ハート♥剛毛系

心が剛毛な心臓モサモサ系の人の散文。主に「自分のこと」を書くのがテーマです。

期待の値が高いとキレやすい

私の現在のパートナーは出会った当初、キレやすい人だった。
知り合ったときは仕事上の付き合いだったのだが、普段はおだやかなのに何かの弾みでキレてしまう。もちろん最初はビックリした。
正直「このタイプは奥さん大変だろうな」と思った。
彼がバツイチになったのには、それなりの理由がある。と思う。

数年後、そう思った相手と付き合うことになったわけだが、やはり彼がキレる場面はあった。

私はキレられるとシャットアウトした。電話でキレられた場合は、相手がキレ始めて最初のセリフを言い終わる前に電話をブッチ切り。以後電源を切り「キレた人とは話をしない」という態度を貫いた。

キレるのは正直言って甘えだと思っている。そうやっても許してもらえる。という前提において彼はキレていた。仕事のときは、なるべくスムーズに物事が進むようになだめすかし、なんとかうまくやろうとこちらも努力した。しかし、個人的な付き合いになってからは、こちらが離婚後で疲弊していたのもあり(元夫も突然不機嫌になったりするタイプだったので)、正直男性の感情的な甘えを許せるだけの余裕がなかった。
彼がキレてからこちらの感情の氷点下への墜落、そして私が容赦なく電話を切るまでのジャッジは2秒くらいだった。人生で1、2を争う冷酷無比っぷりであった。

1、2時間後くらいに電源を入れると弱り切った彼からの留守電とメールがたっぷり残っていた。
最終的には「キレてごめんなさい。連絡を下さい」となっていたので返事をした。
これは何回か繰り返した。

そしてなぜ彼がキレるのか、ということを観察した結果。彼は自分のことを「人に意見を譲る、自己主張しないタイプ」だと思っているところが原因だと思うに至った。
彼は自分と違う意見が出たときに、まず相手に合わせてしまう。そしてやり過ごしてしまう。そのまま事態は進むので、彼はずっと我慢し続けることになる。
彼の中で、その事実は膨らみ続けるが、それを表明しないまま「ボクはイイ人だから我慢している」という認識のまま進む。当然、本音は表明されないのでこちらは気が付かない。
そして、最終的になにかちょっとしたことがきっかけで「こっちはこんなに我慢して譲り続けているのに、どうしてそんなにおまえは気を遣ってくれないんだ!」と爆発するのだ。

「アホか、こっちはエスパーじゃねーんだから言わなきゃわかんねえよ」
キレられた私の答えはこれである。

私は基本的に「我慢して、その後爆発するようにキレたり」しない。
最初の段階で自己主張する。
何かおかしいと思ったらその時点ではっきり言う。
問題はあまり先送りにせず、解決しながら進めると「私ばっかり我慢している!」と苛立ちを溜めることが無くなる。私は問題を保留にしている時点でそれを自分の過失だと考えている。
彼はそれを「ワガママ」「自己主張が強いタイプ」と認識していた。
「君がワガママだからボクは譲っているんだ」と思っていた。

とにかく私は、徹底して「キレる前に我慢するな」と訴え続けた。
少なくとも私と付き合っていくならまず「意見を譲ってあげる自分はイイ人」という自己認識から直してほしい。こちらは言われなければ絶対わからない。ちゃんと話し合わずに最終的にキレてしまってはそれまでした我慢も心遣いも全て台無しになるだけ。とにかく我慢するな。我慢している、という認識を持ったらその時点で口に出せ。と言い続けた。

彼は自分がキレるまでの思考の仕組みについて考え始め、なるほど…とムカついてキレそうになってから「どこで自分が我慢していたのか」「何を納得していなかったのか」を認識するようになった。そして徐々に「ここはこうして欲しい」「ここはこういうほうがいい」と表明するようになった。


そして最近、共通の仕事以外のコミュニティの中で「彼は苛立ちを覚えるが、私は全然気にならないこと」の差や、コミュニケーションの差について話をするようになった。
そこで私が彼に言ったのは「自分ができることが必ずしも相手に出来るわけではない」ということだった。

簡単に例えを言うと、彼は待ち合わせの10分前に必ず現場につくタイプで、メールは即座に返すタイプ。なので、遅刻する相手に苛立ち、メールを中々返さない相手に苛立つ。
(ちなみに仕事でルーズなのはもちろんアウトである)

私は自分も遅刻することもあるし、うっかりメールの返信を忘れることもあるので他人のルーズさにも甘い。そして相手が自分よりもルーズだったとしても、その人と付き合って行きたい場合は「そういうタイプ」だと思ってそういう対応をする。飲み会のお知らせ同報メールには返信してこないタイプだったらLINEで確認するとか、そういう手間をかける。それを別に厭わない。それが嫌なら付き合わなければいい。と思っている。

そういう私の考え方と行動を見て彼は
「許容量がデカイというより、そもそも相手にあんまり期待してないんだね」と言った。

彼は「自分がここまでしているのだから、同じことを相手もするべきだ。返すべきだ」と思っていた。つまり、相手の能力を高く見積もって相手の行動に期待している。その期待が裏切られるから怒り始めてしまうのだ。
しかし、相手は必ずしも同じ価値観を持ってるとは限らない。物事の優先順位も違う。それは育った環境やしている仕事、色々なものに影響されている。
相手の性格やバックボーンまで考えて「この人はこういうところがあるけど、こういうところがいいからこう付き合おう」と考えれば、自分の価値観と違うからと苛立ったりすることは少なくなるということに気が付いたという。

相手がパートナーであれ、友達であれ何かを我慢して「どうしてあいつは○○しないんだ!」とキレた時点で、その前に何かできたのではないか。と考えるようになってくれた。


そして彼は「苛立つ前に建設的な意見を言う」という行動に変わってきた。

私たち2人の間でお互いの予定を「言った、言ってない」で喧嘩になることが多いとなればオンライン上でカレンダーを共用して書き込んでおくルールを作った(つまりそこに書き漏れていたら相手の過失になる)。
忘れそうな頼み事がある場合はメールを使いメモとして残す。伝わりにくいメールでのやりとりで齟齬が出たらすぐに会話に切り替える、など「キレない」「喧嘩をしない」ためのルールを作るようになった。

相手は別の人間で伝えなければわからない。言わなくても「自分と同じように考えて、同じように行動してくれる」という期待を無くす。

もちろんそれでも喧嘩をすることはある。その場合は後から原因を説明して、お互い次に繋げる。お互い何がイヤだったのか、どこですれ違ったのか必ず話し合い、その日のうちに解決するようにしている。

そして気が付いたら、彼は滅多にキレなくなっていた。わずか数年の間に。
仕事でイライラしても「あ…相手に過大な期待をしちゃってるな。見極めないと」というような考え方をするようになった。
イライラしている自分を正当化せずに客観視するようになってくれたのだ。


ちなみにこの相手に対する期待する値を下げすぎてもいけない。
私は元々「気が回る系ではない、ちょっと鈍いくらいの男子」を好むので「気が利く」とか「察する」とかをはなから期待していない。しかし「相手はこういう人だから受け入れよう」「自分が納得しているから大丈夫」と「自己処理」をやり過ぎると「川の水を飲んでいるのに幸せ」みたいなことになってしまう。

川の水を飲んでいた女と呼ばれ - ハート♥剛毛系

だから私が彼がキレたときに容赦なく電話を切れたのは、おそらく「期待していた」からなのだった。それをしても、彼が私に対して頑張って向かい合ってくれるであろう。ということを。
そして彼はその期待に応えてくれたので、私は彼を信頼することができた。


相手に対しては期待しすぎてもいけないし、期待しなさすぎてもいけない。
常に関係にしこりを残さず末永く信頼し合い付き合っていく為に、お互いの期待する値のバランスをうまく取っていくように心がけている。



ちなみに私がパートナーにキレないか、というとそういうことは全然ない。
聖人君子ではないし、残念ながら女性的なホルモンバランスによる情緒不安定さを発揮することもあった。

若かりし頃はキレたり、さめざめと泣いたりしてから「あれ? なんでこんなことで感情的になってるんだろう」となり、後から「ごめん…ちょっと今日そういう日だったみたい…」と謝っていたりしたのだが、さすがに20年以上そういう周期があると経験値が積み上がり、爆発する前に「あ、今はそういう時期、そういう時期」とセーブはできるようになった。もしくはあらかじめ「今、イライラ期かも」と相手に先に申告したりもしている。しかしそれでもムキーとキレてしまうことは無くせていない。
なのでキレた瞬間に「あっっ! やっちゃった」と、その次の瞬間に謝る「キレながら謝る人」となり、キレと客観的な説明が同時進行するビリー・ミリガン状態に…。
相当おかしなことになるのだが、彼はそれなりにこちらの努力を汲んでくれるのでなんとかなったりする。

…その後、出産後のせいか、それとも加齢かこんなこともだいぶ減った。それとも彼がキレることがなくなってストレスが減ったせいかのか。でもホルモン…は恐ろしい。また更年期になったら復活するかもしれないけど。

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というブログを書いてパートナーチェック待ちで保留にしてたらこの記事が話題になっていた。

「察してほしい」気持ちをなくせば夫婦喧嘩は8割減る - はなこのブログ。

これはわりと似た話で逆パターンなのではないかなと思った。
どちらの立ち位置にしろキレたり爆発する前にできること、あるんじゃないかなということで。

「ネットの釣りとデマのルールブック」Hagex先生の本。

プロのウォチャーを目指していたHagex氏の単著が発売されました。
2ch発言小町はてな、ヤフトピ ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い」です。

なぜか遠い宇宙のゲスパー連合から「ハゲ本のレビュー楽しみにしてます」という電波を受け取ったので、ここでレビューを書かせて頂きます。

先日トピシュさんがHagex氏と対面したときの話をブログに書いていました。

角川本社ビルでHagexさんのインタビューを受けてきました - 斗比主閲子の姑日記

そこで2年前のHagexギャル特集のリンクを貼っていた為、私がHagexギャルであることが最近仕事関係の人にバレたようです。いや、別にいいんですけれど…。
にしても他2名のHagexギャルの方はあの後ブレイクしたにも関わらず、私だけ(あの時すでに単著が4冊目だったにも関わらず)鳴かず飛ばずです。私も売れたいです。
あげくハゲ先生ご自身も単著を出され、売れ行き好調ということで、益々置いてけぼり感満載です。もう一度言います。私も売れたいです。

ちなみにトピシュさんは2008年からのハゲブログ愛読者だということですが、私はわりと最近の2011年です。きっかけは犬山紙子さんのTwitterで言及されていたのと、私の別の友達がリンクを貼っており「このブログ、よく見かけるなあ…でも何が書いてあるのかわからない…」と思いながらも読んでいるうちに、気が付いたら2011年から読み始めて2005年くらいまで読んでいた。という恐ろしい流れです。ハゲブログにはまるには「我が身に不幸がなければならぬ」と言われておりますが、私は2009年に離婚をし、毎晩「何が悪かったのか」と反省会を繰り返していたので読みはまってしまいました。
そしてハゲブログのログを読破したころには「私の結婚も離婚もおままごとだったわ! 世の中ってもっと大変!」と解脱したのです。ありがとう、Hagex-day info!

では本題です。タイトルが長いので「釣り本」または「ハゲ本」と呼んでいます。
すでにいくつかレビューも読みました。

私がHagex脳になるまで - 今日一番おいしかったもの

話題のhagex本「ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い」を読んだ感想 - 感謝のプログラミング 10000時間

【読書感想】ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い - 琥珀色の戯言

意外とみなさん、本の内容に驚きつつ、すんなり受け入れられているような印象を受けました。
Hagex脳が進んでいらっしゃるのかもしれません。

私が読み終えたときの感想に比較的近いのはこちらですが。

http://oreno-memo.hatenablog.com/entry/2014/04/12/132516

私はこれを読み終わったとき思ったのは
「これは気の狂った人が書いた本じゃないだろうか…」ということでした。

鼻行類」とか「コデックス・セラフィニアヌス」とか、妄想で作られた図鑑…みたいなものに近いのではないか、と思いました。

トピシュさん風に言うと「一般向けではありません」というような感じです。
最初、私は「ネット釣り師の本か…ネットの情報に免疫の無い高校生の娘さんや息子さんを持つ親御さんたちに、オススメしたらよいのでないかしら…」などと思って読み始めました。
ところが、この本はそんな「一般的なネットリテラシーを高める本」ではなかったのです…!
(もちろんそういう側面も多いのですが)


「ネット釣り師」というものの存在は、実際にインターネット上に存在はするけれど、実体のないものです。ネットを見ていれば確実にその存在を感じられるにも関わらず、数値化することもできなければ、現実社会でお目にかかることもできません。半分くらい、オカルトに近い存在だと思うのです。現代社会において、民間伝承に残る妖怪のようなものだとさえ思っています。
(実際にはうちの引きこもりの弟が毎日釣り投稿してるんだぜ…とか、実体のある話もあるのかもしれませんが…私の周りにはいません)
その釣り師に対しての攻略方法が書いてあるのです。
鼻行類とかよりは個人の妄想じゃないですし、実際にネットを覗けばたくさんいるなと感じられます。なので書いてあることの大体のことに共感することもできます。しかし「うんうん、わかる」「へえ、そうなんだ」と思うと同時に「何なのこの本…」と思ったので、私はまだそこまでHagex脳が進行していないようです。よかった!

なんかこういう本、昔読んだことあるなあ…と思って思い出したのが「ゲームブック」です。もしくは「テーブルトークRPG」のルールブックです。
テーブルトークRPG」というのは、リアルに面と向かって一定のルールで進める「ごっこ遊び」です。サイコロを振って確率でモンスターへの攻撃が当たったかどうかを判定し、グループでゲームを進めます。

テーブルトークRPG - Wikipedia

私が通っていた首都圏郊外の公立中学にはオタクかヤンキーしかいませんでした。当然私はオタク側のみなさんと仲良しでした。
私自身はオタク的素養はあっても資質はないのですが、なにぶんそんな環境では友達はみなオタクです。隣の席の男子から「キャラクターの絵が描ける」という点で私は「テーブルトークRPG」の仲間に加えられました。そこでみんなの架空のキャラクターのイラストを描き(今でいうとアバターですね)、12面ダイスを振っていました。

そのルールブックには世界観の説明や架空のモンスターの分類や攻略法など、みんなが同じ世界観の中でゲームができるように細かな設定が書かれていました。

ハゲ先生の本を読んでいて、それを思い出したのです。

印象深いのは第4章の「レスポンスで見る釣り師のパターン」です。

ファーストポスト後の釣り師の反応は、次のように分けることができる。
(1)攻撃型
(2)先行逃げ切り型
(3)自己都合型
(4)読者完全無視型
(5)忘れた頃にやってくる型
(6)池上彰
(7)後付け型

いや…ハゲブログを毎日読んでいれば、確かに大体何のことを言っているのかはわかります。わかりますが、ポイントはこの後に続くそれぞれの説明です。

(1)攻撃型
 読者対応が乱暴・丁寧に関わらず、非常に攻撃的な返信を行う対応である。弱い犬ほどよく吠えると同じで、メンタル的にも弱いため、攻撃的な返信をしてしまう。読者が煽ると非常にのってきやすい性質を持っているが、煽りすぎると、暴走してわけがわからなくなるので気をつけよう。基本的には返信するタイプなので、攻撃要素を差し引いて、気になる情報だけ入手しよう。
 余談になるが、ネット喧嘩初心者は、このタイプを相手にすれば自分のスキルアップを行うと上手くいく。

途中までは「ふむふむ」と思って読むのですが、最終的に対処方法になってきます。
…あれ? みんな、そんなに釣り師と絡む生活しているの? 2ちゃんねる発言小町や増田に書き込みってしてるの???? というか、する前提でこの本って書かれてるの? と困惑しました。
「ネット喧嘩初心者」って…ネットで喧嘩しないから! ほとんどの人は、ネットで喧嘩しないんじゃないの?! と思いました(してるの??)。

あれ? 今気がついたけど最後の一文て「このタイプを相手にすれば自分のスキルアップを行う〝のに〟上手くいく(または〝利用できる〟)。」ではないかしら…? というかこの本は結構誤字があります…。でも自分の本も何度見ても何度見ても誤字が出るので、何とも言えません…。

ちなみにわたしはネットで喧嘩はしません。基本的にネットで喧嘩は無駄だと思っているし、自分に宛てられたTwitterのネガティブなリプライやブログについたコメントだったとしても、オンライン上でよく知らない相手と言い合いをすることに意義を見いだせないからです。
だって、別に友達じゃないじゃないですか。友達だったら話し合いますけど、相手のバックボーンもわからないし、相手がどこまで誤読や誤解、思い込みがあるかもわからないので、喧嘩しても無駄だと思っています。
自分のところに火の粉が降りかかったらそれなりに対処はしますが、極力関わり合いたくないと思っているのに、どれくらいの人がわざわざ釣り師に喧嘩を売りに行くのでしょうか…?

私は「まとめ」は見ても、実際の掲示板にはほぼアクセスしませんし、この本で書かれているような大手掲示板で活躍するような「釣り師と戦う」場面は殆どありません。
ネット上において、は実際の「プレイヤー」はごく少数で、「観戦者(野次馬)」が大多数いる。と思っています。私は「観戦者」でしかないし、Hagexさんのような優秀なキュレイターがセレクトしてくれる情報しか受け取っていません。

なので、この本に書かれているとても実践的な「釣り師の見抜き方」「釣り師の釣り方」を見て「プレイヤー用のルールブックみたいだな」と思ったのです。

ただ、観戦者もルールを知らなければゲーム内容がわかりません。そう言った意味ではこの本を読めばプレイヤーにならずとも「正しい観戦者」になれるのでしょう。

しかし、世の中の「インターネット利用者」の殆どが「楽天ぐるなびGoogleマップを見る」くらいではないかと思われます。彼らにコレを「読んでネットリテラシーのお勉強をしてね」と読ませても、おそらく私と同じように異世界のルールブックを読まされてる気分になるのではないでしょうか。
ネット生活が長くても掲示板を見ない人は多いでしょうし(私も実際2011年まで殆ど見ていませんでした)、2ちゃんねるのまとめもごくごく僅かにSNS話題になったものだけ見る、みたいな人が大多数です。「まとめなら見る」>「よく掲示板を見ている」>「掲示板に書き込んだことがある」>「掲示板で釣り師につっこんだことがある」>「釣りをしたことがある」という順番にものすごく人数が減っていくと思うので、かなりニッチな世界だな…と思いました。

第1章 釣り師の世界
第2章 釣りを「マクロ視点」からみてみよう
第3章 「ミクロ視点」から釣りを見抜く重要性
第4章 釣り師はコミュニケーションを欲している
第5章 ネットスキルを駆使して釣りを見抜く
第6章 「社会の釣り」であるネットのデマを見破る
第7章 現役釣り師から聞く、釣り師の世界

章のタイトルだけ見て説明しますと、第一章は「釣りとはなんぞや」ということが書いてあるので「こんな世界があるのだよ」という意味でやや一般的です。
しかし、第2章から5章までは「釣り師を見抜いて戦う」為の細かいノウハウです。章が進むごとに方法の難易度があがります。っていうか、そこまでやるの…となってきて、異世界の戦いを見せられている気分になるのです。5章の具体的な方法については「そんなことまでするの?」という気持ちになりました。いや、確か写真のExifデータの取扱とか、大事な知識なんですが。
自分もブログに書きましたし。
初心者向け! ブログに載せるデジカメ写真のExif情報について - ハート♥剛毛系
しかし基本的には自分がプレイヤーになる、という意識がないので5章の詳細な方法を見てクラクラしました。


一般的なネットリテラシーの啓蒙として重要なのは第6章の〝「社会の釣り」であるネットのデマを見破る〟の章です。ここに来てやっと大事なことを読んでるな、という「書籍を読んでる安心感」が得られます。ネット経験の浅い友達にリテラシーを学ばせようと読ませるなら6章だけでもいいかもしれないです。しかし、その章の締めの文章に…

デマ退治は人の役に立つ
 釣り師のエピソードを見破っても、それが本当に「釣り」なのかは私たちにはわからないし、人の役に立つかどうかわからない。しかしデマの判定は違う。
 もし釣り判定師を目指すのであれば、最初はデマを見つけ、検証する訓練を行えば一気にスキルアップができる。なぜなら釣りと違い、デマは嘘か本当かはっきりわかるためだ。それだけでなく、デマを見破ることで、間違った情報に流されるユーザーを助け、社会的にも良い行為と言えるだろう。

とあります。
やばい、これを中二真っ盛りの男子にうっかり「2ちゃんは釣り師がいるから気をつけるのよ」とネットリテラシーを学ばせる為に読ませてしまったら「かーちゃん! 俺はネット釣り判定師になるよ!」とはっちゃけてしまいそうです。「いいからネット見てないで勉強しろ!」と母親の怒号が飛びそう…というところまで想像してしまいました。「こういうことがあるから気をつけましょう」で終わらないところが、この本全体を包む妙なテンションなのだと思います。

ちなみに私はその昔知人から「チェーンメールが来たんだけど、7人に送ると幸せになるとか…こんなの嘘だよね」と送られてきたメールをもらい、調べたら「肛門拡張パロディ画像」だったことがありました。
mixiで「これは神の手じゃないし合成写真。しかも元は肛門拡張パロディ画像。つまり『こんなのうっかり信じるやつはケツの穴でも崇めてろ』ってことだよね、タチ悪い」と書いたら「信じてちゃってた…」「友達に送っちゃった…」と数人にヒットしてしまい、モヤモヤしました。
ちなみに当時、元ネタをうっかり調べるとグロ画像を見るハメになりました。「うっかり信じてケツの穴を崇める」か「疑って調べてグロ画像見せられるか」の二択を迫られるこのチェーンメールを考えたヤツの悪意は尋常じゃない…と思いました。
ちなみに今調べてみたら、未だに「神の手の雲」ってまだ廻ってるらしい。

チェーンメール「神の手の雲」は合成だった!?

社会的な啓蒙にはなると思いますが私自身は「オラ、釣り判定師になる!」という気運は高まりませんでした…。しかし実際には「あれ? なんかこの話おかしいぞ」と言う話が回ってきたときに、思ったときに検索してみると、何人か必ず検証してくれている人がいます(このリンクもそう)。彼らは「釣り判定師」なのでしょう。検証記事を読んで「やっぱりそうだったか!」と安心することができます。なので、社会正義のために検証記事を書いてくれている方には感謝の念は忘れないようにしたいと思います。しかし、それを「釣り判定師」と呼び、目指すとなるとニッチな世界の話になるような気がします…。

そして第7章のトピシュさんとの対談。
この章で、本当はこの本はHagex氏の妄想で書かれた本なのでは…という疑惑がやっと解消されます。よかった、釣り師はいたんだ…! みたいな気持ちになります。
ネットで同じような活動をしていると思考回路が似るのでしょうか、または元々似た素質があるから似たような行動を取るのでしょうか。ネットって、こういう人達が出会えるという意味ではいいものだな…と思いました。ネットのデマとか釣り師とか暗部を読んできた最後にこれがあり、救われました。


他にも思うところ、書きたいことはあるのですが、大概長すぎるレビューになってきたのでそろそろ締めます。



2013年、これは頭の振り切れた人が書いた本だ。と思ったのはパラダイス山元さんが書いた「飛行機の乗り方」です。

パラダイス山元の飛行機の乗り方

パラダイス山元の飛行機の乗り方

こちら、飛行機の乗り方というくらいですから、マイルの使い方とかそういうものかなと、かわいらしいカバーを開くと中にはとんでも無い世界が繰り広げられているのです…。
「1日の最多搭乗回数11回! 1年間の最多搭乗回数1022回! 」え…何をどうやったらそういうことに…? と思うのですが、パラダイス山元さんは「乗り鉄」ならぬ「乗り空」。飛行機に乗ることが目的の人なのです。普通の人にはなんの参考にもなりませんが「こんな世界があるんだ…」ということを知ることができるスバラシイ本です。

それと同じ意味で2014年、頭の振り切れてる人が書いた本はこのHagex先生の本にほぼ決まりだなと思いました。

めんどくさがりの人はここのアフリエイトを押してもよいですが、熱心なハゲ脳の方はハゲ先生のブログのアフリエイトからお買い求め下さい。

Hagex本は意外と好調でハゲ子感激です - Hagex-day info

ちなみにハゲ先生は会社を辞められて、単著も出されとうとうプロのウォッチャーになられるのね! と思ったのですが再就職なさったそうで、サラリーマンとウォッチャーの二足のわらじをはき続けるようですね。
あ、私もインタビュー時に実際のハゲ先生に会ったことがありますが、ハゲ先生はイケメンです。

もはや男は添え物? 「アナと雪の女王」見てきた

アナと雪の女王」見てきた。
『アナと雪の女王』特別映像:「Let It Go」/イディナ・メンゼル - YouTube

パートナーと行ったのだけど「なんでこれが高評価されてるの? ゴールデングローブ賞とかアカデミー賞とか貰ってるのかよくわからない」と言われた。
SNS見てても、軒並み40代以上の男性が「いや、まあ、よく出来てるけどピンと来なかった」みたいな反応なので、ある層にはよくわからない映画だろうな。と思った。

私は「女の子の自己実現の表現」として、おとぎ話をモチーフにした主人公が女の子のものは興味深く見る。

この映画は「従来のディズニープリンセスもの」だと思って見に行くと「え?!」ってなると思う。
あの大ヒット主題歌「Let It Go」の歌詞をよくよく読めば、どんな映画かわかるというものである。「私は自由よ」「理想の娘はもういない」ですよ。
最低限「ディズニー初のダブルヒロイン物」という前提を理解した上で見に行くくらいの前知識は必要だと思う。雪の女王である姉のエルサと、妹のアナの物語ですよ。


私が映画のレビュー記事でいいなと思ったのがこちら。
【映画】『アナと雪の女王/Frozen』レビュー ※後半にネタバレあり | BEAGLE the movie


というわけで、ここからネタバレの私の感想です。

ああ…ディズニープリンセスもここに極まれり……と思ったのが私の見終わったときの感想。

ここ最近のディズニー系…というか「おとぎ話系」女の子主人公の話はとにかく「男に頼り切らない、自立した女」として描かれている。ドリームワークスの「シュレック」のヒロインも自立した女だったのでここ最近ていうか、21世紀的なのかもしれないけど(あれはモンスターは王子様になれるのかみたいな話だったのでアングルが多少違うのだが)。

最近「ああ、すごく今時っぽいなあ」と感じたのはプリンセス物ではないけどティム・バートンの「アリス・イン・ワンダーランド」だった。この辺の話はだいたい、女の子の自立と自己実現がテーマだと思うのだけど、この映画でもアリスがとても強いのだ。最終的にアリスが先陣切って鎧に身を包み、剣を持って戦う。アリスは「大人にも王子様に助けてもらわない、仲間と自分で戦うヒロイン」なのだった。

アナと雪の女王」の1つ前のプリンセス物「塔の上のラプンツェル」を見たときも「王子様ポジションの地位の低さよ…」と思った。なんと言っても「王子様」が王子じゃない。盗賊ですよ。原作は王子様なのに。

ちなみに原作の「ラプンツェル」は…かなりヒドい話である。魔女に塔の上に閉じ込められて、超箱入りとして育てられたラプンツェルは、やってきた王子様に中に入れてと長い髪の毛を降ろして招き入れてしまう。そこで王子様ってば…何も知らない超箱入りの娘をやりまくるんですよ!
で、妊娠させちゃうの。大事に育ててた魔女は怒り狂って王子の目を潰し、ラプンツェルを塔から追い出す。一応、目が見えなくなってさまよった王子は、双子を産んでいたラプンツェルの元にたどり着いて幸せに暮らすんだけど、オイオイ! 王子! おまえなにやってんの! とつっこまずにはいられない。

…と原作につっこんでしまったが、「塔の上のラプンツェル」はラプンツェルがとても活動的で、自分で考えて自分で行動するので「王子様に助けてもらうお姫様」のフォーマットはもう古いんだなあ。と思った。それでも一応、最後に自分の命を犠牲にして呪いを解いてくれるのは王子様ポジションであるフリンなので、理解はしやすい。

で…「アナと雪の女王」なんですが、おお…とうとうディズニーは…世界中のガールズ達に…「女の子の自己実現に、男はいらない!」と宣言したかのようだ…! と思った。

この映画でのクライマックスは2ヵ所。
エルサが雪の魔法を使えることを両親に隠すように言われ、部屋に閉じこもり、妹を拒絶していたのに戴冠式で魔法がバレたのをきっかけに「抑制の効いた理想の娘」から開放され、雪山で1人「Let It Go」を歌うシーン。
ここがわりと早めに出てきちゃうので、この映画は開き直っちゃったお姉さんと妹がどういう結末を迎えるのか、が残りの話の主軸になる。

で、2回目のクライマックスシーンは姉の雪の呪いを受けてしまったアナ。「真実の愛だけが呪いを解く」と、混乱した姉が起こす吹雪の中、自分を想ってくれるクリストフに会いに行くためにさまよう。
そして…クリストフが目の前に…! なのに、姉が殺されそうになっているのを見て自分の身を挺して姉を助ける。そしてアナは凍り付き…しかし姉を想う「真実の愛」がアナを救った…。というシーン。

うわーーーーーー。「王子様のキス」では、呪いを解かないんだーー!
ヒロインが自分で呪いといちゃったーー!!!
エルサはここまでされて、やっと妹を拒絶するのをやめて、妹の愛を信じることができて魔法の力を制御できるようになる……。
2人とも「王子様の愛」は、いらないのだった。

これ、デートで見に来たカップルはどういう気持ちになるの…?
若いカップルなんて「王子様願望とお姫様願望の夢見る夢子」状態で見に来たら、この映画見て、どうなの? あんなにアナのために頑張ったクリストフの添え物感たるや……!
と、ついついアラフォーの私は周りのヤングカップルの様子をうかがってしまった…(モヤっとした顔してる人が多かったような…気のせいかもだけど)。
帰ってからYahoo!のレビューを見てみたらやっぱり「わけわかんない」「つまんない」という人と「素晴らしい!」「感動した!」という意見にパッカリ別れていてやっぱりな…と思いました。


私が二十歳前後で見たらエルサに感情移入しまくって大変だっただろうな…と思った。
なにぶんハートが剛毛過ぎて「ありのままの私」のままでいると摩擦が多かった私は「理想の娘」になりたくて、抑圧していた(充分はみ出てたんですけど)。
エルサの設定のスゴイところは、そもそもの「雪の魔法」に理由も因果関係もないところだ。「生まれつき」以外の説明がない。私は未だに「なぜこんなハートが剛毛な人に…」とうじうじ悩むことがあるのだけど「そうすか…生まれつきっすか…」みたいな気持ちにさせられた。
「ありのままの自分でいい!」ってなったら地元の人、親戚一同が凍り付くっていうのも残酷な話であるが「ありのままの自分でいながら、なおかつそれを受け入れてくれる人を信頼すると、力が制御できる」というはわりと象徴的かつ、真実に近いのかもしれないなあ…と今の私は思う。


でも日本の女子達は「専業主婦願望」が再び高まってるというし、まだまだ「白馬の王子様に守られたい」と思ってる人が多そうだ。
私は昔から「お姫様願望」がないのでこの「女の子よ! 自立せよ!」的な流れに心底共感できるんだけど、そうでないタイプもいるだろうなと思う。
しかし「お姫様」になりたい女子は増えても「王子様」になってくれる男子はどんどん減る一方だと思うので、姫と王子の供給バランスは今後も悪くなっていくと思う。それを考えたら、年若い女子達がアナやエルサに影響されるといいなあと思う。
オールドタイプの「お姫様願望」ってある意味チート技みたいなもので、本人が学歴もなく、稼ぐ力も社会的地位もなくても「いい男さえ捕まえれば全部チャラ」になるみたいなずるさがある。
昔の女性はそれしか「一抜けできる方法」が無かったわけだから、そういう話が「女の子の理想」だったのだろうけど、今は「自分でなんとかする」という選択肢が増えた。
おとぎ話の効力っていうのは「理想のモデルケース」を見るところもあるわけだから、私にもしも娘がいるなら「アナと雪の女王」を見せたいなあと思った。


にしても、今後ディズニープリンセスはどういう方向に向かうんだろう。
「自立した女の子」のモデルケースを見せてくれるのはとてもいいのだけど、ここまで男の子が「添え物」になっちゃって次はどうなるの?
そこでアンジェリーナ・ジョリー主演の「眠れる森の美女」の魔女の話「マレフィセント」の予告が気になる。
「マレフィセント」予告編 - YouTube
なんだか「男に翻弄された女の悲しみ」みたいな話なのかしら……と予告編を見る限り思うのですが。しかしここでも男性キャラは全然存在感ない…。気になるので公開されたら見に行こう。

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結婚して改姓すること

先日、久しぶりに会った知人男性が結婚していた。
結婚式はまだ先で、とりあえず婚姻届を出したということだった。
共働きだが、改姓は女性がしたらしい。しかし「旧姓への思い入れ」があったらしく、婚姻届を出した後酔って帰宅した妻に泣かれてしまったという。夫である彼は「自分が改姓してもよかったし、名前はどっちでもよかったのだけど」と言っていたが、実際今の日本だと確固たる理由もなしに男性に改姓してもらうのはまだまだハードルが高いよね…と彼の会ったことは無い新妻に思いをはせた。

それを別の独身男性に言うと「俺なら改姓に抵抗はないなあ。泣くほどのこと? 別に自分がやってもいいし、自分の名前にこだわりはない。ただ、あんまり珍名だったら抵抗あるかも」と言っていた。
だがしかし! 実際には彼はひとり息子なので、そんなこと言い出して、親がすんなり認めると思うのだろうか…。揉めに揉めるに決まってるじゃん…と思ったが黙っていた(ちなみに前回の「女はゴハン作れ圧力」とは別の男性である)。

あー、これは何かに似てるな…。と思った。
空手の試割りだ。
私は空手を始めてかれこれ11年。空手は「メンタルが具現化する」ことが多い。空手の試割りもその1つ。うちの流派だと瓦じゃなくて、杉板を割る。
審査や競技で試割りを見てるとみんなが割るので「ああ、板って割れるんだなあ」と思っていた。たまにもちろん割れない人もいるんだけど、大方の人が割ってるのを見ると「板は素手で割れる」とすり込まれていく。
そして、初めて自分がやるときになって「あれ?! …板だ!!」と気が付いた。
板に手を打ち付けるなんてこと、やったことない。板を目の前にして初めて「板を素手で割る」という行為が現実的に迫ってきて「何これ?!」と気が付いた。
でも、やることになってるので思い切ってやってみた。はじめてのときは1枚だったので割れた(競技や審査だと何枚か重ねて難易度があがる)。
ああ、割れるんだと思ったと同時に想像していたよりも手は痛かった。
「みんながやってることだから、当然だと思ってたけど、やってみるとビックリする」事だった。


改姓したことない人が「改姓に、抵抗ないなあ」って言うのは、試割りを見たことがあって、板を割ったことがない人みたいだな。と思った。
(…例えなのに特殊事例を出してるような気がする)


私は初婚のとき改姓に抵抗は無かった。母も姉も友達もみんなそうしていたし、子供の頃から「結婚したら女の子は名前が変わるからね」と散々すり込まれていた。
改姓に対しては「結婚して名前が変わるの〜ウフフ〜」的なウエディングハイは…無かった。正直めんどくさいけど、まあ、みんなそうしてるし、くらいの感覚だった。


でも実際にやってみると、とにかく名義変更の手続きが大変だった。
私はフリーランスなので取引先が多く、銀行口座の名義を変えることがリスキーなので、仕事の口座を旧姓で残し、別に改姓名義の口座を作り、保険や年金、税金の還付金の振り込みなどに使用していた。クレジットカードは新規に作ったり、期限が切れたものは改姓後の名義になってしまうので、引き落とし口座を改姓後の口座に変えたりした。収入が入金される口座と支払に使う口座が別なのでとにかく不便だった。


あと、改姓したことで「嫁に行った」というイメージで見る人が結構な数いるのだ、ということにも気が付いた。名前を変えると実際の家庭の力関係を見ずに「男の庇護下に入った」という風に見る人が少なからずいる。私はこっちのほうが嫌だった。
ここで「女は男のためにゴハンを作るべき論」とかもよく言われた。
特に親世代の人達は自分達がそうだったから何の抵抗もなく、一緒にいたとしても夕方になると「もう帰りなさい。ゴハン作る時間でしょ」と言うのだった。
「私が作らなくてもいいと思うんだけど」と言うと「向こうは外で働いているんだから、それくらいやってあげなさいよ」と言われる。で、ついついそこで今払ってる家賃と、元夫が家計に入れてる金額を言ってしまうと
「それでどうやって生活してるの?!」と驚かれる。
「だって共働きで生活費折半だもの」と言うと大体黙るか「なんでそんなのと結婚したの」という流れになった。

こういう「男を立てなさい」圧力が「改姓のデメリット」の1つかと言われると名義変更のめんどくささよりは印象論なので立証はできないのだけど、実際、現在は事実婚していて、その辺の思い込みやイメージ、実際に言われる圧力が如実に違うなあと思っているので、少なからず関係はあるだと思う。

三洋電機パナソニックの子会社となり「SANYO」ブランドが「Panasonic」に変わってしまったときに子会社化、という事実よりも「名前が消える」ことの衝撃は大きかった。こういうことからも、名前を残したほうがイニシアチブを取っている、と思われるのはある程度仕方ないとも思っている。

「結婚は子会社化じゃないよ!」ともしも男性が女性側に改姓して、それが「そっちの名前のほうが好みだったから」という極めてカジュアルな理由だったとしても「婿養子に入ったの? 家督を嗣ぐの?」と言われたり、女性側の実家が資産家だと思われたりするケースは避けて通れないと思う。


私は「選択的夫婦別姓制度」もさっさと認められればいいのにと思っている。
実際にそれが制度化されても「共有財産を持たない」予定の自分達がそれを選ぶかどうかはわからないが、求めてる人がいるなら選べるようにすればいいのにと思っている。
私は、離婚を経験して「戸籍」を2回変更したので、あくまでも「戸籍」も書類上のものでしかないのだと感じている。
「家族の一体感が」「子供と親の名前が違うなんて」とか言って反対してる人もいるが、戸籍なんか別に普段見ないで暮らしてるのだから、実際は「言わなければわからない」と思う。「自分の戸籍」を大事にするのはいいと思うけど「選択的夫婦別姓制度」反対派の「他人の家の戸籍が自分達と同じ価値観でないと嫌」というのも、私にはちょっとよくわからない。実際にはローカルルールやいろんな価値観があるわけで、私がただ「戸籍が大事」という価値観の環境ではないだけなのも理解はしている。
「戸籍が大事」という価値観を壊したいわけじゃないし、否定したりもしない。色々なケースに併せて柔軟に認め合えるのが私の理想だ。

私は「チーム名」としての「姓」はあると思っているので、「選択的夫婦別姓」をした人が実際に戸籍が父子別姓か、母子別姓だったとしても、子供と一緒に活動するときは子供の姓に合わせればいいのではないかと思っている(実際には戸籍名とかあんまり関係なくて「○○ちゃんママ」とか「○○ちゃんパパ」とか言われるのだろうし)。
銀行や金融機関の証明、パスポート作りと違って地域社会活動に身分証明は必要なく「事実的に誰が親子であるか」のほうが大事なのだから「家族としての名前」を通名使用すればいいと思っている。
今後、私はできる限り改姓したくないので、もしこのまま事実婚で子ができたとしたらそうしたいと思っている。

それは私が「改姓に伴うデメリット」を避けたいだけで、例えば「家督」が理由で「名前を残すため」に夫婦別姓にして、子が2人以上いて子の姓が別の場合は「チーム名」が2つある家になるし、思想的な主義主張で別姓にしたい人などは「地域社会においてもどちらかの姓に合わせたくない」などのケースはあると思うので「あくまでも自分の場合は」だが。


結婚、離婚で2回改姓してモヤモヤした私は、「もうできる限り改姓したくない」と思っていて、日々色々考えているので「改姓? 別にいいじゃん」という改姓したことのない人に対してモヤモヤっとしてしまった。
「改姓したことない人」は、改姓してみてからじわじわと「改姓したから起こる予想もしてなかったこと」を知ってビックリしたりモヤモヤすることはあると思うし、そこまでイメージしてみるといいと思う。でも、自分もやってみるまでそんなことわからなかったので、しょうがないよな。とも思う。知らないことは、わからない。


ちなみに結婚改姓して「すごく幸せ♥」とか「全然気にならない」「むしろやりたかった!」という人もたくさんいる。私の周りは働く女ばかりなので実感としては「女が改姓するの釈然としない」タイプが多いのだけど、親の世代とかだと「結婚して改姓してないなんて、恥ずかしい」レベルだったのも知っている。改姓が「私、結婚しましたよ!」という女性のステイタス表示だった時代が長かったのも知ってるし、今でもそれが理想の人がいるのもわかる。
でも、そういう人は空手の試割りで言うと「初めてでも何枚でも割れる、試割りが得意な人」みたいなものではないかなと思った。
そういう人は試割り大好きだし、割れない人に対して「えー? なんで割れないのー?」と思ったり、実際言ったりする。でも今時は夫婦の形も変わってきていて、実際に中々杉板が割れない人とか、やってみたら失敗してケガする人もいるし、そもそも試割りしたくない人もいるのだという事もわかってくれると嬉しいなあと思う。


ちなみに私は改姓は嫌だけど、実際の試割りは(決して得意じゃないですが)好きです。失敗して手が腫れたこともあるけど、割れると楽しいです。

女性がゴハンを作らない話をすると嫌がる男性

最近、パートナー氏の仕事が一段落して炊事当番から解放されました。
私はたかだか1週間くらいであっという間に炊事の手順を思い出し、あれやこれや、普段パートナーが作らない、かつ自分が好きな物を作ってそれなりに楽しかったのですが以前の「お金折半で家事全部」がトラウマで、キッチンを早々に明け渡しました。

イヤだ〜! 共働きで生活費折半なのに、家事を全部女がやる生活は、イヤなんだよ〜!(心の叫び)。

以前も書いたのですが、パートナーと共通のコミュニティの中でゴハンを作ってもらう話をするとすごく嫌がる男性がいます。
「え〜〜〜、ゴハン作ってあげないの?」
「わ〜〜聞きたくない。そんな話」
「え〜〜、そんなの自慢にならないよ、やってあげなよ、やろうよ」
我々が共働きなのは知っているのですが、なぜか彼は全然悪意なく、このようなことを言います。ちなみに40代未婚です。
おそらく彼の結婚観は「男が稼いで、女は家を守る」なんだと思います。それに疑いがなく、それが彼の理想なのはいいんですけど、それを押し付けられてもな…と思います。
「料理を作れない」のなら最低限のことくらいはできるようになった方がいい、というのはわかるのですが、できないわけじゃなくて相手に任せてるだけなので、なぜ…?
炊事を代わって、家事全般やっていたので「最近ゴハン作ってて、あっという間に手順とか思い出しちゃったよ…」と今後もこのままだとイヤだなあというニュアンスで話していたら「いいじゃん! 何がイヤなの? それ普通だから」みたいなことを言われました。う〜〜〜ん。
これ、私はそんなに歳も離れてないし、立場も上下がそんなあるような相手じゃないのでまだいいですけど、上司とかで「上から」言われたらすごくイヤだろうなあ。と思いました。「男は家事をしないもの、女は家事をするべき」ってナチュラルに差別だと思うんだけど、差別する人ほど差別してる自覚はないものなんだなあ、と思います。
「俺だったら、稼いでくるから妻にはゴハン作ってもらいたいな」だったら「自分の理想を語っている」だけなので、全然いいと思います。私も自分の理想を語っているだけなので。

ちなみについつい「食事を作ってあげなよ」的な流れで、パートナーのことを「でも彼は女を養いたくない人だからな〜」という話をしたら「そんなこと言っちゃダメだよ」と、その場にいた男性陣から咎められました。私は悪評を言ってるつもりはなかったのですが「男の評価を下げる発言」なんですね…。ちなみに、パートナー曰く「女性に経済力・価値観含めて人生まるごとぶら下がられるのがイヤなだけで「養いたくない」とは微妙に違う」とのことでした。あら?…すみません。

とはいえ「女を守るのが男の仕事だ」「稼げるのが男としての甲斐性だ」とか、「男らしさ」みたいなものに憧れを持ってたり、理想にしてたりする男性を見てて、そういう人はそれをしない男性を下にみたりする傾向があるのではないか? と思いました。

パートナーは「男らしい」とかそういうことは基本的に気にしてないようです。たとえそういう男性に下に見られたとしても「はー。そんなのどうでもいー(はなほじ)」みたいな…?
「ボクなんか男らしくないし…(うじうじ)」みたいなところがまったくなく、我が道を行くタイプです。私から見ると「男らしさ」を誇示するタイプよりも、実はある意味「強い(またはたくましい)」のでは…と思ったりします。
「メシ? 食いたきゃ自分で作るよ」「養う? お金持ってれば払うけど払えないから自分で頑張って」こういう人です。ビックリするほどそれに屈託がないです。「男だから○○しろ」を拒否する代わりに「女だから○○しろ」も絶対に押し付けません。私のようなタイプにはとても楽です。
(…しかしそれが原因で多くの女性に受け入れられないタイプなのもわかります)

ちなみに私とパートナーはお互いがこんなステレオタイプに嵌まれない感じなので「私がこうだから女はこう」とか「俺がこうだから男はこう」みたいな「主語を大きく」したり「偏狭な一般化」はできないタイプです。そしてそういうジェンダー的な視点に常に「それは女(男)がそうなんじゃなくておまえがそうなんだよ!」とツッこみを入れています。
今後は2人で孤立しない程度に社会にコミットしながら「男だから、女だから○○」に対してささやかに抵抗していきたいなと思っています。

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「女のカラダ、悩みの9割は眉唾」を読んだ

女のカラダ、悩みの9割は眉唾 (講談社+α新書)

女のカラダ、悩みの9割は眉唾 (講談社+α新書)

詳しいブックレビューはすでにあるのでこちらで。
宋美玄 「女のカラダ、悩みの9割は眉唾」 - うさうさメモ

これを読んでてつくづく自分が「ああ、ハートが剛毛…」と再確認したのでその話を書いてみます。

まず私は女性誌を読みません。読んでても右から左へとツツーと情報が抜けてしまうのです。そして化粧品はドラッグストアでしか買わず「女磨き」みたいなことを頑張ったりもしません。
その全ての理由が「めんどくさい」からです。
だからと言って、お洒落しないわけでもすっぴんなわけでもない。美容院も行きますし(あまり行かないけど)、必要なときはエステも行きます。ダイエットもします。パックもたまにします。
んが、デパートの化粧品売り場は友達の誕生日プレゼントくらいでしか買い物しません…。
自分の基準が「困ってなきゃいい」なので、世の中的に忍び寄る「30過ぎたらちゃんとした物を使わないと」みたいな価値観に対して一瞬は検討するのですが結局「しらねえよ」とばっさり切り捨ててしまう性格なのです…。他の人がやってるのは全然いいのです。きちんとした服を着てばっちりキメてる人をみると「おお、スバラシイ」と思うのですが、いかんせん自分にフィードバックできません。
自分のハートが剛毛だな〜と思うのは、何か新しい情報や価値観に触れたときにそれなりに「おお?!」と動揺したり検討したりはするものの、最終的に「自分は自分」「自分に合うものしかいらない」という自我が勝つことです。
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「女のカラダ、悩みの9割は眉唾」の中に「敏感肌」に触れてる部分があるのですが、自称「敏感肌」の女性が多いとのことでした。
「女の四大不健康自慢」が「敏感肌」「胃下垂」「低血圧」「低体温」らしいです。

敏感と言ったら、ちょっといいイメージがあります。繊細、ナイーブ、デリケート……女の人はこの手の言葉が大好きです。(25P)

とのこと。私にも合わない化粧品はあります。それでも自分が「敏感肌」だとは思わないのは、合わなかった化粧品をやめて別のにするとすぐ治る程度のものだからです。胃下垂でも低体温でもないですが、低血圧ではあります。しかし、それで困った事はありません。献血に行って「あら、血圧が低いわね」と言われても「あ、いつもの事ですから(どうぞ血を採って下さい)」と言ってすみます。
ちなみに私は献血が大好きです。体調によっては採れないので、採れないととにかく悔しく、採れるとすごくテンションがアガります。
これもすべて…私の価値観が「頑丈なカラダこそスバラシイ」というものだから…です。
「頑丈」であることは、とにかく「楽」なのです。ああもう、楽して生きたい。とにかく、楽がいい。「楽」こそ全て! だけど私は「何もしなくてもキレイ」では全然ないので、みすぼらしくならないように最低限のことはやっている、という感じです。
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30代前半までは肌荒れに悩んでいました。基本的にはドラッグストアのニキビ用化粧水などで対処していましたが、最終的に皮膚科に行きました。私は「漢方」とか「ヨガ」とか「アロマ」とかを試す前に、病院に行くタイプです。私は扁桃腺や耳鼻が弱く、それで体調を崩すのですが、それらは病院に行かないと改善しない事が多いのです。なのでわりと病院慣れしており、トラブルがあったらさくっと病院に行く習慣があります。

とはいえ、もちろん都市伝説的な、根拠の無い情報にもそれなりに乗せられます。
安野モヨコさんのマンガ「働きマン」の中で主人公が納豆巻きを食べてる、という設定があります。その理由が「大豆に含まれるイソフラボンが女性ホルモンの代わりになる」みたいな話だったと思うんですが、それで肌荒れが治るなら豆乳とか飲んでみるかな〜と一時期豆乳を飲んでみました。しかし、ある日「ぐはーーーマメくせえ! もう飲めない!」となってしまいました。以後、豆乳を飲んでません…。うーん、毎日豆乳を飲むのは向いてなかったみたい…。


「女のカラダ、悩みの9割は眉唾」を読んで世の中の女性が色々努力して、振り回されたりしてるのを知って「そんなにみんな気にしてるんだ…」と思いました。

ただそれはアラフォーになっても生理不順や婦人科系の病気で悩んだことが無いとか、自分がただラッキーなだけかもしれません。体調が悪いと何かしらできることはないかと努力してるうちにみんな色んな情報に振り回されていくような気がします。

つまり、この手の「女の健康都市伝説」情報にあまり飛びつかず「まあいいや」とか「どうでもいいや」とか思ってられるのは、基本的にからだが頑丈だからかな…と思いました。
そして私のメンタルが頑丈なのもからだが頑丈なことが理由の1つかもしれないな…と思いました。具合が悪いと気が弱くなりますよね。

うさうささんのレビューにもありますがこの本で語られてる一番の不安を煽る要素「女じゃなくなる恐怖」みたいなものが、私には今のところ全然ないのですが、それも結局「30代になってとたんに体力が落ちた」とか、今のところ加齢を実感するような体験がなく、とにかく健康であることが要因なのかなと。散々年上の友達に「30過ぎたら来るよ」と言われ脅されて来たのですが、今のところ健康に過ごしています。つくづく健康に産んでくれた親に感謝しています。今は「40過ぎたら来るよ」と言われていますが、さすがに40過ぎたら色々あるだろな〜とは思ってます。宋美玄先生によると45歳までは更年期は関係ないらしいので、安心しました。ゆるやかにちゃんと歳を取っていきたい。

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しかし、うちの母も「頑丈」が一番みたいな人だったのですが、70くらいからさすがに色々支障が出たらしく、ずっと健康だったばっかりに「不健康」に免疫がなく気弱になってしまったので自分も気をつけねば…と思っています。

ちなみにアラサーでさんざん悩んだ肌荒れ問題ですが、離婚したらスパーンと治りました…。加齢で油分が減ったの…? …いや…やっぱ原因はストレス…? ストレスがなくなったタイミングと肌荒れが治ったタイミングが重なっています…。すべての体調不良はストレスが原因なんじゃ…? と思ったりしました(もちろんこれも実証するデータがあるわけでなく、たまたまの経験談なので都市伝説と同じレベルの話です)。
色んな事に惑わされず、好きなものを食べて「おいしい!」と幸せを感じて楽しく生きるのが一番楽で実は健康なんじゃないのかな〜と思っているので、今後もお気楽に暮らしていきたいと思います。

「女のカラダ、悩みの9割は眉唾」は神経質になりすぎている女性が読んで、少しでも楽になれるといいなと思いつつ、私のようなお気楽ハート剛毛系の人が読んでも「よっしゃよっしゃ、今のまま行こう」と思える本だったので女性全般にオススメしたいと思います。

家事分担とドヤ顔

「家事に最も協力的」な男性はノルウェー人、日本は男女差顕著=OECD | Reuters

このニュースを見ました。確かに前の結婚生活はこんなだった…。
コレを見ると、今は家事をしてくれるパートナーでよかったなあと思います(前も今も共働き)。

が、ここのところパートナーが大変忙しく、昼も夜も無いような生活をしているので、さすがに私がゴハンを作っています。
私は炊事はできますが、前回の結婚生活において「あなたの為にゴハンを作るわ(ウフフ)成分」を一生分使ってしまったらしく、炊事をするモチベーションがないのです。
いや、本当はただ「気に入ったものは毎日同じものでも食べられる」性質なので、自炊をするなら誰かの好みに合わせないとバリエーションをつけたり、何種類か作ったりを中々できないだけなのです。今はパートナーが「食べたい物は自分で作る」人なので任せています。
しかし今回はあまりにもパートナーが忙しそうなのでさすがに見かねて変わっています。
………毎日夕飯作ってるなんて…何年ぶり…(パートナーが出張中はほぼコンビニか外食)。

ここで、私は「たまにしか家事をしない夫」の気持ちを知りました。
ついつい…「やってあげましたよ(ドヤァ)」という気持ちになってしまうのです……!
以前の結婚生活ではほとんどの家事は自分の仕事だと思っていました。それが「これは私の仕事じゃない」と思うとたんに……。
基本的に分担制なので、前から日々の掃除洗濯は私の仕事です。
洗濯物を洗って干したら、取り込んで畳むのは相手の仕事…ですが、今週は全て私がやっています。
すると「代わってあげている」という心理が満々と…!
アカン。これはアカン。
私が忙しかったり、体調不良のときはいろいろやってくれるのに、ついつい「やってあげてる」感を持ってしまう。
元夫は極たまに何か家事をすると(洗いものだけは彼の仕事だったが)ものすごく得意そうな顔をしていたな…と、思い出し反省した。

パートナーに「ついついやってあげたとドヤる気持ちになってしまう」と告白したところ、「…たまに家事をやった夫がドヤるときモヤモヤする世の中の奥さんの気持ちがよくわかった」と言われました。
「こっちは毎日健康のバランスとか考えてゴハン作ってるのに、これでドヤられたらやってられない気持ちになるのはわかる」と。

パートナー間での家事バランスは「これは誰の仕事か」みたいなものが暗黙で決まっていくことに気をつけないといけないな…と思いました。「これは私の仕事ではない」というのは、家事においてはなくて良くて、やれるほう、できるほうがやればいいはずなのです。
ドヤらず、謙虚に助け合いの気持ちで頑張ろう。

(というわけで、今回のブログもパートナー多忙につき軽めです。長文ブログが下書きに溜まっていく…)f:id:salucoro:20140308061722j:plain