今の日本なら女性に対して「養うつもりはない」という人は少なくないだろうし、「男は稼いで女は尽くす」みたいな方法が難しくなってきた今は男女どちらも自立して支え合うスタイルはある理想の形の1つであると思う。

 

とりあえず、私は一生死ぬまでちゃんと働いて、誰かに頼られたときは支え、自分が困ったときは誰かに支えてもらえるような人間でいたい。

そのために自分と相手の境界線をなるべく綺麗に引いていたいと思っている。