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ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

空手とブログと虚と実

ちょっと前、ブログ事情に詳しい方と色々お話をする機会がありました。
どうして私がこのブログを始めたのか、とかPVについてなどの話を聞いたのですが、最近空手の後輩に成果を出すための考え方を話をしたところで「どちらにも通じるところがあるなあ」と思ったので自分の備忘録的にまとめてみました。
というわけで、長文です。お暇な人だけどうぞ。

空手を始めたきっかけ(フィジカルとメンタル)

私は空手を始めて12年目。
私はスポーツやら体を動かすことが昔から嫌いで、習い事をするなんてみじんも思っていませんでした。
20代後半で突然空手を始めたきっかけは「たまたま友達に誘われて」で、その時「フィジカルの感覚がなさ過ぎる」生活をしていたのが原因だと思います。

一人暮らしでフリーランス。通勤もないので外に一切出ないで家の中でパソコンと向かい続ける毎日。クリエイティブもデジタル、納品する成果物もデジタル。報酬としての入金も口座の数字だけでした。
友達とはたまにしか会わずに、やりとりチャットかメール。仕事もほとんどメールです。一度も電話でさえ会話せずに仕事が終わるなんてこともザラです。
気が付いたら1日、コンビニの店員さんと交わした「お箸はいりますか」「いりません」だけがリアルな会話だったりしました。忙しいとそんな生活が1週間とか続いたりして、仕事もしてるし、社会とも繋がってるのに「体の感覚」がどんどん無くなっていきました。

ある日、気が付いたらパソコンを眺めている私の体は目と手だけしか動いて無くて、身体感覚がなくなり「ポインターの矢印が自分」なんじゃないか…という錯覚に襲われました。
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そんな生活をしていたらメンタルが健康になるハズもなく、たまに実際に人と会うと久しぶりに人と話してることに興奮してテンションが上がりすぎたり、それが原因で人とうまくいかなかったり…わたしはちょっとおかしくなっていたのです。

対人関係でメンタルに打撃を受けたある日「このまま家にいたら死んじゃいそう」と思った私は友達に「ゴハン食べに行かない?」と連絡しました。すると「空手の体験に行く」と言われました。
「空手…?!」それまで人生でなんら接点のないものでした。
空手なんて興味ないけど、今日は家にいたらいけないと思ってでかけることにしたのです。

初めて空手をやってみたら、あまりに分けがわからなくて、自分の体の知らないところを動かさなきゃいけなくて、あたふたしました。
そして終わってから「あれ? 今の時間だけは頭でごちゃごちゃ考えてなかったな」と気が付きました。そしてなんだかスッキリしていました。
行く前まではあんなに「今にも死にそう」みたいな気持ちだったのに、それほどでも無くなっていたのです。そして気が付いたら毎週通っていました。
そしてどんどんハマり、あっという間に黒帯を取り、4年で弐段に。多いときは週に3、4回練習に行っていました(今は週1くらいです)。

友達に「それ以上強くなってどうするの?」「何になりたいの?!」と言われたりしましたが、とにかく「メンタル」と「フィジカル」の関係性を考えるのが面白かったのです。
私はそれまで本当に「人と会話する」レベルでも「フィジカル」が足りてなかったので、自分の頭を使ってるのと同じくらい体を使わないとバランスが取れなかったのだと思います。
正直あの時に空手に出会ってなければ精神科のお世話になっていたかもしれません。
元々メンタルを病むようなタイプではないのですが「声を出す」レベルで体を使わない生活をしていたらバランスがおかしくなると思います。何か嫌なことがあっても、家に一人しかいなければ声も出せません。そんな状態で生きて行けるのはネットとパソコンがあるからで…そう考えると意識して体を動かさないとダメだと実感しました。

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ちなみに最近は悩み過ぎている人を見ると「空手でもしたら」と勧誘する空手妖怪に…。
いいですよ、空手。オススメです。

体と心と虚と実

その時からすごく意識するようになったのは「虚実」についてです。

わたしようなデスクワーカーには「実体の無いもの」が多いです。
体を動かすことは「実体のあるもの」で、メンタルは目に見えにくい「実体のないもの」。
とはいえ、頭の中にも「実」と「虚」は存在しています。
本音や本当に自分が願っていること、必要としていることが「実」だとすると、見栄や虚栄心、不必要な不安や怒りは「虚」だなと感じるようになりました。
体を使っているうちに、この「虚」の部分が小さくなっていくのを感じました。
体を使わずに家で悶々と悩んでいると、脳に使うパワーが有り余り過ぎて、実際にはまだ起こっていない出来事まで「こうなったらどうしよう」などと何手も先のことを考え始めがんじがらめになってしまいます。
トラブルが発生すれば「アレはきっとああいう意図に違いない!」などと被害妄想が膨らみ、必要以上に事を大きく考えてしまったり、とにかく頭の中の出来事のボリュームが大きくなってしまうのです。
これが、体を動かして帰宅するとスッキリと余計な考えが抜けて「事実関係」だけを冷静に考えることができるようになりました。

友人にこの話をすると「それ、脳に酸素が行ってなかったんだよ」と言われました。
「脳に酸素がたくさんいくと、人間は大体ハッピーになるんだ」と教えてもらい、体を動かしてなかった血の巡らない頭の私は、まるで新しい水が入ってこない淀んだ沼みたいだったな…と思いました。
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そこから私は「虚実を見極める」ということに興味を持つようになりました。
空手の面白いところはその「虚と実」が実際に目に見えるところだと気が付いたのです。

空手の動きには全て意味があり、一人で打つ「型」の動きも全て「相手」があり、技になっていて、これを理解せずに動きだけまねていても「型」になりません。

その動きにその人のイメージや理想が反映されてしまいます。「技」にストイックな人の型はとても正しく美しいです。「自分の体の力が、相手に伝わるか」とか「相手の攻撃をいかにうまくかわせるか」という動きは余分な力もなく、とても強く見えます。
ところが「かっこよくみられたい」「他の誰かよりも、よい型だと思われたい」などという邪念…「虚」が型に乗り始めるとそれは不必要な力みや勢いになり、その型は崩れ始めてしまいます。
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これに気が付いてから空手以外の場所で使われる
「肩に力が入ってる」
「お腹に力が入ってない」
「力みすぎる」
「脇が甘い」
「気合いが足りない」
などという言葉が本当に「その状態だと実力を発揮できない」ということを指し示している、ということが実感できました。

人は感情が体に出るのです。

つまり「フィジカルとメンタルは密接に繋がっている」ということがよくわかりました。
どんなに頭で理想を考えても、体を使って実現しなければ意味がありません。そして逆に体を正しく使うことがメンタルに影響を及ぼしたりもするのです。  

緊張しているとき、大きく息を吐いて肩から力を抜き、お腹に力を入れると実際に気持ちが落ち着きます。逆にこれからすることに自信があったり確信がある場合には人は肩に力が入ったりしません。
立っているだけでも、肩が上がって首がすぼんでいる人はすくんでいるように見えて弱そうに見えますし、肩が下がっていて胸を張っている人は自信満々で強そうに見えます。
そして、それを空手で体現するためには実際に何度も練習をし、自信をつけ確信をもたなければそのようには立てないのです。

組手と一対一のコミュニケーション

空手には一人で打つ「型」と、一対一でやりとりをする「組手」があります。
うちの流派はハーフコンタクト(一応当てるけどダメージを与えない、引き手のある突き)。
この組手を見ていると大体その人の恋愛傾向が見える…というのが私の持論です(これを空手の人に言うと結構嫌がられます…)。
フィジカルを動かすことはメンタルに影響を及ぼすのですが、ヨガやダンスと違って空手をはじめとした武道は「相手ありき」の考え方です。必ず他者が存在します。
組手も恋愛も一対一のやりとりなので、その人の理想や本質が空手の中に見える…と思っています。普段とても大人しい人が組手になるとがぜんヤル気になる…という場合は大体、恋愛でもそうです(笑)。
そしてやはり、恋愛に消極的なタイプが組手で積極的だったりすることもほぼありません。恋愛が不器用なタイプは、やはり組手でも不器用です。
技として精度が上がっていくと、必ずしも恋愛傾向と一緒になるとは限らないのですが組手の経験値が低ければ低いほどわかりやすくスタイルに出てしまいます。

なので、審査会での組手を私は大変悪い顔で眺めています…。
「ほほう……○○さんって意外と自分から行くタイプなのね…」
「おお…○○くんはやっぱり相手に攻めさせてから最後にかっこよくキメたいタイプなのね…」
「ふふふ…○○さんて、相手のこと全然見てないから彼氏がいるのに告白しちゃうタイプよね……」
「あ〜〜○○さんって、戦う前から勝手に思い込んで諦めるタイプかぁ…」
…などなど。

では、自分はどうなのか? と考えはじめました。
私は組手してるとき、何を考えているのかな…と。
相手が目の前にいるとついつい「負けたくないな」とか「かっこわるく負けたらどうしよう」などという考えが頭の中を一瞬よぎります。でもそれは「虚」であって本質ではありません。

組手の本質とは何か。それはいかに相手よりも先に自分が攻撃をするか、ということです。その場合「他人からどういう評価を受けるか」を予想したりそれに怯えたりするのは意味がありません。
相手の動きをよく見て、どれだけ「技」に純粋になれるか。ただそれだけを考えたいと思いました。

相手を目の前にしても、私のテーマはなるべく「虚」を無くし「実」を極める。
というものだなと思いました。

自分の恋愛観と同じか、と言えば確かに自分が相手を「好きかどうかだけに純粋になりたい」という理想はあるかもしれないと思います。条件とかスペックとか、人から羨ましがられる相手とか、そういうのではなくて「打算なく相手を想いたい」のが理想だと思っています。

もう一つ、自分の組手について考えて気が付いたのは「他人が怖くない」ということです。
私は普段から自分の言い分を言うことに全く抵抗がありません。
これに抵抗がないタイプは、他人を攻撃(突く)ことにも抵抗がないと思いました。
なぜなら、自分がそれをされても大丈夫だからです。他人から自分の弱点(隙)を攻撃(突かれる)されても組手のやりとりにおいては同じ土俵の上にいるのだからフェアです。
隙があったら突かれるのは当然のことで、それが嫌なら練習すればいいし、勝ち負けにこだわり過ぎなければまたそのやりとりも楽しいです。なので大体組手の時の私は…とても楽しそうだと言われます。
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そして…自分が隙を突かれても平気なので…相手の隙も容赦なく…突けます…。後輩や帯下相手には遠慮しないと…いけないのですが…隙が見えたら考えるよりも先に体が動いてしまい、何度かちょっとキレイに入り「やっちまった!」ということもありました。
でもこれも実際の人間関係でもすごくよくあることなのです…(反省)。
組手は人間関係(恋愛傾向)とよく似ている。という持論は自分の行動からも大体そうだろうな…と思います。


ブログの中の虚と実

長い…長すぎるけどやっとここでブログの話です。

私はPVなどにあまり興味がなく、PV集めのためのテクニックなどを教えて頂いてもピンと来ません。
その数を稼ぐことを目的にするのは私の中で「虚」だからです。
本当に誰かに伝えたいこと、自分が思っていて誰かに届いたらいいなと思っていることが「実」であり、それがないものは意味がないと思います。
なので「こうしたらアクセスが伸びる」とか「ブログでお金を稼ぐ」という話は全然興味がありません。

たまたま自分が伝えたいことがある一定数の人に響いたら嬉しいです。「自分の伝えたいこと」が空手で言うところの「突きの力」だとしたら、正しく伝われば「よく効く突きを打てた」ということだと思います。
ブログで書いたことを共感してくれる人が多ければ「おお、板が3枚は割れたかかな」というような気持ちになります。
なので、そこの反応がネガティブなものばかりなら「正しく伝わらなかった」「自分の体制が崩れていた」ということだと思います。
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ただたまに「どうやったらそういう解釈になるの?」という不思議な人もいるのですが、実際空手でも明らかに打たれても認めない人もいるし、全然突けてないのに突いてるつもりの人もいるから「そういう人はいる」とは思っています。

PVやアクセスのためにわざとネガティブな「釣り文」を書いてるような人を見ると、私には「効かない突き」を打ち、形ばかりの「型」を打つ人にと被って見えるのです。

私が好きなブログはみな「自分が本当に伝えたいこと」を書いてくれている人達で、器用でも不器用でも「実」のある強い「突き」を繰り出す人達に魅力を感じるし、面白いと思っています。

ちなみに私はネット上においては組み手はしません。
相手の目線も息づかいもわからないので、目をつぶって組手をするような状態で正しく組手ができるとは思いません。人類の好感・反感における(←修正しました)コミュニケーションで言語が占める割合はたった7%だという俗説を聞いたことがあるのですが、実際に目は口ほどにモノを言うし、声や呼吸、筋肉の強ばりから感じられるものはすごく大きいです。

目の前に人がない場合言語以外の情報が(←修正しました)一切「虚」の状態で、敵だと思っていたら自分の影だった…なんてことはよくあります。もし私を攻撃する人がいたとしても「虚」の状態で攻撃されている限り、私は返すつもりはありません。
目の前に人がいる。という「実」の力はとても強いです。「噂で聞いたことのある人」に実際に会ったら全然印象が違った。ということもよくあります。ネットでケンカするくらいなら、相手の家に直接行って話がしたいです。逆に直接殴り込めないような距離感の相手とは縁を深くする必要もないと思います。
ちなみにこの本を読むと、Hagex先生は「『虚』と戦う暗闇組手の師範」みたいなものだな…と思いました。
「ネットの釣りとデマのルールブック」Hagex先生の本。 - ハート♥剛毛系
ここまで来ると「虚」の中の「実」を追い求めることになるので、求道的だと思います。
ちなみにHagex先生は空手やったらすぐに上手くなり、絶対にえげつないスバラシイ空手家になると思うので、空手やらないかな…と密かに思っています…。

そんなわけで、何事も人生のテーマというのは一貫していているのだなあと思いました。
今後もそんなことを考えながら全てにおいて「虚」を減らし「実」を求めてやっていきたいです。


…と、こんな話を空手の先輩にしたら「おまえはどこの達人だ」と言われました…。
テーマがデカイらしい…。
占いでもよく「考え過ぎ」と言われているので、基本考え過ぎのようです…。