ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

女性がゴハンを作らない話をすると嫌がる男性

最近、パートナー氏の仕事が一段落して炊事当番から解放されました。
私はたかだか1週間くらいであっという間に炊事の手順を思い出し、あれやこれや、普段パートナーが作らない、かつ自分が好きな物を作ってそれなりに楽しかったのですが以前の「お金折半で家事全部」がトラウマで、キッチンを早々に明け渡しました。

イヤだ〜! 共働きで生活費折半なのに、家事を全部女がやる生活は、イヤなんだよ〜!(心の叫び)。

以前も書いたのですが、パートナーと共通のコミュニティの中でゴハンを作ってもらう話をするとすごく嫌がる男性がいます。
「え〜〜〜、ゴハン作ってあげないの?」
「わ〜〜聞きたくない。そんな話」
「え〜〜、そんなの自慢にならないよ、やってあげなよ、やろうよ」
我々が共働きなのは知っているのですが、なぜか彼は全然悪意なく、このようなことを言います。ちなみに40代未婚です。
おそらく彼の結婚観は「男が稼いで、女は家を守る」なんだと思います。それに疑いがなく、それが彼の理想なのはいいんですけど、それを押し付けられてもな…と思います。
「料理を作れない」のなら最低限のことくらいはできるようになった方がいい、というのはわかるのですが、できないわけじゃなくて相手に任せてるだけなので、なぜ…?
炊事を代わって、家事全般やっていたので「最近ゴハン作ってて、あっという間に手順とか思い出しちゃったよ…」と今後もこのままだとイヤだなあというニュアンスで話していたら「いいじゃん! 何がイヤなの? それ普通だから」みたいなことを言われました。う〜〜〜ん。
これ、私はそんなに歳も離れてないし、立場も上下がそんなあるような相手じゃないのでまだいいですけど、上司とかで「上から」言われたらすごくイヤだろうなあ。と思いました。「男は家事をしないもの、女は家事をするべき」ってナチュラルに差別だと思うんだけど、差別する人ほど差別してる自覚はないものなんだなあ、と思います。
「俺だったら、稼いでくるから妻にはゴハン作ってもらいたいな」だったら「自分の理想を語っている」だけなので、全然いいと思います。私も自分の理想を語っているだけなので。

ちなみについつい「食事を作ってあげなよ」的な流れで、パートナーのことを「でも彼は女を養いたくない人だからな〜」という話をしたら「そんなこと言っちゃダメだよ」と、その場にいた男性陣から咎められました。私は悪評を言ってるつもりはなかったのですが「男の評価を下げる発言」なんですね…。ちなみに、パートナー曰く「女性に経済力・価値観含めて人生まるごとぶら下がられるのがイヤなだけで「養いたくない」とは微妙に違う」とのことでした。あら?…すみません。

とはいえ「女を守るのが男の仕事だ」「稼げるのが男としての甲斐性だ」とか、「男らしさ」みたいなものに憧れを持ってたり、理想にしてたりする男性を見てて、そういう人はそれをしない男性を下にみたりする傾向があるのではないか? と思いました。

パートナーは「男らしい」とかそういうことは基本的に気にしてないようです。たとえそういう男性に下に見られたとしても「はー。そんなのどうでもいー(はなほじ)」みたいな…?
「ボクなんか男らしくないし…(うじうじ)」みたいなところがまったくなく、我が道を行くタイプです。私から見ると「男らしさ」を誇示するタイプよりも、実はある意味「強い(またはたくましい)」のでは…と思ったりします。
「メシ? 食いたきゃ自分で作るよ」「養う? お金持ってれば払うけど払えないから自分で頑張って」こういう人です。ビックリするほどそれに屈託がないです。「男だから○○しろ」を拒否する代わりに「女だから○○しろ」も絶対に押し付けません。私のようなタイプにはとても楽です。
(…しかしそれが原因で多くの女性に受け入れられないタイプなのもわかります)

ちなみに私とパートナーはお互いがこんなステレオタイプに嵌まれない感じなので「私がこうだから女はこう」とか「俺がこうだから男はこう」みたいな「主語を大きく」したり「偏狭な一般化」はできないタイプです。そしてそういうジェンダー的な視点に常に「それは女(男)がそうなんじゃなくておまえがそうなんだよ!」とツッこみを入れています。
今後は2人で孤立しない程度に社会にコミットしながら「男だから、女だから○○」に対してささやかに抵抗していきたいなと思っています。

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「女のカラダ、悩みの9割は眉唾」を読んだ

女のカラダ、悩みの9割は眉唾 (講談社+α新書)

女のカラダ、悩みの9割は眉唾 (講談社+α新書)

詳しいブックレビューはすでにあるのでこちらで。
宋美玄 「女のカラダ、悩みの9割は眉唾」 - うさうさメモ

これを読んでてつくづく自分が「ああ、ハートが剛毛…」と再確認したのでその話を書いてみます。

まず私は女性誌を読みません。読んでても右から左へとツツーと情報が抜けてしまうのです。そして化粧品はドラッグストアでしか買わず「女磨き」みたいなことを頑張ったりもしません。
その全ての理由が「めんどくさい」からです。
だからと言って、お洒落しないわけでもすっぴんなわけでもない。美容院も行きますし(あまり行かないけど)、必要なときはエステも行きます。ダイエットもします。パックもたまにします。
んが、デパートの化粧品売り場は友達の誕生日プレゼントくらいでしか買い物しません…。
自分の基準が「困ってなきゃいい」なので、世の中的に忍び寄る「30過ぎたらちゃんとした物を使わないと」みたいな価値観に対して一瞬は検討するのですが結局「しらねえよ」とばっさり切り捨ててしまう性格なのです…。他の人がやってるのは全然いいのです。きちんとした服を着てばっちりキメてる人をみると「おお、スバラシイ」と思うのですが、いかんせん自分にフィードバックできません。
自分のハートが剛毛だな〜と思うのは、何か新しい情報や価値観に触れたときにそれなりに「おお?!」と動揺したり検討したりはするものの、最終的に「自分は自分」「自分に合うものしかいらない」という自我が勝つことです。
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「女のカラダ、悩みの9割は眉唾」の中に「敏感肌」に触れてる部分があるのですが、自称「敏感肌」の女性が多いとのことでした。
「女の四大不健康自慢」が「敏感肌」「胃下垂」「低血圧」「低体温」らしいです。

敏感と言ったら、ちょっといいイメージがあります。繊細、ナイーブ、デリケート……女の人はこの手の言葉が大好きです。(25P)

とのこと。私にも合わない化粧品はあります。それでも自分が「敏感肌」だとは思わないのは、合わなかった化粧品をやめて別のにするとすぐ治る程度のものだからです。胃下垂でも低体温でもないですが、低血圧ではあります。しかし、それで困った事はありません。献血に行って「あら、血圧が低いわね」と言われても「あ、いつもの事ですから(どうぞ血を採って下さい)」と言ってすみます。
ちなみに私は献血が大好きです。体調によっては採れないので、採れないととにかく悔しく、採れるとすごくテンションがアガります。
これもすべて…私の価値観が「頑丈なカラダこそスバラシイ」というものだから…です。
「頑丈」であることは、とにかく「楽」なのです。ああもう、楽して生きたい。とにかく、楽がいい。「楽」こそ全て! だけど私は「何もしなくてもキレイ」では全然ないので、みすぼらしくならないように最低限のことはやっている、という感じです。
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30代前半までは肌荒れに悩んでいました。基本的にはドラッグストアのニキビ用化粧水などで対処していましたが、最終的に皮膚科に行きました。私は「漢方」とか「ヨガ」とか「アロマ」とかを試す前に、病院に行くタイプです。私は扁桃腺や耳鼻が弱く、それで体調を崩すのですが、それらは病院に行かないと改善しない事が多いのです。なのでわりと病院慣れしており、トラブルがあったらさくっと病院に行く習慣があります。

とはいえ、もちろん都市伝説的な、根拠の無い情報にもそれなりに乗せられます。
安野モヨコさんのマンガ「働きマン」の中で主人公が納豆巻きを食べてる、という設定があります。その理由が「大豆に含まれるイソフラボンが女性ホルモンの代わりになる」みたいな話だったと思うんですが、それで肌荒れが治るなら豆乳とか飲んでみるかな〜と一時期豆乳を飲んでみました。しかし、ある日「ぐはーーーマメくせえ! もう飲めない!」となってしまいました。以後、豆乳を飲んでません…。うーん、毎日豆乳を飲むのは向いてなかったみたい…。


「女のカラダ、悩みの9割は眉唾」を読んで世の中の女性が色々努力して、振り回されたりしてるのを知って「そんなにみんな気にしてるんだ…」と思いました。

ただそれはアラフォーになっても生理不順や婦人科系の病気で悩んだことが無いとか、自分がただラッキーなだけかもしれません。体調が悪いと何かしらできることはないかと努力してるうちにみんな色んな情報に振り回されていくような気がします。

つまり、この手の「女の健康都市伝説」情報にあまり飛びつかず「まあいいや」とか「どうでもいいや」とか思ってられるのは、基本的にからだが頑丈だからかな…と思いました。
そして私のメンタルが頑丈なのもからだが頑丈なことが理由の1つかもしれないな…と思いました。具合が悪いと気が弱くなりますよね。

うさうささんのレビューにもありますがこの本で語られてる一番の不安を煽る要素「女じゃなくなる恐怖」みたいなものが、私には今のところ全然ないのですが、それも結局「30代になってとたんに体力が落ちた」とか、今のところ加齢を実感するような体験がなく、とにかく健康であることが要因なのかなと。散々年上の友達に「30過ぎたら来るよ」と言われ脅されて来たのですが、今のところ健康に過ごしています。つくづく健康に産んでくれた親に感謝しています。今は「40過ぎたら来るよ」と言われていますが、さすがに40過ぎたら色々あるだろな〜とは思ってます。宋美玄先生によると45歳までは更年期は関係ないらしいので、安心しました。ゆるやかにちゃんと歳を取っていきたい。

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しかし、うちの母も「頑丈」が一番みたいな人だったのですが、70くらいからさすがに色々支障が出たらしく、ずっと健康だったばっかりに「不健康」に免疫がなく気弱になってしまったので自分も気をつけねば…と思っています。

ちなみにアラサーでさんざん悩んだ肌荒れ問題ですが、離婚したらスパーンと治りました…。加齢で油分が減ったの…? …いや…やっぱ原因はストレス…? ストレスがなくなったタイミングと肌荒れが治ったタイミングが重なっています…。すべての体調不良はストレスが原因なんじゃ…? と思ったりしました(もちろんこれも実証するデータがあるわけでなく、たまたまの経験談なので都市伝説と同じレベルの話です)。
色んな事に惑わされず、好きなものを食べて「おいしい!」と幸せを感じて楽しく生きるのが一番楽で実は健康なんじゃないのかな〜と思っているので、今後もお気楽に暮らしていきたいと思います。

「女のカラダ、悩みの9割は眉唾」は神経質になりすぎている女性が読んで、少しでも楽になれるといいなと思いつつ、私のようなお気楽ハート剛毛系の人が読んでも「よっしゃよっしゃ、今のまま行こう」と思える本だったので女性全般にオススメしたいと思います。

家事分担とドヤ顔

「家事に最も協力的」な男性はノルウェー人、日本は男女差顕著=OECD | Reuters

このニュースを見ました。確かに前の結婚生活はこんなだった…。
コレを見ると、今は家事をしてくれるパートナーでよかったなあと思います(前も今も共働き)。

が、ここのところパートナーが大変忙しく、昼も夜も無いような生活をしているので、さすがに私がゴハンを作っています。
私は炊事はできますが、前回の結婚生活において「あなたの為にゴハンを作るわ(ウフフ)成分」を一生分使ってしまったらしく、炊事をするモチベーションがないのです。
いや、本当はただ「気に入ったものは毎日同じものでも食べられる」性質なので、自炊をするなら誰かの好みに合わせないとバリエーションをつけたり、何種類か作ったりを中々できないだけなのです。今はパートナーが「食べたい物は自分で作る」人なので任せています。
しかし今回はあまりにもパートナーが忙しそうなのでさすがに見かねて変わっています。
………毎日夕飯作ってるなんて…何年ぶり…(パートナーが出張中はほぼコンビニか外食)。

ここで、私は「たまにしか家事をしない夫」の気持ちを知りました。
ついつい…「やってあげましたよ(ドヤァ)」という気持ちになってしまうのです……!
以前の結婚生活ではほとんどの家事は自分の仕事だと思っていました。それが「これは私の仕事じゃない」と思うとたんに……。
基本的に分担制なので、前から日々の掃除洗濯は私の仕事です。
洗濯物を洗って干したら、取り込んで畳むのは相手の仕事…ですが、今週は全て私がやっています。
すると「代わってあげている」という心理が満々と…!
アカン。これはアカン。
私が忙しかったり、体調不良のときはいろいろやってくれるのに、ついつい「やってあげてる」感を持ってしまう。
元夫は極たまに何か家事をすると(洗いものだけは彼の仕事だったが)ものすごく得意そうな顔をしていたな…と、思い出し反省した。

パートナーに「ついついやってあげたとドヤる気持ちになってしまう」と告白したところ、「…たまに家事をやった夫がドヤるときモヤモヤする世の中の奥さんの気持ちがよくわかった」と言われました。
「こっちは毎日健康のバランスとか考えてゴハン作ってるのに、これでドヤられたらやってられない気持ちになるのはわかる」と。

パートナー間での家事バランスは「これは誰の仕事か」みたいなものが暗黙で決まっていくことに気をつけないといけないな…と思いました。「これは私の仕事ではない」というのは、家事においてはなくて良くて、やれるほう、できるほうがやればいいはずなのです。
ドヤらず、謙虚に助け合いの気持ちで頑張ろう。

(というわけで、今回のブログもパートナー多忙につき軽めです。長文ブログが下書きに溜まっていく…)f:id:salucoro:20140308061722j:plain

このブログについて【パートナーチェック】

このブログですが、ほぼ毎回パートナーに校正してもらっています。
もちろんパートナーのことを書いてることもあるので、チェックしてもらう意味で読んでもらっています。ちょっと前にブログを書いてる友人にその話をすると結構驚かれました。
私はあまり自分のことを信用していないので「うちはこうです」と書いたことにズレがないかとか「誤字」や「論点の客観性」とかまで含めて見てもらっています。ちなみに内容にダメ出しされたことはほぼないのですが「この上なくつまらなさそう」な顔をされたものは、大幅に書き直しています。
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元夫との結婚中も元夫をモデルにブログマンガを描いてましたが、すべてチェックしてもらっていました。しかしさすがに今は「元夫」のエピソードについて本人にはチェックはしてもらっていません(笑)。もし、抗議があった場合には対処する事後承諾制にしています(98%くらいの確率で彼がここを読むことはないと思うのですが)。

パートナーとのプライバシー問題は、各家庭それぞれですよね。
うちはお互いのiPhoneのパスワードを知っているのですが、以前友達とゴハン食べていたときにパートナーのiPhoneを使ったらドン引きされたことがあります。
その話を別の友人にしたら「うちも知ってるよ」と言われたので、この辺の感覚は人によってそれぞれなのかなと思います。

夫婦間でも「携帯・メールの盗み見」は最もやってはいけないこと、とよく聞きますが、もちろん盗み見はしません。ただ、お互い「見せて」「使わせて」と言えば見せられる状態ではあります。とはいえ、お互いに来たメールはもちろん読みません。メールは送ってきた相手のプライバシーが含まれるからです。
携帯のパスワードも知っていますし、教えて欲しいことはなんでも聞ける状態ではありますが、今まで実際メールを見るような場面はありません。夜中に来たLINEについては「誰?」とお互い聞くくらいです。

でも一緒に暮らしてると、スマホなんかのパスワードとかわかりますよね…。
私の友達は彼氏に一緒にいる間にパスワードを覚えられて、メールを全部読まれたそうです。メールの中に彼女の不貞は無かったのですが、勝手に嫉妬し、勝手に怒られ…2人の関係は悪化し、結局女性側から「もう無理」とお別れしました。大体こういう感じになりますよね。

私はパートナーとは「共有・共感」したいので、勝手に盗み見たら共有も共感ももう相手とできません。勝手に見てしまったらつまらないので「盗み見しよう」と思ったことはありません。

このブログで書くことは私の考えていることですが、まずはパートナーと共有・共感したい。と思っています。なので、一番最初の読者はパートナーがいいなと思っているので事前に読んでもらっています。
自分の家族(血縁者)には読まれたくないけど、パートナーには読ませている。
そんな感じでブログをやっています。

しかしパートナーが忙しいときに尋常で無い量の長文を読ませるのは酷なので遠慮しちゃったりします。
というわけで、パートナーが忙しかったり出張でいないとこのブログは更新されません…。f:id:salucoro:20140303141457j:plain

ハートが剛毛かどうか

最近人にこう言われました。

「ガチでハートが剛毛の人は「えっ?ハート剛毛じゃないよ。私は普通だけどなー」と真剣に思ってるタイプなので、さるころさんの場合はメタハート剛毛ですね。」

正直に告白しますと、わたくしは昔、完全に「私、繊細じゃん」と思っていました。普通に嫌なこと言われれば傷つくし、恋愛もうまくいったりいかなかったり。末っ子だし、むしろ弱い方、おみそだしー。

んが。
一度教えたことが覚えられない人に「さっき言ったのになんで覚えてないの?」と言ったり(私は人がやってることを見てると大体覚えられるタイプなのです)。
人にヒドイこと言われて傷ついてる人に「なんでその時言い返さないの?」と言ったり(私はやり返すタイプです)。
恋愛がうまくいかないとひがみっぽい人に対して「ひがみっぽいから恋愛うまく行かないんじゃん」と言ったり(本当のことだから言ってもいいと思っていた)。
などと例をあげれば切りが無い、無神経に人の足を踏んでも気がつかない。みたいな暮らしをしていたのです。

えー? でも、めんどくさいヤツには「めんどくせえ」って言うし、いじわるしてくるヤツはやりかえすし、言いたいこと言えないとかよくわかんない。
今でも基本的にはこういう人間です。

しかし、そんなことしてて円満に暮らして行けるほど甘くもないですし、私も空気が読めないわけじゃなかったので「むむむ? もしかして、私の心が図太いだけで、みんなはもっと繊細なのでは?!」ということに気が付いたのです。

そして、めんどくさい人に「めんどくせえ」と言うとさらにめんどくさくなるし
自分が簡単だと思ったことが苦手な人もいるし、私も苦手なことがあるし、
いじわるしてくる人は実は恐がりだった不安だったりしているのかもしれない。
言いたいこと言えない人はたくさんいて、性格だからそう簡単に変えられないのかも。

と、思った瞬間。
世界がこんな感じに見えました。
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私はよく人から「強い」と言われていましたが、必ずしも良い意味とは限りません。
私は末っ子だったし、成績もよくなかったし、運動もできなかったので自分を「デキの悪い人間」だと思っていたのです。できないことと持ってないものばかり数えていました。

でも、20歳から自分のやりたいことでお金を稼いでお金に困ったこともなく、ガンガン言いたいことを言うのであまり仕事でもナメられず、家族は仲良しでいつでも頼れるし、首都圏出身だし、実家もお金困ってないし、怖いもの知らずだし、そこそこ器用でしゃべりもうまいし、顔も広いし……恵まれてたり、ラッキーだったりするところを「当たり前」のことだと思っていたのです。でもそれは自分がたまたま持っているもので、そうでない人もいるのだ。と気が付きました。
そこに至るまでに色んな人を傷つけたり、怒られたりしてきたわけですが、ちゃんと言ってくれる人がいてよかったなあ…と思っています。そこは周りに感謝しています。

「鈍いと強い」は似てるけど違う。
強くてもいいけど、鈍かったらダメだ!!!!

自分が強いことに無自覚で、知らない間に人の足踏んだり、すれ違いざまに突き飛ばしたりしていても気が付かないなんて、恥ずかしい。と思いました。

なので、それからずっと「自分の心は腕力があって剛毛だから気をつけなければならない」と思うことにしました。そうでないと誰かを傷つけちゃうかもしれないし、それは私が望んでいることではない。人に何かを教えるときは、相手の「できない」をちゃんと汲むようにする。変な風に絡んでくる人には対しては基本的に戦わない。大体のことはツラの皮120デニールくらいでガン無視上等で揉めごとは起こさない。いざ、やったるで、と思ったときにだけ殺れるオンナになりたい。

自分の強さのパラメーターを知っていれば、強い部分は人の分まで持ってあげられるし、人のことも思いやれる(あ、この人はこういうの苦手なんだな、じゃあ私がやろうとか)。逆に自分の弱さについてもちゃんと受けとめることができれば、うまく人に頼むこともできる。人に無理させず、自分も無理しない、強くて優しい人になりたい。ただ「自分はできる」「この人はこれが苦手」だったしてもその気遣いが相手を傷つけてしまうことがある。だからそれさえも勝手にこっちが決めてはいけない。相手が何を望んでいるのか、どういう気持ちなのかなるべく知るように心がけるようになりました。
私の心が剛毛なのは変わらないんだから、無自覚だったために散々人を傷つけて、自分も傷ついてきたぶん、ちゃんとしていきたい。でも、いくら「気づき」があったとしてもそう簡単に毎回うまくいくわけじゃなくて失敗もしてしまう。それでも何度も直していきたいと思っています。
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「おばちゃん」自称問題について - ハート♥剛毛系
たとえば、ここで書いた「おばちゃん自称問題」はわりとわかりやすくて。
「あたしがおばちゃんって思ってんだから、おばちゃんなのよ!」っていうのは「そうじゃない」人の足を踏んでる行為だと思うのです。「自分はこう思うから他のみんなもこうなの!」と言ってしまうのはハートが剛毛だからなのか、本当に何も考えて無くて鈍いだけなのか、自分が傷つきたくないから人を傷つけちゃうのかわからないけど、私はなるべく足を踏んだり、肩をぶつけたりしたくない。相手が足を踏まれても黙り込んじゃう人なのか、それとも足を踏み返して来る人なのか、足を踏むまでわからないなんてしたくない。人の足を踏まずに生きたい。
とか書いておいて先日もお姉さんたちの会話にひょっこり乗ろうとして「まだ早いわよ」と言われてしまった……。気をつけても毎度うかつな私である。

……ちなみに、こういう話をすると「そんなことないよ〜。君だって女の子ダヨ〜。繊細ダヨ〜。」と言ってくれる人が極たまにいるんですが、剛毛さと繊細さは両立すると思うんですよね。弱いところに毛が生える、という考え方もあるので、繊細なハートにモッサモッサ毛が生えてるかもしれない。
ただ、私の身近な人は皆わたしのことをただのケダモノだと思っているので、私の心が剛毛であることはたぶん間違ってないと思います(´Д` )。

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※ちなみに最近コレ↑をしたのはとあるサービス業(私が客)で少しトラブルが起こったときに、ニコニコ対応していたら向こうがわたくしをなぜか「世間知らずの押しに弱い人」的に思ったらしく「強く言えば泣き寝入りしてくれるかも」的な態度を取ったときに起こりました。なので、そう簡単に威嚇しませんので安心してください!! あ、もちろんこの時は不当な金額請求させられそうになったのは避けることができました☆
※このマンガをパートナーに見せたところ「これをネコだと思うやつは、そもそも人を見る目がない」と言われました…。

このブログについて

購読してくれている人が増えてきたので自己紹介とこのブログについて書いておきます。

このBlogの書き手について

水谷さるころといいます。イラストレーターでマンガ家をやっています。
1996年からフリーランスのグラフィックデザイナー兼イラストレーターを始め、マンガ家デビューは1999年ですが単行本が出たのは2009年。就職・バイト経験もほぼなくずっとこの仕事をやっています。ありがたや〜。

仕事や経歴は「さるころ」でググると色々出てくるので興味がある方はどうぞ。
画像検索するとイラストよりも顔写真のほうが上に出てきます…。基本的にググるとなんでも情報が出てくる両手ぶらり戦法的な人生です。

仕事じゃない経歴的には
2006年/結婚(法律婚)→2009年/離婚→2012年/再婚(事実婚)←継続中です。
ググると「他のキーワード」に「さるころ 離婚」「さるころ 結婚」が出てくるんですけど、なぜ?(´Д` ;)why?

このBlogの内容について

親のネット力問題 - ハート♥剛毛系
こちらのエントリーでも書いたように、仕事にかかわらない内面的なことを書かないネット生活を15年ほどやってきましたが、好き勝手書こうと思い始めました。
自分の考えたことを長文で不特定多数に書くのは今まで積極的にしてこなかったので、こちらのブログは「自分の考えをテキストでまとめる」練習みたいな感じもあります。
なので仕事に関係ないことを書くためのブログ、という立ち位置なので仕事メインのサイトからのリンクはなく、今のところTwitterアカウント内でもほぼ言及しないというスタイルを取っています。自分から積極的に言及はしませんが、Twitterでこちらのブログについて感想頂いた場合はリプライをお返しすることもあります。
このブログから興味を持っていただいてTwitterをフォローして頂いても、この手の話はたぶん全然出ません。猫と仕事とゴハンのゆるふわほっこりTweetが主です。ブクマコメントは読んでいます。
試運転のまま3ヵ月ほど来ていますが、そのうちデザインももうちょっと変えようかなと思っています。

タイトルは「●●女子」とかのカテゴリで自分が入れそうなやつが無かったので、自分で入れるカテゴリを作ろうかと思ってつけました。

文体

「日常的に感じたこと」は人に話しかけるという前提で「です・ます」のある文体。
「脳内議事録」的な内面をまとめているものは「です・ます」のない文体。
という使い分けをしています。

こちらを参考にして書いてみました。
【駄】このBlogについて - 斗比主閲子の姑日記

連絡先とかは「ググればわかります」的な感じで行こうと思います(´Д` )。

「おばちゃん」自称問題について

「大人女子」とはなんぞや。などとネット界隈をモヤモヤさせている自称「女子」問題。
私は「カテゴリするのに便利な言葉」くらいにしか思ってないので「●●歳なのに女子とか図々しい」とか言ってる人を「めんどくせえなあ…」と思うタイプです。
私はそもそも入れるカテゴリが少ないことがむしろ悩みのタイプなので「●●女子」問題とは縁が薄いほうです。
あ、最近古墳ブームが来てて「古墳女子」たるジャンルができそうらしいので、それには入りたいです(にわかですが)。じゃあ「古墳が好きな女性」を表す時、それが「古墳ガール」だと若干心理的ハードルは上がり、「古墳女」だと完全に妖怪のムードが漂い、「古墳ギャル」だとコフィーちゃんです。10代20代どころか、60代だって「古墳女子」でいいじゃないか。と思うので「女子」問題に目くじら立てるの、めんどくさい、と思っています。まあ、男女関わらず古墳が好き人を表す言葉でもできたらいいのかな。コフニストとか…? いや、古墳の話はいいのです。

「女子」問題はいいとして、実はデリケートな問題を孕むのは「おばちゃん自称問題」です。コレに関して言うと、男性目線は一切関係ありません。
男性目線どころか「女性性」「女子力」も関係ありません。「オトナカワイイ」に励む女性、化粧をしない天然系女性、腐女子、グラビアアイドル、キャバ嬢、女医、主婦…属性も性格も女らしさも一切関係ありません。「年齢と加齢」は生きている限り、誰にでも起こる問題です。

「おばちゃん自称問題」で問題になるのは女性同士です。
私は現在38歳なので「娘さん」「ガール」ではありません。立派な大人です。
女性の「性」を売る「商品カテゴリ」であれば「おばさん」のジャンルでしょう。
んが。おばちゃんであるかどうか。は女性同士間では気を遣う問題です。

たとえば、同じコミュニティに40代の女性がいたとします。そこで30代後半が「おばちゃんキャラ」を披露した場合、40代のポジショニングが微妙になってきます。
その40代女性が「女現役」タイプの場合、年下に「おばちゃん」をやられるのはキビシイです。逆に「自称おばさん」の場合でも「あんたにはまだ早い!」という場合もあります。
かといって年下からの「私のほうが若いですし」という気配も禁物です。
相手から「あんたもいい歳よね」と水を向けられない限りは「おばちゃん」にはなれません。
同時に同い年がいるところで「おばちゃん自称」するのも同じくらい危険です。35歳を過ぎると、早くに結婚した人は子供が小学生になり「おばちゃん自称」がナチュラルになっている事があると同時に、まだ婚活中の女性もいたりします。自分の主観だけで加齢について語るのは危険です。

世の中には10代女子がメインのコミュニティで、その中に20代が入ることで「わたしはおばちゃんだから」という言動を取るケースもあります。女子大生サークルにおける20代社会人OGが「いいわね〜、肌がぴちぴちしてて、あたしなんか…」発言などなど。
が、これはちゃんちゃらおかしい。真のBBA問題は30越えてからが本番です。20代以下のBBA問題は所詮おままごとです。高齢出産、更年期、老眼、婦人科検診の日常化が見えてきてから入ってこいやーー! と一蹴します。


で、30歳を超えてからの「年下におばちゃん自称されるとちょっとモヤる」ケースの場合です。
たとえば年下の女性が「30代になったら肌荒れが酷くて…やっぱ加齢は辛い、もうオバハンって感じ…」という話をしていたとします。年上の私は困惑します。
(´・ω・`)こんな顔で聞いています。
年上のわしの立つ瀬がない…というのもあるはあるのですが、私の場合は30代前半までのほうが吹き出物などに悩まされており「キレイな肌」とは無縁でした。ところが33歳くらいから加齢のせいなのか(離婚してストレスが減ったせいなのか)、吹き出物が一切でない肌になったのです。
あれだけ苦労して吹き出物予防の化粧品やらケアやらしていたのに、今は何もしてなくても大丈夫。高い化粧品も使っていません。
10代からニキビに悩まされ、肌つやがよかった、という自認がなかったので「やっほー! 加齢ばんざい! 吹き出物がない今のほうがいい!」という状態です。
よって、私にとっては「肌荒れしたからババアである」という話は共感できず、困惑する…。というケースです。うかつに「やっぱ30過ぎるとダメだわ〜」と発言してしまうと、それより年上の心をモヤモヤさせてしまうことがあります。もちろん私もそうだった! という共感のケースもありますが、肌荒れ問題は体調やストレス、体質など年齢以外の要素も大きいです。「私は最近」と主語を小さくすることによって回避できるので自他共に気をつけて行きたい問題です。

「おばちゃん自称」する女性心理の中に「女性の市場価値から降りた宣言」というものがあります。これを使うとある程度楽になるのはわかります。「もうおばちゃんだから太っててもいいや」とか「もうおばちゃんだからお洒落したくない」「もうおばちゃんだから…」。いろんないい訳に使えますが、それが「試合放棄」の場合でも、できればその勝手な試合に巻き込まないでくれないかなあ……と思うことはあります。その人は「女性としての市場価値戦線」というもので戦っていた。という自意識があるのかもしれませんが、その横にいる私は別にそこで戦ってなかったりします。
若い時からお洒落したくないタイプの人もいますし、そういうことに興味がないタイプもます。
この発言者が10歳くらい年上だと影響は少ないのですが、同い年から以下、年下の場合は「年齢と性別でカテゴリして、勝手にその市場価値戦線に巻き込まないでー」と思うので、はやり加齢の問題は「できる限り主語を小さく」でお願いしていきたい。

というわけで、特にインターネットなどの「不特定多数」がいる場所では私は自分を「おばちゃんだから」と言うような発言はしないことにしています。さすがに40代後半から50歳過ぎたら解禁だと思うのですが、50歳過ぎた先にはおそらく「おばあちゃん自称問題」が勃発するであろう…と予測されます。

そんな私が現在「おばちゃん」を自称場合があるのは「若者の至らなさを許容できる」というケースくらいです。このケースに関していえば「おばちゃん」は「親戚のおばちゃん」に近いものがあり、20代女性であろうと甥や姪には距離がありつつも「若いから」と許容できる心理に近いものを感じ、例えとしての「おばちゃんにもそんな時期があったわ…(暖かい目線)」というような用法で使います。

私が人から聞いた言葉の中に

「いつでも振り返れば、あの時は若かったと思う。だからもう若くないと言って何かを諦めてしまうのはもったいない」

というものがあり、大変気に入っています。
30代も、40代から見れば「まだまだ若い」ですし、40代も50代から見れば若い。60代だって80代からみたら若者かもしれません。人生は先があるので、過去や今に捕らわれて「もう若くない」と悲嘆にくれるのはもったいないなと思っています。
私が女性なので「おばちゃん」問題をメインに取り扱いましたが、この辺は男性の「オッサン」問題もあまり変わりが無いと思っています。

私はいま「何歳だから」に捕らわれず、自分の体型や顔を見て「似合っていればOK」と判断しています。できる限り、好きな服を着て好きな髪型をして「あの時やっておけばよかった」と思わないようにしていきたいと思います。
というわけで、私が「おばちゃん」を自称するのはもうちょっと先にしようと思っています。
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