ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

このブログについて【パートナーチェック】

このブログですが、ほぼ毎回パートナーに校正してもらっています。
もちろんパートナーのことを書いてることもあるので、チェックしてもらう意味で読んでもらっています。ちょっと前にブログを書いてる友人にその話をすると結構驚かれました。
私はあまり自分のことを信用していないので「うちはこうです」と書いたことにズレがないかとか「誤字」や「論点の客観性」とかまで含めて見てもらっています。ちなみに内容にダメ出しされたことはほぼないのですが「この上なくつまらなさそう」な顔をされたものは、大幅に書き直しています。
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元夫との結婚中も元夫をモデルにブログマンガを描いてましたが、すべてチェックしてもらっていました。しかしさすがに今は「元夫」のエピソードについて本人にはチェックはしてもらっていません(笑)。もし、抗議があった場合には対処する事後承諾制にしています(98%くらいの確率で彼がここを読むことはないと思うのですが)。

パートナーとのプライバシー問題は、各家庭それぞれですよね。
うちはお互いのiPhoneのパスワードを知っているのですが、以前友達とゴハン食べていたときにパートナーのiPhoneを使ったらドン引きされたことがあります。
その話を別の友人にしたら「うちも知ってるよ」と言われたので、この辺の感覚は人によってそれぞれなのかなと思います。

夫婦間でも「携帯・メールの盗み見」は最もやってはいけないこと、とよく聞きますが、もちろん盗み見はしません。ただ、お互い「見せて」「使わせて」と言えば見せられる状態ではあります。とはいえ、お互いに来たメールはもちろん読みません。メールは送ってきた相手のプライバシーが含まれるからです。
携帯のパスワードも知っていますし、教えて欲しいことはなんでも聞ける状態ではありますが、今まで実際メールを見るような場面はありません。夜中に来たLINEについては「誰?」とお互い聞くくらいです。

でも一緒に暮らしてると、スマホなんかのパスワードとかわかりますよね…。
私の友達は彼氏に一緒にいる間にパスワードを覚えられて、メールを全部読まれたそうです。メールの中に彼女の不貞は無かったのですが、勝手に嫉妬し、勝手に怒られ…2人の関係は悪化し、結局女性側から「もう無理」とお別れしました。大体こういう感じになりますよね。

私はパートナーとは「共有・共感」したいので、勝手に盗み見たら共有も共感ももう相手とできません。勝手に見てしまったらつまらないので「盗み見しよう」と思ったことはありません。

このブログで書くことは私の考えていることですが、まずはパートナーと共有・共感したい。と思っています。なので、一番最初の読者はパートナーがいいなと思っているので事前に読んでもらっています。
自分の家族(血縁者)には読まれたくないけど、パートナーには読ませている。
そんな感じでブログをやっています。

しかしパートナーが忙しいときに尋常で無い量の長文を読ませるのは酷なので遠慮しちゃったりします。
というわけで、パートナーが忙しかったり出張でいないとこのブログは更新されません…。f:id:salucoro:20140303141457j:plain

ハートが剛毛かどうか

最近人にこう言われました。

「ガチでハートが剛毛の人は「えっ?ハート剛毛じゃないよ。私は普通だけどなー」と真剣に思ってるタイプなので、さるころさんの場合はメタハート剛毛ですね。」

正直に告白しますと、わたくしは昔、完全に「私、繊細じゃん」と思っていました。普通に嫌なこと言われれば傷つくし、恋愛もうまくいったりいかなかったり。末っ子だし、むしろ弱い方、おみそだしー。

んが。
一度教えたことが覚えられない人に「さっき言ったのになんで覚えてないの?」と言ったり(私は人がやってることを見てると大体覚えられるタイプなのです)。
人にヒドイこと言われて傷ついてる人に「なんでその時言い返さないの?」と言ったり(私はやり返すタイプです)。
恋愛がうまくいかないとひがみっぽい人に対して「ひがみっぽいから恋愛うまく行かないんじゃん」と言ったり(本当のことだから言ってもいいと思っていた)。
などと例をあげれば切りが無い、無神経に人の足を踏んでも気がつかない。みたいな暮らしをしていたのです。

えー? でも、めんどくさいヤツには「めんどくせえ」って言うし、いじわるしてくるヤツはやりかえすし、言いたいこと言えないとかよくわかんない。
今でも基本的にはこういう人間です。

しかし、そんなことしてて円満に暮らして行けるほど甘くもないですし、私も空気が読めないわけじゃなかったので「むむむ? もしかして、私の心が図太いだけで、みんなはもっと繊細なのでは?!」ということに気が付いたのです。

そして、めんどくさい人に「めんどくせえ」と言うとさらにめんどくさくなるし
自分が簡単だと思ったことが苦手な人もいるし、私も苦手なことがあるし、
いじわるしてくる人は実は恐がりだった不安だったりしているのかもしれない。
言いたいこと言えない人はたくさんいて、性格だからそう簡単に変えられないのかも。

と、思った瞬間。
世界がこんな感じに見えました。
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私はよく人から「強い」と言われていましたが、必ずしも良い意味とは限りません。
私は末っ子だったし、成績もよくなかったし、運動もできなかったので自分を「デキの悪い人間」だと思っていたのです。できないことと持ってないものばかり数えていました。

でも、20歳から自分のやりたいことでお金を稼いでお金に困ったこともなく、ガンガン言いたいことを言うのであまり仕事でもナメられず、家族は仲良しでいつでも頼れるし、首都圏出身だし、実家もお金困ってないし、怖いもの知らずだし、そこそこ器用でしゃべりもうまいし、顔も広いし……恵まれてたり、ラッキーだったりするところを「当たり前」のことだと思っていたのです。でもそれは自分がたまたま持っているもので、そうでない人もいるのだ。と気が付きました。
そこに至るまでに色んな人を傷つけたり、怒られたりしてきたわけですが、ちゃんと言ってくれる人がいてよかったなあ…と思っています。そこは周りに感謝しています。

「鈍いと強い」は似てるけど違う。
強くてもいいけど、鈍かったらダメだ!!!!

自分が強いことに無自覚で、知らない間に人の足踏んだり、すれ違いざまに突き飛ばしたりしていても気が付かないなんて、恥ずかしい。と思いました。

なので、それからずっと「自分の心は腕力があって剛毛だから気をつけなければならない」と思うことにしました。そうでないと誰かを傷つけちゃうかもしれないし、それは私が望んでいることではない。人に何かを教えるときは、相手の「できない」をちゃんと汲むようにする。変な風に絡んでくる人には対しては基本的に戦わない。大体のことはツラの皮120デニールくらいでガン無視上等で揉めごとは起こさない。いざ、やったるで、と思ったときにだけ殺れるオンナになりたい。

自分の強さのパラメーターを知っていれば、強い部分は人の分まで持ってあげられるし、人のことも思いやれる(あ、この人はこういうの苦手なんだな、じゃあ私がやろうとか)。逆に自分の弱さについてもちゃんと受けとめることができれば、うまく人に頼むこともできる。人に無理させず、自分も無理しない、強くて優しい人になりたい。ただ「自分はできる」「この人はこれが苦手」だったしてもその気遣いが相手を傷つけてしまうことがある。だからそれさえも勝手にこっちが決めてはいけない。相手が何を望んでいるのか、どういう気持ちなのかなるべく知るように心がけるようになりました。
私の心が剛毛なのは変わらないんだから、無自覚だったために散々人を傷つけて、自分も傷ついてきたぶん、ちゃんとしていきたい。でも、いくら「気づき」があったとしてもそう簡単に毎回うまくいくわけじゃなくて失敗もしてしまう。それでも何度も直していきたいと思っています。
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「おばちゃん」自称問題について - ハート♥剛毛系
たとえば、ここで書いた「おばちゃん自称問題」はわりとわかりやすくて。
「あたしがおばちゃんって思ってんだから、おばちゃんなのよ!」っていうのは「そうじゃない」人の足を踏んでる行為だと思うのです。「自分はこう思うから他のみんなもこうなの!」と言ってしまうのはハートが剛毛だからなのか、本当に何も考えて無くて鈍いだけなのか、自分が傷つきたくないから人を傷つけちゃうのかわからないけど、私はなるべく足を踏んだり、肩をぶつけたりしたくない。相手が足を踏まれても黙り込んじゃう人なのか、それとも足を踏み返して来る人なのか、足を踏むまでわからないなんてしたくない。人の足を踏まずに生きたい。
とか書いておいて先日もお姉さんたちの会話にひょっこり乗ろうとして「まだ早いわよ」と言われてしまった……。気をつけても毎度うかつな私である。

……ちなみに、こういう話をすると「そんなことないよ〜。君だって女の子ダヨ〜。繊細ダヨ〜。」と言ってくれる人が極たまにいるんですが、剛毛さと繊細さは両立すると思うんですよね。弱いところに毛が生える、という考え方もあるので、繊細なハートにモッサモッサ毛が生えてるかもしれない。
ただ、私の身近な人は皆わたしのことをただのケダモノだと思っているので、私の心が剛毛であることはたぶん間違ってないと思います(´Д` )。

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※ちなみに最近コレ↑をしたのはとあるサービス業(私が客)で少しトラブルが起こったときに、ニコニコ対応していたら向こうがわたくしをなぜか「世間知らずの押しに弱い人」的に思ったらしく「強く言えば泣き寝入りしてくれるかも」的な態度を取ったときに起こりました。なので、そう簡単に威嚇しませんので安心してください!! あ、もちろんこの時は不当な金額請求させられそうになったのは避けることができました☆
※このマンガをパートナーに見せたところ「これをネコだと思うやつは、そもそも人を見る目がない」と言われました…。

このブログについて

購読してくれている人が増えてきたので自己紹介とこのブログについて書いておきます。

このBlogの書き手について

水谷さるころといいます。イラストレーターでマンガ家をやっています。
1996年からフリーランスのグラフィックデザイナー兼イラストレーターを始め、マンガ家デビューは1999年ですが単行本が出たのは2009年。就職・バイト経験もほぼなくずっとこの仕事をやっています。ありがたや〜。

仕事や経歴は「さるころ」でググると色々出てくるので興味がある方はどうぞ。
画像検索するとイラストよりも顔写真のほうが上に出てきます…。基本的にググるとなんでも情報が出てくる両手ぶらり戦法的な人生です。

仕事じゃない経歴的には
2006年/結婚(法律婚)→2009年/離婚→2012年/再婚(事実婚)←継続中です。
ググると「他のキーワード」に「さるころ 離婚」「さるころ 結婚」が出てくるんですけど、なぜ?(´Д` ;)why?

このBlogの内容について

親のネット力問題 - ハート♥剛毛系
こちらのエントリーでも書いたように、仕事にかかわらない内面的なことを書かないネット生活を15年ほどやってきましたが、好き勝手書こうと思い始めました。
自分の考えたことを長文で不特定多数に書くのは今まで積極的にしてこなかったので、こちらのブログは「自分の考えをテキストでまとめる」練習みたいな感じもあります。
なので仕事に関係ないことを書くためのブログ、という立ち位置なので仕事メインのサイトからのリンクはなく、今のところTwitterアカウント内でもほぼ言及しないというスタイルを取っています。自分から積極的に言及はしませんが、Twitterでこちらのブログについて感想頂いた場合はリプライをお返しすることもあります。
このブログから興味を持っていただいてTwitterをフォローして頂いても、この手の話はたぶん全然出ません。猫と仕事とゴハンのゆるふわほっこりTweetが主です。ブクマコメントは読んでいます。
試運転のまま3ヵ月ほど来ていますが、そのうちデザインももうちょっと変えようかなと思っています。

タイトルは「●●女子」とかのカテゴリで自分が入れそうなやつが無かったので、自分で入れるカテゴリを作ろうかと思ってつけました。

文体

「日常的に感じたこと」は人に話しかけるという前提で「です・ます」のある文体。
「脳内議事録」的な内面をまとめているものは「です・ます」のない文体。
という使い分けをしています。

こちらを参考にして書いてみました。
【駄】このBlogについて - 斗比主閲子の姑日記

連絡先とかは「ググればわかります」的な感じで行こうと思います(´Д` )。

「おばちゃん」自称問題について

「大人女子」とはなんぞや。などとネット界隈をモヤモヤさせている自称「女子」問題。
私は「カテゴリするのに便利な言葉」くらいにしか思ってないので「●●歳なのに女子とか図々しい」とか言ってる人を「めんどくせえなあ…」と思うタイプです。
私はそもそも入れるカテゴリが少ないことがむしろ悩みのタイプなので「●●女子」問題とは縁が薄いほうです。
あ、最近古墳ブームが来てて「古墳女子」たるジャンルができそうらしいので、それには入りたいです(にわかですが)。じゃあ「古墳が好きな女性」を表す時、それが「古墳ガール」だと若干心理的ハードルは上がり、「古墳女」だと完全に妖怪のムードが漂い、「古墳ギャル」だとコフィーちゃんです。10代20代どころか、60代だって「古墳女子」でいいじゃないか。と思うので「女子」問題に目くじら立てるの、めんどくさい、と思っています。まあ、男女関わらず古墳が好き人を表す言葉でもできたらいいのかな。コフニストとか…? いや、古墳の話はいいのです。

「女子」問題はいいとして、実はデリケートな問題を孕むのは「おばちゃん自称問題」です。コレに関して言うと、男性目線は一切関係ありません。
男性目線どころか「女性性」「女子力」も関係ありません。「オトナカワイイ」に励む女性、化粧をしない天然系女性、腐女子、グラビアアイドル、キャバ嬢、女医、主婦…属性も性格も女らしさも一切関係ありません。「年齢と加齢」は生きている限り、誰にでも起こる問題です。

「おばちゃん自称問題」で問題になるのは女性同士です。
私は現在38歳なので「娘さん」「ガール」ではありません。立派な大人です。
女性の「性」を売る「商品カテゴリ」であれば「おばさん」のジャンルでしょう。
んが。おばちゃんであるかどうか。は女性同士間では気を遣う問題です。

たとえば、同じコミュニティに40代の女性がいたとします。そこで30代後半が「おばちゃんキャラ」を披露した場合、40代のポジショニングが微妙になってきます。
その40代女性が「女現役」タイプの場合、年下に「おばちゃん」をやられるのはキビシイです。逆に「自称おばさん」の場合でも「あんたにはまだ早い!」という場合もあります。
かといって年下からの「私のほうが若いですし」という気配も禁物です。
相手から「あんたもいい歳よね」と水を向けられない限りは「おばちゃん」にはなれません。
同時に同い年がいるところで「おばちゃん自称」するのも同じくらい危険です。35歳を過ぎると、早くに結婚した人は子供が小学生になり「おばちゃん自称」がナチュラルになっている事があると同時に、まだ婚活中の女性もいたりします。自分の主観だけで加齢について語るのは危険です。

世の中には10代女子がメインのコミュニティで、その中に20代が入ることで「わたしはおばちゃんだから」という言動を取るケースもあります。女子大生サークルにおける20代社会人OGが「いいわね〜、肌がぴちぴちしてて、あたしなんか…」発言などなど。
が、これはちゃんちゃらおかしい。真のBBA問題は30越えてからが本番です。20代以下のBBA問題は所詮おままごとです。高齢出産、更年期、老眼、婦人科検診の日常化が見えてきてから入ってこいやーー! と一蹴します。


で、30歳を超えてからの「年下におばちゃん自称されるとちょっとモヤる」ケースの場合です。
たとえば年下の女性が「30代になったら肌荒れが酷くて…やっぱ加齢は辛い、もうオバハンって感じ…」という話をしていたとします。年上の私は困惑します。
(´・ω・`)こんな顔で聞いています。
年上のわしの立つ瀬がない…というのもあるはあるのですが、私の場合は30代前半までのほうが吹き出物などに悩まされており「キレイな肌」とは無縁でした。ところが33歳くらいから加齢のせいなのか(離婚してストレスが減ったせいなのか)、吹き出物が一切でない肌になったのです。
あれだけ苦労して吹き出物予防の化粧品やらケアやらしていたのに、今は何もしてなくても大丈夫。高い化粧品も使っていません。
10代からニキビに悩まされ、肌つやがよかった、という自認がなかったので「やっほー! 加齢ばんざい! 吹き出物がない今のほうがいい!」という状態です。
よって、私にとっては「肌荒れしたからババアである」という話は共感できず、困惑する…。というケースです。うかつに「やっぱ30過ぎるとダメだわ〜」と発言してしまうと、それより年上の心をモヤモヤさせてしまうことがあります。もちろん私もそうだった! という共感のケースもありますが、肌荒れ問題は体調やストレス、体質など年齢以外の要素も大きいです。「私は最近」と主語を小さくすることによって回避できるので自他共に気をつけて行きたい問題です。

「おばちゃん自称」する女性心理の中に「女性の市場価値から降りた宣言」というものがあります。これを使うとある程度楽になるのはわかります。「もうおばちゃんだから太っててもいいや」とか「もうおばちゃんだからお洒落したくない」「もうおばちゃんだから…」。いろんないい訳に使えますが、それが「試合放棄」の場合でも、できればその勝手な試合に巻き込まないでくれないかなあ……と思うことはあります。その人は「女性としての市場価値戦線」というもので戦っていた。という自意識があるのかもしれませんが、その横にいる私は別にそこで戦ってなかったりします。
若い時からお洒落したくないタイプの人もいますし、そういうことに興味がないタイプもます。
この発言者が10歳くらい年上だと影響は少ないのですが、同い年から以下、年下の場合は「年齢と性別でカテゴリして、勝手にその市場価値戦線に巻き込まないでー」と思うので、はやり加齢の問題は「できる限り主語を小さく」でお願いしていきたい。

というわけで、特にインターネットなどの「不特定多数」がいる場所では私は自分を「おばちゃんだから」と言うような発言はしないことにしています。さすがに40代後半から50歳過ぎたら解禁だと思うのですが、50歳過ぎた先にはおそらく「おばあちゃん自称問題」が勃発するであろう…と予測されます。

そんな私が現在「おばちゃん」を自称場合があるのは「若者の至らなさを許容できる」というケースくらいです。このケースに関していえば「おばちゃん」は「親戚のおばちゃん」に近いものがあり、20代女性であろうと甥や姪には距離がありつつも「若いから」と許容できる心理に近いものを感じ、例えとしての「おばちゃんにもそんな時期があったわ…(暖かい目線)」というような用法で使います。

私が人から聞いた言葉の中に

「いつでも振り返れば、あの時は若かったと思う。だからもう若くないと言って何かを諦めてしまうのはもったいない」

というものがあり、大変気に入っています。
30代も、40代から見れば「まだまだ若い」ですし、40代も50代から見れば若い。60代だって80代からみたら若者かもしれません。人生は先があるので、過去や今に捕らわれて「もう若くない」と悲嘆にくれるのはもったいないなと思っています。
私が女性なので「おばちゃん」問題をメインに取り扱いましたが、この辺は男性の「オッサン」問題もあまり変わりが無いと思っています。

私はいま「何歳だから」に捕らわれず、自分の体型や顔を見て「似合っていればOK」と判断しています。できる限り、好きな服を着て好きな髪型をして「あの時やっておけばよかった」と思わないようにしていきたいと思います。
というわけで、私が「おばちゃん」を自称するのはもうちょっと先にしようと思っています。
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女だけどおっぱい好き

女だけど、おっぱいが好きです。
( ゚∀゚)o彡゚おっぱい!おっぱい!

いつから好きだったか…といえば子供のころでしょうか。子供はおっぱい好きですよね。そのまま大人になってしまった。という感じなのかもしれません。
私には姉が2人おり、7歳と5歳離れています。なので小学生のころ、私が10歳だと姉は17歳と15歳。まだ何もない私の胸。しかし、姉の胸には素敵なおっぱいが…。
「大きくなったらああなるんだ……!」と期待に胸を膨らませました。
が、実際には胸は膨らみませんでした。
自分が18歳くらいのときに「あれ……………もしかして、私はこれで…終わり?! なんであたしだけ無いの!!!」とやりきれぬ思いでいっぱいになりました。
おっぱいへの想いでいっぱい。

さて、自分の胸が膨らまないなーと思いつつ、とかく他人の胸は大好きでした。
中学でも同級生の胸をタッチ。高校は女子校なのでパラダイスでした。女子校はスキンシップOKです。大きい女子は揉まれる運命です(うちの学校だけ……?)。
今思えば、あの桃源郷にはもう戻れないのです………。この年で友人や姉の胸を触ったら怒られます。なぜ高校生のときは許されたのでしょうか。過去に未練は無いタイプですが、戻れるなら高校生に戻って女子のおっぱいを触りまくりたいです。
( ゚∀゚)o彡゚おっぱい!おっぱい!

さて、他人の巨乳は触るくせにフツニューの私は触られません。
巨乳の苦悩を知ろうと「巨乳はうらやましいか?」という本を読みました。

巨乳はうらやましいか?―Hカップ記者が見た現代おっぱい事情

巨乳はうらやましいか?―Hカップ記者が見た現代おっぱい事情

ちなみに私は羨ましいのではなく。好きなのです。
自分についてなくてもいい、好きなんだ!
しかしその本にも書いてあったけど、巨乳はそんなにいいものじゃないらしい。変な男性に付いてこられたり、身の危険を感じることもある。「バカだと思われる」とか、いちゃもんつけられるとか、マイナス要素も多い。似合わない服もある。(同級生にも揉まれるし)巨乳は本当に色々大変そうだ…と思った。

そういえばその昔、父が海外出張のおみやげに三姉妹に服を買ってきてくれた。
姉が来てみたら「なんだか体のラインは出ちゃうし、胸元は見えるし…ちょっと」と言ったカットソーを私が着たら…とってもカジュアルかつ健康的であった。その服は私がもらった。
姉と一緒に温泉に行ったとき脱衣所の鏡に並んだ時に一瞬、あまりのボリュームの違いに姉がぼそりと「かわいそう」と言った。さすがに「おい!」とつっこんだが「ちょっと分けてあげたい」と言われた…。分けて貰えるならもらいたいよ! ちなみに見た目ボリュームで言うと1/5くらいであった。姉は谷間で小鳥が飼えそうだ。私に谷間はない。
かといって本当に胸がない女性達には仲間に入れて貰えないサイズであり、コンプレックスもないが特徴もなく普通。困るほど無くもなく、邪魔になるほどあるわけでもない。一番下着のサイズもあるし、選べるし、どんなデザインでもあるし、便利なことこのうえないのだが…ああ、とにかく普通。母さん、なぜ私の腹の肉は胸につかないのでしょうか。尻も足も太ましいのになぜ胸はこんなですか。全体的に見て、私の胸はつまらないおっぱいなのである。
ゆえに他者のおっぱいに惹かれるのかもしれません。

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かといって写真集を読みあさったりするほどおっぱいが好きではありません。
でも一度だけ根本はるみの写真集は買いました。ああ、なんて大きいんだ!
あと洋書コーナーに行くとPLAYBOYを見たりします。たまに買います。

道行くステキなおっぱいを見てしまいます。目の端で見てしまいます。
目の前にあったら見ます。
でも罪悪感はないの! 女だから! イエーーーーイ!
変態扱いも警戒もされないの!
パートナーと歩いていて、前からステキな巨乳美人がやってきたら
「見た?」
「見た見た!」
と盛り上がれます。
( ゚∀゚)o彡゚おっぱい!おっぱい!

これが性的な興味かと言われると、見てても鼻の下は伸びるけどエロい気持ちになるわけではないので一体これはなんなんだろうなあ…? と思います。
自分もステキなおっぱいを目の前にすると目の下は下がり、デレデレした気分になるので、男性がそうなっていても「そりゃそうだよね」としか思わず、あまり不快に思いません。しかし、男性には「その先」がありますが、私には無い…。
おっぱいへの思慕が「人間が本能的に感じる母乳への愛着」なのであれば、男も女もおっぱいが好きでおかしくないはず…。
とりあえず、おっぱいはエロいものなんじゃなくて、ステキなものなんじゃないかなあと思います。

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このエントリー…。女友達に引かれたらどうしよう…。
エロくないから! エロい気持ちじゃないから!
これからも安心して温泉行って下さい……!

きょうだい構成と男女の友情

私は男も女も「気が合えば友達になれる」と思っていて、相談されたら男性でも女性でもどっちも同じくらい聞いてしまう。
この前友人に「自分は男女のボーダーがすごく低い」という話をしたら「その感覚は全然自分にはないから新鮮」と言われた。
これは何度か言われたことがあるし、同時に「わかる! 私もそうなの!」って人もいる。

とはいえ、「男女の友情成立派」を信条に、女性と同じように男性にもついつい接してしまって相手が「その気」になっていて、でも私は全然気が付かない。みたいなことは何度かあった。
逆にいろいろ愚痴を聞いてあげてたら「あいつは俺に気があるけど、俺はあいつとは付きあう気がないんだよね」と吹聴されてたこともあった。はーー?! なんじゃそりゃ。一度でも好きだとか言ったかー!? 言ってないよー! 悩み聞いてあげただけじゃーん! 勝手に電話してきてそりゃねーぜ! と思ったり。
そんなこんなで何度か友達だと思っていた男性に「男女の友情は成立しないんだよ!」と言われたりもしたが「おまえとはな!」と思い、懲りずに「男女の友情成立派」をやっている。

「男女間の友情が成立する派」と「しない派」は結構意見が対立する。私の先入観かもしれないが「発言小町」とかだと「男女の友情成立派」は、否定派から悪魔教の信徒みたいに叩かれてる気がする。女性から女性に対し「おまえらみたいのがいるから迷惑するんだ。うちの男に近づくな!」「結婚したら女友達とかいりませんよね?」とか、そういうのを見かける。
それと同時に男性のほうからも、女の「男女の友情成立派」は「勘違いさせるんじゃねーよ!」とやはり悪魔の使いのように叩かれているのを見ることがある。(ただ、男の「男女の友情成立派」はあまり女性から叩かれないような気がするんだけど…? 気のせい?)

この話題、宗教戦争ばりに対抗するケースもあるが、私の身の回りでは「男女の友情成立派」は多い。そしてわりとみんなわいわい仲良くやっていると思う。コミュニティの資質にもよるところがあるのかもしれない。


で、どうして自分は「男女の友情成立派」なのかな…と大人になってからよくよく考えてみた。その結果「育った環境かな?」と思った。
私は4人姉弟。姉が2人いて、私と弟が双子だ。二卵性双生児でミックスツインというやつ。
双子だが私と弟はまったく似てない。二卵性だし性別も違うので2人で歩いていてもまず姉弟だと思われない。ちなみに血液型も違う。一応私が20分先に生まれたので便宜上「姉」である。
女友達と話をしていて「おや? どうやら私はそもそも男性への『生理的嫌悪感』のハードルが低いようだ」と気が付いたのは20歳を越えてからだ。友達だったら男性ともゴハンをシェアするの平気。同じストローから飲み物飲める。アイスも交換できる。


女友達と話しをしていても「姉妹しかいない女性」と「年齢の近い兄弟がいる女性」の「異性」へのハードルが違うように感じる。どうも「女はこういうもの・男はこういうもの」と思いたがるタイプは、幼少期に生活環境の中に親以外の異性がいなかったことが関係しているのではないかと思った。
なので、逆に「竹馬の友」ならぬ「胎児の友」がいる私は、男兄弟がいる女性の中でも性差について著しく鈍感なタイプになってしまったのではないか…と考えた。
だって、母親の胎内から異性と一緒。いくつまで同じ部屋だったか忘れたけど、ベビーベッド2台に並んで寝てたのを覚えている(たぶん2、3歳くらいまでそのベッドで寝てたハズなので)。姉弟間なのに上下関係がない、というの大きく、近所の遊び友達よりも何よりもずっと一緒に遊んでいた。クリスマスプレゼントに弟がラジコンを欲しがれば自分も欲しかったし、同学年なので共通の人間関係も多く、弟の友達と遊べば自分は紅一点だったが、そんなことはあまり考えなかった。

中学生のとき、私は男子にエロ本を貸してもらえる女子だった。私はマンガの貸し借りをしていた男子にその延長でエロマンガも借りられたんだけど、どうしてそうなったのかは忘れた。ただ、普通に「読んでみたいから貸してよ」っていうタイプだったから…の様な気がする。やはり「女子としての自覚」は低かった、と思う。

そこから女子高に進学し、周りに彼氏ができはじめたりすると、自分の性別についてモヤモヤと考えることになるが、それはまたちょっとが長くなるので別の機会に。

男性を前にして、相手が男性である。ということをあまり意識しないのだが、それは同時に「自分が女である」という自意識が低いからでもある。現在、アラフォーである自分があまり女性性についての外見・加齢などについて気にならないのは、元々の女性性への自意識の薄さにあるのではないかと思う(もちろん、全くないわけじゃない)。「女性としての自分の価値」に自分があまり価値を見いだしてないのでそれがあがったり下がったりすることにあまり興味がないんじゃないか…と考えたりしている。あ、もちろん太ったりするのは別だし、白髪も染めてるけど。年相応ならいいやーという感じ。

じゃあ、なんでそうなったのか? と改めて考えて、やっぱり「異性と一緒に生まれてきて、一緒に育ってボーダーが著しく低いからでは?」と思うに至った。
少なくとも、自分はそうなのだろうと思っている。

私は今まで姉、または妹のいない男性とほとんどお付き合いしたことがない。いや、たまにあるのだけど「な、なんか違う。なんか話が通じない」と思う事が多かった。
男兄弟で育った男性には「女の子ファンタジー」の強さを感じてしまう。「異性も同じ人間だ」という感覚に、イマイチ欠けるという感じ。飲み会とかで話をしてて「ん〜なんかイマイチ話が通じない」と思って兄弟構成を聞いてみると、男兄弟の人だったりした。
彼らからすると、私のようなタイプは彼らのイメージする「女像」からかけ離れていているらしく、ステレオタイプなものにカテゴライズしようとしてくるのだが、私はあまりそれを受け入れないので困惑するようだった。姉か妹がいるタイプは、わりとすんなり受け入れてくれているような気がするので居心地がいい。

ただそれでも感覚の差は段階的に違うので、色々失敗したりするし、私が遭ったことがある史上最大のマッチョ思想野郎は姉がいたし、男兄弟の人でも私と円満に友達付き合いをしている男性もいるので、必ずしもきょうだい構成だけではくくれない。家の中で親から「男の子だから」「女の子だから」と役割をはっきり割り振られたりした人もいるだろうし、あくまでも「そういう傾向があるのではないか」という話である。そして自分は中でもかなり鈍感なほうである、という話。

現パートナーは私と少し似たような家族構成で、姉と妹に挟まれているせいか、私とはとても付き合いやすい。彼も「男女の友情成立派」なので、女友達もたくさんいるし私は彼がその友達と出かけてもまったく気にならない。

もちろん、自分がそういう感覚の持ち主だからといって「男女の友情否定派」を否定しようとは思わない。私は否定派の人に対しては「そうか、そういうのイヤなタイプなんだね」と理解を示す。しかし「否定派」にはそれを信じないタイプがたまにいるので困る。「男女の友情なんてあり得ない、下心があるはずだ!」と、悪魔教の信者のごとく糾弾されるという……。または「そんな警戒心が無いなんてダメだよ!」と怒られる。または「あ…自称サバサバ系w?」とマウンティングされる。いや、サバサバしてませんよ。性格は悪いですよ。ただ、男女のボーダーは低いだけです…。

実体験としてはその昔、古くからの付き合いのある男性が結婚するときに「奥さんが、今までいた男友達と絶縁するから、あなたも女友達全部付き合いをやめてって言われちゃったー」と言ってきたことがあった。
ええええええ。「女」っていうだけで、人格も人間性も全部まるごと否定かよ!!!
と、ものすごく驚いたが、まあ………疎遠になりますよね。普通に…。お幸せに…としか言えないですよね。そういう場合はちゃんと疎遠になりますので「男女の友情否定派」の既婚女性のみなさん、ご安心下さい。

私は性別よりも個性や人間性のほうが大事だと思ってるし、性差よりも個人差、性格とかのほうが圧倒的に大きいと思うので、男性でも女性でも仲良くなれそうな人とは仲良くしていきたい。
とりあえず、宗教戦争にならないように「男女の友情否定派」のみなさんの気持ちを配慮して暮らすことを心がけているので「そういう感覚の人もいるのね」くらいに思っておいて下さると嬉しいです。
そして「どっちがマジョリティか」論争じゃなくてどうして自分が「成立派」「否定派」になったのか、聞かせてもらえるといいなーと思っております。
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胃袋を掴まれる女

現在わたしは全く食事を作っていない。食材のお買い物もしていない。
現パートナーは常に倹約しているので、チラシをチェックして安いものを買い、お肉などもまとめ買いしたのち小分けにしてラップにくるんで日付を書き、冷凍。
主婦力高い………!
私が一緒に買い物に行くと「俺の稼ぎで好きなもの買うんだからいいだろ」と言わんばかりに私が適当にカゴにものを入れるのでパートナーに「頑張って倹約してるのに〜」と怒られる。完全に、奥さんと旦那さんの立場が逆転している。
基本的に食費も割り勘だけど、お互いが納得できないものは別清算。私はお酒飲まないから別会計とか。)

で、最近すごく感じることが
「胃袋は掴まれる!」
ということ。

女性向け婚活系の記事とかで「男の胃袋を掴め!」とよく書いてあるけれど、実際自分がそっちの立場になるとよくわかる。私はゴハンが美味しくなるたびに、相手の欠点に対しての採点がどんどん甘くなった。
ただ私が美味しい物に弱いだけかもしれないけど…。

おいしいゴハンを作ってもらっていると、なんだか…細かいことがどうでもなってくる。昔はもう少し「男性に多少は多く払ってもらいたい。年上ならなおさら」みたいな気持ちなどもあったような気がするけど、最近は自分がちょっとくらい多く払っていても「まあいいか」と思うようになり、誕生日プレゼントに何が欲しい? と聞いて出てきたものの金額が、今年自分が貰ったモノの4倍だったとしても「まあいいか…お世話になってるし」と思って気持ちよく払ってしまう。

うちには猫がいるのだけども、猫はいちおう「私の猫」で世話は全て私の仕事。ゴハンも毎日私があげている…そして、うちの猫はわたしにものすごい執着をしている。
ペットにとってはゴハンをくれる人は最も優先順位が高いのだ…と思うと、なんだか自分も最近パートナーにゴハンで懐柔されているような気がしてならない。

経済的なバランスとゴハンの関係というのは、どこかで関係しているような気がしていて、食事のコントロールをしている人は家庭においては力を発揮するのではないか…と思った。自分が育った家庭においても、母親と父親、どちらに精神的な依存があったかと思えば母親で、そこには「母のゴハンが美味しい」という事実はかなりの割合を占めていたのではないか…と思う。

現在、うちはゴハンは作ったら後片付けは作らなかったほう。洗濯は洗濯機回して干すまでやったら、畳むのは別の人。という分担があるけど、それ以外の家事は私がやってる。掃除とか、シーツ代えるとか、ゴミや消耗品の管理とか、そういうもろもろの家事は「現状維持」がベースだから、炊事に比べて評価されにくい。
「わーい! いつも部屋がキレイ」とはなりにくいけど「わーい! 今日のゴハンすごく美味しい!」となると、喜びを刺激しやすい分、評価を得やすい。
家の中はパートナーが帰ってくると勝手にキレイになっているけど、食事は「今日何食べたい?」とパートナーが聞いてくれたりするのも大きい気がする。
私が「汚い部屋に住むのが耐えがたい」タイプで、パートナーが「貧しい食生活が耐えがたい」タイプだったために、自然とこうなったのだが「胃袋、掴まれてるなあ…」と思うことしきり…。
もちろん、前の結婚生活が「生活費折半・家事全部私」だったので、今が天国みたいだから全然不満はない。

最近この生活になってから「彼氏のハートを掴む手料理」とか「彼氏をメロメロにさせる手料理」とかのレシピの見出しを見るたびに「男子がやっても、ええんやで…!」みたいな気持ちになる。

ちなみに私がゴハンを全然作らず、パートナーが作っている話をしたらとある独身男性から「やめて〜聞きたくない。夢が無くなる〜」と言われたことがある。
もちろん私もその昔「彼にゴハンを作ってあげる」という行為をしていたわけで、それはそれでいいんだけど。逆転してることを否定しなくてもいいじゃない? 私だって、同じようにゴハン作ってもらえたら嬉しいのですよ。

でも専業主婦の友達には「絶対に夫にはやらせたくない」と言われた。たぶん彼女の仕事を奪われると困るのかなーと思った。彼女は専業主婦希望で稼ぐ旦那さんを見つけた人なので「家の中は私の仕事!」という感じだ。あと「そんなことは期待してない」っていう感じなんだろうな。
彼女からしてみればうちのパートナーみたいに積極的に家事はするが、「世帯主」や「大黒柱」という役割を押し付けられることを嫌うし、お金もたくさん払ってくれない男性は魅力を感じないのだろうなあ…と思う。

同じく共働きの女性からはかなりの頻度で羨ましがられる。
ゴハンのことを考えなくていいのが羨ましい…と。そう、確かに炊事は掃除に比べて買い物、ストックとの兼ね合い、量、スケジュールなど、考えることが多い。そう考えると、やっぱり家事における炊事の割合って高い…。

ただ、女性の中には「自分が納得できるものができあがってこないとどうしても不満に思ってしまうので、料理はさせたくない」という意見もある。
私は「ダメ出し」はせずに気になることがあったら「お願い」するようにした。「こういう味つけのときはこういう風にしてくれるほうが、好きだな」と伝えるようにしていたら、どんどん私好みにしてくれた。

あとは「キッチンは自分のテリトリーだから夫に入って欲しくない」という女性もいる。
これは専業主婦には多いのだと思うけど、共働きで夫に家事を「させたくない」タイプの人にいる。いつもおいてある場所に道具を戻さない、とか出来映えややり方が違うとどうしても「作ってくれて嬉しい」と思う前に「だったらあたしがやるのに」って思っちゃうとか。

うちは基本、キッチンは私の管理下にある。道具、食器、家電、ほとんど全てが私のもので、全て配置した後からパートナーが家にやってきたので、モノの配置の決定権はわたしにある。そして現在も掃除、片付けが私の管理下にあるので、パートナーが「ここはこうしてほしい」とリクエストしてきた場合、協議の上変更するスタイルになっている。
うまく話し合って譲り合い、共通見解を作っていけば、テリトリー問題も解決できると思っている。

ちなみに「冷蔵庫の中身」については完全にパートナーに管理権が移行しており、私は冷蔵庫に何が入っているか、もはやよく知らない。
そして、パートナーが実家に帰省して、数日後しんなりした葉物野菜を見つけて「んも〜。ちゃんと料理して食べてって、言ったのに!」と怒られるのであった…。

元々「世の中的にいわれる性差の話」について違和感があったが、こういう生活をしていると、ますます「男って・女ってこういう生き物」的な主語のデカい話も、実際の「性別」ではなくて、社会的な役割に準じてるんだなと実感するようになった。
男性が毎日ご飯を作れば男性も「今日はゴハンがいるかどうか、必ず連絡して」と言うし、私が冷蔵庫のストックを勝手に使えば「明日のゴハンにしようと思ってたのに」って怒られたりするし、買い物で無駄なものを買えば呆れられる。これらは別に「女性的な発想」ではないのだと思う。
一緒に暮らしているのだから、伝えなくちゃいけないことはたくさんあるし、お互いが把握しておくこともたくさんある。自分達も今までは「社会的な性別の役割」の中にいたからこそ、逆転したときに「なるほど、相手がイヤだと思うことはやめよう」と明確にわかるようになった。

「男だから」「女だから」わかり合えない。なんてことはないと思う。少なくとも、今、私とパートナーはそう思っている。お互いの役割をどれくらい把握しているか、何かをしてもらったらどう感じるのか、知ることができて、思いやれることも増えた。
この先もずっとパートナーが炊事を担当するということでもなく、お互いの事情が変わればシフトチェンジすることもあるだろう。未来のことはわからないけど、バランスをうまく保って胃袋を掴まれたり、掴んだりしてうまくやっていきたい。